院長コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」|page13

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コラム一覧

25. 新しき 年

『新しき 年の初めの初春の 今日(けふ)降る雪の いやしけ吉事(よごと)』
万葉歌人の大友家持が、1250年前のお正月の宴で詠んだ歌だそうです。
この歌を今朝読んだある新聞で知りました。

この歌が、約4500首を収めた万葉集の掉尾(とうび)を飾る歌であり家持が、この世に残した最後の歌であったことが、また私たちの胸を打ちます。
しかもこの歌が詠まれたのは、1250年前・・・天平時代です。
いったいどんな時代だったのでしょうか。

その頃、新年に降る雪は、吉兆とされていたそうです。
新しい年が改まって、よいことが起る徴(しるし)として新年に降る雪を歓迎したその心は今の時代にも通じるものがあります。

「いやしけ」とは、ますます重なるという意味。
当時、家持は、左遷人事の中を失意の胸中にあったらしい。
そして、新年を迎えたお正月の宴で初春に積もる雪のように「吉き事」が重なってほしいと願う。
そう詠んだ歌が、万葉集の掉尾の歌で、しかも家持の最期の歌になろうとは。

私たちは、言霊(ことだま)によってすなわち言葉に宿っている不思議な力によって励まされることが多いと思う。
冒頭の歌で失意の中、自らを鼓舞した家持は1250年を経て昨年少し(実はかなり)へこたれていた私へも励ましのメッセージを送ってくれたのかもしれない。

そう思うと、自分自身が「世ごと」「人ごと」への感性を磨きながら「新しき年」を「いやしけ吉事(よごと)」にしたいと切に願う元旦でした。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

2009.1.1

24. 20年という歳月

今日は、平成20年12月31日、大晦日となりました。
20年前は、いったいどんな時代だったでしょうか。
ちょうど昭和から平成に替わった時でまだバブル絶頂期の頃でした。
私は、医師としての修行を積みながら新生活を始めた頃に当ります。
医師として、そして私生活でも平成と伴に歩んで来た私はこの20年という数字にこの上なく愛着があります。

そして今、平成20年の大晦日・・・
まさか今日の今が、このような状況で大晦日を迎えるとは、想像もできないことでした。
この20年間、特にこの一年を振り返ると私は、様々な人の支えのお蔭て過す事ができました。
いくら感謝してもし過ぎることはありません。

人の生涯を考えると生まれた直後は全て支えられる側ですがいずれ成人すると人や社会を支える側となりそしてさらに歳を重ねるとまた支えられる側となり一生を終える。
そんな短い生涯を考えると改めて思います・・・
“時や物、心を無駄にしてはいけない”と。

さらにこれから20年後の歳月は、人や社会をどのように変えているでしょうか。
どんな時代になっていても無駄にしてはいけないこの原則は変わらないはず。
様々な無駄を排することで20年後の世の中がもっとよくなっていると信じたい。
さらに願うことは、一年を通じてもっとも象徴する漢字が『雅』あるいは『美』などの元気が出る時代に早くなってほしいと。
雅やかで美しい・・・私が理想とするこだわりある生き方です。

この一年、多くの皆様に大変お世話になりましたことを心から御礼申し上げます。
来年は、皆様にとって実りの多い年となりますように。

23. 仕事納め (2) -働き方-

この秋から年末にかけて日本中をかつてない労働に関する問題が、一気に噴出しました。
世間では、派遣切りはもちろん、期間労働者や正規雇用者さえもリストラという言葉の元に仕事場を追われる事態になっていると報道で伝えています。

リストラとは、本来 Re-constraction リコンストラクションが語源で再構築する事が主眼のはず。
ところが首切りと同意語で使われているのが現状のようです。
そんな境遇に身をおかれている方々には、心底心が痛みます。

経営者は、労働者へ継続して雇用は困難だと通告する。
労働者側が、そのような通告を受けた時に経営者側を非難して君たちは経営者失格だ、レッドカードを突き付ける、と罵詈雑言を並べ立てたところで経営者サイドはもちろん、関わりない人さえも誤解を恐れずに言えば、労働者へ心から同情はしても同調はしないのではないでしょうか。
もっと別の表現で自己の置かれた立場を表明した方がよかったのではないかと思います。

また非情と受け取れる通告をした圧倒的に優位な立場にある経営者側へもけっして尊敬の念を抱くことはないでしょう。
両者が、仕事とはお互いの“共同作業”だという事を忘れたかのようです。

経営者と労働者は、契約は契約として粛々と進めていかねばならぬ側面があろうかと思います。
そうしなければ何のための契約書だったのか、ということになりますが、それはそれとして事態に応じた心ある配慮というものが経営者には必須の素養なのではないか、とも思います。

私は、かつて雇われサラリー・ドクターでした。
経営者サイドの視点をあまり持ち合せていませんでした。
でも今は、異なるもう一つの視点とバランスの取れた思考が必要になっています。
今の私の立場は、仕事を最大限に推進する船頭者的経営者です。
すなわち Boat working manager ボート ワーキング マネージャー。

今、労働者と経営者の関係は、痛みを如何に分かちながら、どう “恊働作業”するかをリストラクションすることが必要なのではないかと思います。
そんな個と公のバランス感覚を持ち合せていたい。
そして可能な限り自ら率先して働く経営者でありたいとも思う。

私には、微々たる余力しかありませんが働くとはどういうことか、を年末に考えさせられた仕事納めの一日でした。

22. 仕事納め (1) -生き方-

一年の最後の仕事の日が、仕事納めです。
納めるとは、終わりにするという意味合いがありますので、歳の暮れにその年の仕事を終えた日それが仕事納めです。私どもの仕事は、27日(土)午前が、仕事納めでした。

この一年で私は自分自身の人生観を一変させる出来事があり生きるとはどういうことか・・・働くとはどういうことか・・・を考えさせられたこの一年の月日でした。

平成19年5月に開院した時私は、クリニックの外来受付に置いてあるパンフレットに次のような簡単なメッセージを記載しました。

1.はじめに First of all
 元気で健康な脳でありたい・・・だれもが望む願いです。
 毎日の暮らしが、心身ともに健康であるために・・・
 日々の生活で明るく元気を出すために・・・
 そんな願いを込めて診療します。
                 院長 古市 晋

私が、パンフレットの中で一番最初に掲げたかった文章です。
First of all とは、「全ての中の一番はじめ」という意味です。
私は脳神経外科を専門にしていますので “脳” が、まずは何をおいても元気で健康でありたいと。
そして “心と身” も伴に健康でしかも明るく元気に・・・。
そんな願いが診療の始まりでした。

ここでいう“脳”とは、主に脳卒中を指しています。
だって私は、仮にも一介の脳神経外科医ですから。
“心と身”とは、主に脳卒中に関連した予防と後遺症に主眼をおいた心と身のこと。
同じ心身とは言いながら精神や身体を専門している多くの先生方とは、その専門性の奥深さからして私などは実力において比較の対象にはなりません。
だって私は、単なる脳神経外科医ですから。

パンフレットの中で2番目に掲げたかったメッセージは命と心についてでした。

2.二軸の視点 Twin point of view
 「命」と「時間」の軸
 命とは・・・有限の時間を刻むこと
 だから、命を生かすため時間を大切に過したい。
 「心」と「物・時」の軸
 心とは・・・物と時を有機的に関係づけるもの
 だから、心を活かすため物と時の無駄を排したい。

この二つのメッセージは、今も私の基本になっています。
この一年、人生観を一変させる出来事によって生きるということはどういうことか、を真剣に考えた時私は、瞬間的にあたかもお坊さんが達観したような境地になりました。

自分に残された時間をどう有効に生きるのか・・・
すなわち少し大袈裟に言うと『人生残余時間(平均余命-自分の年齢)の悔いなき過し方』とは・・・

そして、至ったその境地は、少し大仰だけれどもこの先の未来を生きて行く上で大切なことは “プライオリティー(優先順位)を付けたライフ(生活)・ワーク(仕事)バランスをとりながら人や社会のために自分には何ができ、どう貢献 Contribution するか”と。

私には、微々たる能力しかありませんが生きるとはどういうことか、を年末に考えさせられた仕事納めの一日でした。

21. 大切で基本的な能力

今、社会の中では今までの価値観を揺るがす変化が起っていると言われます。
石油価格の暴騰と中国製餃子の食中毒事件をはじめとして生活に必要な品々の騒ぎが報道で何回も何回も取り上げられました。

また世界規模の金融危機と株の暴落、さらに円の急騰などによって私たちの実体経済に深刻な影響が出て来ていると言われます。
信頼を欠く行ないが全ての発端であった出来事をニュースや新聞の解説者や評論家は百年に一度の危機だとその危機感をこれでもかこれでもかと煽(あお)り立てています。

確かに今日本で生活している私たちにとってこのような出来事が自分の生活に影響しない人は少ないのではないかと思います。
被害に遭われた方々や当事者にとっては大変な出来事であって私は同情を禁じ得ません。

でも大多数の出来事は、当事者には心からお気の毒と思いながら自分自身の身を引き締めるきっかけになったはず。他者から勉強させてもらった有り難い教訓となったはずです。

世の中の不吉な出来事が、自分自身にはもちろん、自分の身の周りの人々には起らないように祈りたい。これも普通の心の有り様だと思います。
そしてその延長としてどうしたらその危機を避けられるのかと考える。
これも誰もが願う通常の心の行き先でしょう。
こんな時、私は自分自身に問い掛けることにしています。

『今の自分は、果たして少しでも周りから応援したくなる生き方をしているだろうか』
『今の自分は、果たして一人でも感謝される働き方をしているだろうか』
『今の自分は、果たして僅かでも安らぎを与えられる言葉を発しているだろうか』

自分を第三者から見た時に恥ずかしい生き方や働き方、さらに話し方をするわけにはいきません。
何故なら仮にも私を信じて来て下さった人々の信頼を裏切るわけにはいかないと思うから。

小泉元首相は、執務室に掲げてある掛け軸に有名な高僧が詠んだと言われる次のような詩を掲げていたそうです。
“風吹不動天辺月”(風吹けど動ぜず、天辺の月)
たとえ風が吹こうが、天辺の月は動じないというこの詩の意味合いがどうしたら危機を避けられるかを考えた時、私の心に突き刺さりました。

信用不安を元として社会の中で今までの価値観を揺るがす変化が、如何に起ろうとも世の中で起っている出来事に動じず、それはそれで教訓として身を引き締めつつ人に対しては、誠実に責務を信頼で相対していく他に私たちが進む道はない。
そんな基本的な能力が、今の時代に一番大切なのではないかと世の喧騒を見てつくづくと思いました。

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