59. 品格のブーメラン|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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59. 品格のブーメラン

2015.06.09

横綱朝青龍が、ついに引退することになりました。
世間の人たちは、引退して「当然」で「必然」とする意見が、多数派を占めているようです。
一方では「残念」で「不幸」と思う人たちも少数派ですが、いるように思います。

今までの朝青龍の破天荒な言動は、責められて当然でしょう。
今回の泥酔騒動も、暴行の軽重以前に泥酔して騒動を起こした時点ですでに弁解の余地は、ないものでした。

横綱審議委員会は、引退勧告書で朝青龍をこう断じました。
「畏敬されるべき横綱の品格を著しく損なうものである」と。

横綱に求められている品格とは・・・
他の地位と異なり、負け越しでも番付が降格しない特権で守られている一方責任を果たさなければ、残された道は引退しかない。

その重い責任の中には、土俵上の勝敗はもちろん土俵外の立ち振る舞いも、全力士の模範となることが、含まれています。

朝青龍は、体力的に恵まれていたわけではありませんでしたが、日本の高校に留学した時から「土俵の上では、鬼になるという気持ち」で闘争心をかき立てて来ました。

強くなっていくその過程で、土俵の外まで模範となる立ち振る舞いに器量を大きく出来ないまま、角界の最高位まで昇り詰めてしまいました。

偉大なものとして、かしこまり敬う横綱に求められる地位を残念にも、29歳になった最後まで、理解し体現できなかったのでしょう。

ところで・・・
「品格」という言葉が、盛んに使われるようになったのは2005年にベストセラーになった『国家の品格』が、きっかけではないかと思います。

著者は、言わずと知れたお茶の水女子大名誉教授、藤原正彦さんです。

数学者である氏が、優れたエッセイストとして有名になった著書は自身の若かりし修行時代を綴った『若き数学者のアメリカ』(新潮社、1977年)でした。
それは、次のような内容でした。

 「若き数学者が、留学していた異国の地ミシガン大学で
  研究員として行なったセミナー発表は、成功を収めます。
  しかし文化習慣の違いで、冬を迎えた厚い雲の下で孤独感に苛まれます。

  翌年の春、フロリダの浜辺で金髪の娘と親しくなり
  アメリカに溶け込めるようになった頃
  苦難を乗り越えてコロラド大学助教授として教鞭をとる」

そんな29歳~32歳の間の体験記でした。

藤原正彦さんは、数学者として成功されながらさらに骨太の論理力を駆使した強い意志をもった社会的提言を行なう文士でもあられます。

偏狭であったであろう時代に異国の地で、文化習慣の違いに揉まれながら数学者として大成された。
そればかりでなく、私たちにとって、人として正しい道を提唱される大変有り難い文人として、尊敬する先達者です。

私の20代を思い出してみると若かりし大学時代に『若き数学者のアメリカ』という著書に接して大きな勇気をもらった記憶があります。

自分の想いと力の無さの狭間に、悶えながら過ごしていた時にこの著書の主人公が、揺れ動きながら、29歳からの数年間を過ごしていく姿に共感を覚え、その当時、多大な勇気をもらったものでした。

藤原正彦さんは、『国家の品格』の中では、次のような内容を書かれています。

 「論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの
  それは、日本人が持つ美しい『情緒』や『形』である。

  自然への繊細な感受性を源泉とする美的情緒が
  日本人の核となって、類い稀な芸術を作っている。

  数日で潔く散る桜、紅葉の繊細さ
  悠久の自然に儚(はかな)い人生を重ねる、もののあわれ
  弱者へのいたわりと涙、惻隠の情・・・

  論理性や合理性の重要さを認めつつ
  論理偏重の欧米型文明に代わりうる情緒や形を重んじた
  日本型文明を『先達』に学びなさい」と。

「品格」ということを考える時それは、相手に求めるものではなく先達と師匠に学びながら、自己への戒めとして、自身が育むもの人が見ていないところで自律的に発揮するものであろうと思います。

角界の頂点に昇り詰めた朝青龍は・・・
肉体的自己研鑽に励みながら、彼の中で見本となる相撲の「先達」に出逢わなかったことが「残念」なのである。

逸材として期待に応えた朝青龍は・・・
あまりにも飛び抜けた力故に、彼の中で目標となる人生の「師匠」に出逢わなかったことが「不幸」なのである。

少数派の意見かもしれませんが私は、朝青龍の引退を「当然で必然」としながらもこの上なく「残念で不幸」なことだと思いました。

私自身の若かりし頃を述べるのは、甚だ気恥ずかしいのですが私が、卒業した地方の弱小大学では(でも誇りに思っていますよ)既存の大学と比較して、先輩諸氏が、少ない故に地域医療を担う職場を、就職口として地元に確保することが卒業する当時、なかなか困難な状況でした。

(だから、私のような田舎者が、首都圏に赴任する運命となったのですが・・・)

脳外科医の修行は、相撲部屋と同じく、おっかない上司の元でその当時、理不尽だと思われていた命令に歯向くことは、出来ませんでした。

でも、人事異動で勤務先が、十数回も変わるうちに、多くの出合いの中で脳外科医の技と、人として道を、研鑽することが出来ました。

私は、そんな優秀な脳外科医の先達や、人生の師匠といえる人に出合わなかったらつまらない人生を歩んでいたことでしょう。

今から思えば、そのような人たちと、もっと積極的にまみえていれば更に違った良い人生になったかもしれないと思います。

朝青龍の引退から、そんなことに想いを馳せて・・・

もし、私が、朝青龍の育ての親であるならば今、意気消沈している彼に、どんな言葉をかけてやるでしょうか?
たぶん、次のようなことを言ってやることでしょう。

 「お~い、ショウちゃん!

  あのな、高校を卒業した19歳の頃の自分を思い出してみろよ。
  純粋に目標に向って、頑張っていたあの頃の姿をな。

  その気持ちを、いつまでも持ち続けることが、出来れば
  今、そして、これからの逆境なんて、屁みたいなもんだぜ。

  春から新しい環境に身を置いても、自分の目標となる先達と師匠を求めて
  過去を教訓としながら、感性を磨いて、挫けず、前に進んで行けよ。

  折れそうになった時、自己を支える書物にも巡り会えるようにな」と。

私たちが、品格という言葉を使う時その言葉を投げかけたその先はブーメランとなって、自分自身へ還ってくる・・・

新しく出発するショウちゃんへのメッセージを込めながらそんな想いを廻らした29歳朝青龍の引退劇でした。

2010.2.14

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