58. 清遊な余暇の時間|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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58. 清遊な余暇の時間

2015.06.09

freedom(フリーダム)という英単語は、拘束や制限のない状態で日本語では、「自由」と訳されます。
この言葉の概念が、日本に入って来た明治時代に、なんと訳語をつけるかと悩んだ福澤諭吉は、「自(おのずから)由(よる)」と訳しました。

どのような人にも等しく与えられた24時間。
この24時間は・・・
睡眠や食事、あるいは勉学や仕事、そして余暇や遊びを含めて基本的に自由です。

この「おのずからよる」と訳された「自由」な時間を私たちは、如何に按分するか?
どのような割合で時間を割り振るか?はまさしくそれぞれ個人の自由です。

一日24時間を分かり易く単純化して、三つに分けると
 「生命を維持する時間」
 「義務を遂行する時間」
 「余暇を享受する時間」
になると思います。

「生命を維持する時間」は・・・
睡眠や食事、風呂や排泄などの基本的に生きるための時間ですのであまり自由度がありません。

「義務を遂行する時間」は・・・
学生時代は「勉学」でしょうし社会人になっては「仕事」ということになるでしょう。
この時間は、少し自由度がありそうです。

「余暇を享受する時間」は・・・
テレビや映画を観たり、新聞や本を読む時でもあるしスポーツに興じる時もあるでしょう。
自由度が、とても多い時間です。

高齢となって一線を引退された人は勉学や仕事などの義務から解き放たれてまさしく終日、自由な余暇の時間が、待っています。
この年齢に達すると、健康とお金があれば、自由度が、最高です。

私たちの24時間は生命を維持しながら、義務を遂行し、そして余暇を享受しています。

等しく与えられたその24時間を私たちはどんな時間に幸せを感じるのでしょうか?
人間の幸福は、如何なる時間にあるのでしょうか?

食事を楽しむ時間が、最大の幸せと感じる人もいるでしょうし仕事に徹する時間が、最高の喜びと思っている人もいます。あるいは趣味に興じる時間が、至福の悦楽と考える人も多いでしょう。

多種な人間が、幸せと感じ、喜びと思い、悦楽と考えることは、まさしく多様です。
でも、一番大切なことは・・・
これらの時間が、すべてリンクしながら、シンクロしているということです。

すべてが、リンク(関連)しながら、シンクロ(共鳴)しているとはいい食事や十分な睡眠をとっていないと、勉強や仕事が、はかどらないし勉強や仕事が、はかばかしくないと、趣味やスポーツどころではありません。
その逆もまた真であるということです。

人間の幸福観は、様々でしょう。
でも「余暇を享受する時間」が人の幸福感を耕すインキュベータ(培養器)の触媒になっているのではないかと思います。

余暇の時間の重要性を最初に説いたのは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスでした。
強大なスパルタが、アテネに負けた敗因は、戦争が終った後の平和な時間をすべて次の戦争の準備に費やしてしまったからだと述べています。

無駄は、省かねばならない。
けれど車のハンドルが、少しの遊びがなければ動きにくいように人は、肉体や精神をギリギリまで追い詰めるとスパルタが、自己を追い込んで自滅した様に人間として動きが困難になってしまうのでしょう。

ところで・・・
最近のテレビ番組を観ていると出演者に知識力や語彙力を競わせるクイズ番組が、たくさんあります。
有名大学出身者をズラリと並べて、インテリ軍団とタレント軍団にその博学ぶりを競争させる番組です。

そんな番組を観ながら、クイズの問いにほとんど答えられない私はこの人は「頭いいんだなあ、すごい奴だなあ」と思いつつへそ曲りにフッと次のような想いも廻ります。

 『知識力や語彙力などを有する博学者は、それはそれで尊敬に値する。
  なんでも知っている人を見れば、憬れもする。
  けれど・・・
  その力が、単なる競争となって勝ち負けだけに使われるとすれば
  その努力は、ちょっと寂しいんじゃないのか』などと。

これは、クイズ番組を観ながら、正解を答えられない(私のような)愚者のヤッカミなのかもしれません。

番組に出て来るタレントは、有名大学を出た人も多いため難関な試験を突破できた基礎学力がある人たちですから学生時代は、暗記力が、よかったのでしょう。

インテリ軍団もタレント軍団も、クイズ番組に出るに当って、恥をかかないために今もさらに凄まじい勉強を、日々続けているのではないか、と想像します。

余暇の時間を、知識を得るために費やす毎日は、辛い日々であってもそれは同時に知的好奇心を満たす楽しい日々でもあるのでしょう。
実は、そんな日々を過ごせる人を、羨ましくも思います。

何故なら、それは、余暇の時間に費やした辛い日々の努力が遂行すべき義務の時間に、仕事なら日々の業務の中で勉強なら試験の結果として輝きを与えてくれるだろうから。

私たちは、「余暇の時間」の過し方によって遂行すべき「義務の時間」の輝きが、違うように思います。

でも、そんな余暇の時間におこなった知識を得るための勉苦が人を負かせるためだけに使われる努力では、もったいないと言いたいのです。
知識や才能がある人は、それが人や社会に役立って、はじめて花が咲くと言いたいのです。

では、それほど高尚でない私たち凡人はその余暇の時間をどのように過ごせばいいのでしょうか?

余暇の過し方で、どんな世代でも、とりわけ私たちが大切にしなければならない primitive(原始的で素朴)なことは心の疲労、つまり心労を避けることだと思います。

過ぎてしまったことへの後悔や、取り越し苦労などの「心の無駄を排する」こと。

昔から病は気からというように心労は、また肉体の病気とも密接に関連していることを忘れてはなりません。余暇は、俗世の心労から離れるのがいい。

そして、十分離れた後に、善きことを思う強い心を「養」ってはじめて心の休養となる。

だから、あ~でもない、こ~でもない、とくだらないことに心を惑わされないこと。
歳をとればとるほど、高齢になればなるほど残り少なくなっていく自由な余暇の時間に、心の無駄を費やさないこと。

24時間仕事バカを自認する多忙な人にとって
(ちなみに、私は、自身には12時間仕事バカ!残り12時間は自由バカ?と思っていますが)
余暇のいい時間の過し方は・・・
非日常的で利害を離れた清らかな遊びでありたいと思います。

たとえば、舞や能、歌舞伎などの芸能、あるいは絵画や書、茶道や華道、俳句や川柳などの日本の伝統的な「清遊」。つまり、清らかな遊び心を何よりも大切にしたいと思います。

自(おのずから)由(よる)と訳した財布の中の福澤諭吉さまにもっと多くの仲間を連れて来てもらおうと願うなら・・・自分の方を指差して、「こちらですよ」とお呼び掛けをして来訪された福澤諭吉クローン(遺伝子組成が完全に等しい増殖群)さまにさらに多くの自由を使わせて下さいませと望むなら・・・

私たちは、個人も社会も、果たすべき義務の時間が、もっと輝くために心の無駄を排した自由度ある清遊な余暇の時間を持つべきなのでしょう。

そんな清らかな触媒となる日々を、一日でも多く過ごしたいものですね。
そして、福澤諭吉さま、我が財布の中に「いらっ~しゃあ~い」。

2010.2.11

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