院長コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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No,85「人は見たいものだけを見る ー私たちは自分を客観視できていますかー」

2022年2月
青葉区医師会巻頭言

人は見たいものだけを見る ー私たちは自分を客観視できていますかー

古市 晋

 医療人が、悲惨な事件に巻き込まれて亡くなるケースが、相次いでいます。

令和3年12月に大阪市内の心療内科クリニックの放火殺人事件で62歳の男に殺害されたのは、地域の精神医療の要として活躍されていた49歳の心療内科医でした。
心の病で休職した人たちに再就職を促し職場復帰を目指して集団ミーティングなどで人との接し方やストレスへの対処方法などを身につけるリワークプログラムに取り組まれていました。男は、クリニックの入り口にガソリンをまいて放火し医師を含めた25人の人たちを殺害しました。

 令和4年1月には、埼玉県ふじみ野市の立て籠り事件で66歳の男に殺害されたのは、母の主治医で地域の在宅医療の要として活躍されていた44歳の訪問診療医でした。
訪問診療を受けていた92歳の母親が亡くなり、男は「線香を上げに来い」と医師らを呼び出しました。男は、心臓マッサージによる蘇生を要求し断られると散弾銃を発砲し殺害しました。

 いずれの先生も身を粉にして地域医療で多くの人たちを支え続けて来られ患者さんに慕われた頼りになる先生でした。
亡くなった先生の奥様と子供たちなどのご家族やご両親とご兄弟などのご親族のご心境、そして偶然に遭遇して亡くなられた方々のご家族のご心情を想像すると胸が張り裂けるような思いになります。まだまだ活躍し周囲からも期待された壮年医や前途あった若者の突然の死は、あまりにも虚しいと言わざるをえません。

 

 どうしてこのような理不尽な出来事が起こるのでしょうか?

 

その最大の要因は、経済的な不安にあるのだろうと想像します。

 その背景には、世の中に新型コロナウイルスが、蔓延する中で収入減や失業など経済的困窮に陥る人が、多数出てしまった。
コロナウイルスを責めるわけにもいかず溜まった不満や怒りの矛先を他の人たちに向ける「鬱積した感情」があります。

 二つ目の要因は、世の中に人が間違ったことをしたら許さないという風潮が、蔓延しているように思います。
その背景には、インターネットによって関連するキーワードを検索し自分の意見に合致する内容があればそうこれだと自己肯定する「思い込み」があります。

 自己の誤った「思い込み」の矛先を他の人たちに向ける「鬱憤した感情」によってこのような有り得ない悲惨な事件が起こったのだろうと思います。
事件に発展しないまでもSNSなどを利用すれば、自分自身は表に立たず相手を簡単に容赦なく攻撃し傷つけることができる。多くの人達が自分の考える悪を叩くさまが、可視化できるようになったため自分の不満や正義を声高に主張する人が増えたのでしょう。医院や病院の悪口を匿名で口コミ情報として投稿するのは、その典型例だと思います。

 私たちは、インターネットで検索できるのは極めて有り難いことですが、人は自分が何らかの結論に達するとその後自分の都合のいい情報ばかりを集めてしまう傾向にあります。これを心理学の専門用語で「確証バイアス」というそうです。確証バイアスとは、自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため自分にとって都合のよい情報ばかりを集め反証する情報を無視または集めようとしない傾向のことと説明されます。論文や自分の意見を述べる時に自分の考え方を分解してMECEミーシー(モレなくダブない)思考になっているか、客観的な論考になっているか注意しなければならないと教えられます。

 私たちは、部下や従業員を抱えている組織のトップとして「自分自身が確証バイアスの罠に陥っていないか」「周囲と信頼関係をしっかり構築しているか」と常に内省する必要があります。人は、見たいものだけを見るー私たちは自分を客観視できているだろうかーと。

 理不尽な理由で亡くなった方々のご冥福を祈りながら社会の背景に潜む「鬱憤した感情」と人間の思考に潜む「思い込み」の中で私たちは「いかに周囲と信頼関係を構築するか」を考えさせられた悲惨な事件でした。

 季節は、徐々に春に近づいています。2月は寒さの中にも春の兆しが感じられる三寒四温の時節柄、コロナ感染が拡大する中で地域医療に邁進されている医師会員の皆様におかれましては、くれぐれもご健勝にお過ごしいただきたいと思います。

No.84「ひた向きな意地」と「熱い感謝」

 コロナ感染拡大が、留まらない中で20211月に非常事態宣言が発令されました。
そして
2月には、さらに1か月間延長されることが表明されました。
今後、コロナが、いつになったら終息できるのか

そして開幕まで5か月に迫った東京オリンピックが、予定通りに開催できるのか

私たちの不安は尽きません。

 東京オリンピック大会組織委員会は、開幕1年を前にした昨年の7月にメイン会場の東京国立競技場から世界に向けて池江璃花子さんのビデオメッセージを公開しました。
白血病を克服された池江璃花子さんが、希望の炎を輝かし今なお闘病されている方々へ、オリンピック出場を目指す多くのアスリートの方々へ、そしてコロナで苦しんでいる方々に向けて次のような熱いメッセージを語られています。

 

 

『本当ならこの場所で世界から集まったアスリートと8万人を超える聴衆が、燃えさかる聖火を見上げているはずだった。


今まで当たり前だと思っていた未来は、一夜にして別世界のよう
に変わる。
それは、私も大きな病気をしたからよく分かる。

人と会うこと
外を歩くこと
プールの中で全身を使って泳ぐこと
その全てが、こんなにも愛おしくこんなにも幸せだったなんて病気の前は気づいていなかった。

2020年という目標は急になくなった他のアスリート達も同じ気持ちなんだと思う。

オリンピックやパラリンピックのような大きな大会に出るアスリートにとって練習やプレッシャーは相当にきつい。
正直逃げ出したいこともある。
でもそれがなくなって初めて、あ
あ、やっぱり自分はどうしようもなく、このスポーツが好きなんだと心の底から思ったはずだ。
私もそうだった。


1年後、オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたらどんなに素敵だろうと思う。


アスリートたちは、その未来を信じて今この瞬間もできる全ての努力をしている。
どんなに
小さな努力でもそれが無駄だとは決して思わない。
スポーツがくれる勇気や人との繋がり
は、本当にかけがいのないものだから。
そしてもう一つ、スポーツは、決してアスリートだ
けでできるものではない。
そのことを忘れないようにしたい。
これからも感謝と尊敬を胸に
前に進んでいこうと思う。


一人のアスリートして、一人の人間として。

  

                  TOKYO 20201  競泳選手 池江璃花子』

 

 

 池江さんが語るビデオメッセージには、「競技に対するひた向きな意地」と「周りの方々に対する熱い感謝」の言葉が滲み出ていました。
『成長の秘訣は現状に満足しない姿勢である』と池江さんから学びます。
その凛々しい姿に私たちは、医療を支える側の一人の医療人して、一人の人間としてとても共感を覚えます。
共感は、共鳴となって多くの人たちを励ましたことと思います。

 2月末から新型コロナワクチンの接種が始まります。

感染拡大が、ワクチン接種によって終息に向かってほしい
無事東京オリンピックが開催されてほしい
さらにその先には、安全で安心した生活が営みたい。

そのために私たち医療人は、可能な範囲で協力していきたいと思います。
一日も早く笑顔で「これで大丈夫ですね」と言える日が、来るように皆様のお力添えを頂けますと幸いです。

 

 

※令和3年2月に青葉区医師会巻頭言20212月号)に池江璃花子さんのビデオメッセージついて記載しました。医師会の医師会員に向けた巻頭言ですが、当ホームページにも掲載しています。

野村克也氏と橋田壽賀子氏の対談から学ぶ「老境の仕事と幸せ」とは…

   野村克也さんが、211日に急逝されました。生前自らを「王や長嶋がヒマワリなら私は月見草」と称して多くの著書を残されました。月見草の英語の花言葉は、無言の愛情です。示唆に富む多くの著書は、まさしく無言の愛情からの発露だったように思います。

   令和22月号青葉区医師会巻頭言に野村克也さんと橋田壽賀子さんの対談について記載しました。野村さんのご逝去にご冥福をお祈りいたしますと同時に多くの著書から深い学びに感謝し拙文を掲載します。

 

「仕事と幸せ」の関係

老後の自分をイメージしデザインしていますか?                                                                                                                                                              

   「仕事」について昨今叫ばれている働き方改革は、「医師の仕事」に対する取り組み方と「ヒトの幸せ」に対する捉え方について考えさせられる課題です。医師の働き方改革は、現行制度を踏まえつつ長時間労働の是正を進めることを前提としています。この前提は、当然として医師の働き方を単に法令に合わせるのではなく、地域性や診療科の特性など現場のニーズも考慮して改革を進めてほしい医師の働き方を仕事の特殊性と医療の公共性を十分に考慮した観点から医師の社会での役割りを見据えた柔軟な議論をしてもらいたいと思うのは私だけではないでしょう。

   「幸せ」については、国連の関連団体が発表した「世界幸福度ランキング」によると日本はG7(主要7カ国)のうち最も幸福度が低いという結果でした。特に日本では、年を取るほど幸福感が下がり「不幸と感じている高齢者」の存在が目立ちます。人生100年時代と言われる中で「幸せな老後」と「不幸せな老後」を分けるものはなんでしょうか?

   平均寿命が、年々延びている現在、顕著に増えているのが、高齢者の単身世代です。配偶者と死別した65歳以上の人は864万人と言われます。生涯独身者と離婚した夫婦を除けばどちらかが先に逝けば、どちらかが残されるのは当然の理です。その残された人が、お一人さまをどう生きていけばよいのかに悩みを抱える人は少なくありません。そんな時、令和元年12月末、NHKスペシャル番組で放送された「令和家族 幸せを探す人たち」の中で野村克也さんと橋田壽賀子さんの対談は、大変興味深い内容でした。

   元プロ野球監督の野村克也さん84歳は、2年前に50年間連れ添った妻沙知代さんを亡くされました。その後、妻と一緒に過ごしたご自宅でお手伝いさんはいるものの一人暮らしをされています。野村さんは、久しぶりに自宅の庭に出て「こんな木があったのか小さかったんだよ。こんな大きくなっている。いかに庭に出ていないか」と自然の移ろいに驚かされた様子で独り言のように語ります。「妻が亡くなって2年、男の弱さを痛感しているよ。男って弱いね。そばに話す相手がいないんだモン。それは寂しいもんだよ。乗り越えたくても乗り越えようがない。もうあとは安らかに死を待つだけだ。」と。

   監督として3度の日本一を成し遂げた実績のある人である。相手の弱点突く戦略で一時代を築かれた名将と言われた人物の言葉である。墓参りをしながら墓前に向かって「来たよ。あれだけ先に逝くなよと言っていたのに先に逝っちゃって」と。沙知代さんは、3つ歳上の姉さん女房で家のことから仕事のスケジュールに至るまですべてを管理されていました。野村さんは、俺は一人では野球以外何もできない人間だと公言されていました。沙知代さんとの対談では、「この人は、パッと見た印象は、怖い、強い、残酷だのイメージと思われているけど実際はすごく優しい人なんですよ」と褒めちぎります。

   そんな沙知代さんとの別れは、ある日突然前触れもなく訪れ、自宅で心不全を起こし意識が快復することなくあっという間に亡くなりました。「救急車を呼んで救急車が来た時はもう亡くなっていた。いくら大声を出しても戻るわけもないし、この寂しさから抜け出すことは絶対できません。これを背負ってあの世に逝くしかありません。頑張りようがない。すべて終わったよ。何を頑張れというの?」と答えています。

   一方、橋田さんは、64歳の時に元プロデューサーであった4歳年下の夫を癌で亡くされました。脚本家としての仕事を深く理解して支え続けてくれた人でした。しかし夫の死後も変わらず創作活動に邁進し最高視聴率62%のおしんをはじめとしてファミリーシリーズの渡る世間は鬼ばかりなど数々のヒット作を世に送り出した脚本家です。お一人さま歴30年で豪華客船で世界旅行を謳歌している現役脚本家の橋田壽賀子さん94歳とお一人さま歴2年で自宅に引き籠っている元プロ野球監督の野村克也さん84歳が対談します。

 野村さんは語ります。

「お袋が亡くなった時は、泣けたけど女房が亡くなった時は5分で亡くなったせいか涙が出なかった。この違いはなんだろう。」「サッチーさんのことはあまり思い出したくない。早く忘れたいんです。いないものはどうしようもないからね。」

 橋田さんが応えます。

「今が泣く時なんでしょうね。」「夫の存在を意識することでまた仕事に打ち込むことができました。仕事することが夫への供養である。こんなことをしたら主人に叱られるとか褒めれるとかが基準になった。」

 2年経った今も深い悲しみに打ちひしがれ、寂しさから抜け出せずにいる野村さんと30年前に泣くことで悲しみから抜け出し、仕事することで寂しさを昇華させた橋田さん。伴侶を亡くした年齢が、80歳代と60歳代の違い、そして男と女の違い、元監督と現役脚本家の違いは大きいかもしれません。でもこのスペシャル番組を観ると私たちが、いずれは訪れる老後、あるいはもうすでにお一人さま、または老境に入ったヒトの「仕事と幸せ」についてイメージできる対称的な二人のお姿でした。

   野村さんは、対談後久しぶりに八重洲ブックセンターで開催されたトークショーに臨みました。「一番大切なことは感性である、感じることが大きな力になる」と聴衆の前で語り子供と握手していました。ヤクルト監督時代に「人生の最大の敵、それは鈍感である」という言葉を繰り返し述べていました。晩節となった今、自分自身に言い聞かせていたのでしょう。

 最後に本題

 普通の医師は、105歳で逝去された日野原重明先生のような超人的な医師人生は、とても歩めないでしょう。しかしながらヒトとして終末に近ずいて来た時に備えて自身の健康を保ち周りの環境を整えることは、可能なはずです。これらは、高齢者の先人から学び準備するしかありませんが、その時にならないと中々本腰を入れて行動できないものです。

   私たち医師は、人生100年時代と言われる中「仕事と幸せ」の関係について医療以外に学ばなければならないことが多いように思います。私たちは、まだまだ先のあるいは真っ只中の自身の「幸せな老後」をどうイメージし、いかにデザインしましょうか?

追記)

 野村克也さんが、211日に84歳で死去されました。氏が残された数多くの著書から示唆に富む多くの学びがありました。一人暮らしの高齢者が、一番の注意しなければならない「風呂場」について氏からお一人さまへ最期の警鐘を鳴らされたように思います。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

82.人生100年時代に「君たちはどう生きるか」

 昭和12年7月刊行された吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」は、平成29年夏に単行本と漫画本を同時に再版されました。現在二つ合わせてミリオンセラーになっていますのですでにお読みになった方も多いのではないかと思います。著者の吉野源三郎氏は、明治32年生まれで昭和56年82歳で亡くなりました。児童文学者であると同時に雑誌「世界」の初代編集長で岩波少年文庫の創設にも尽力され、児童文学者として子ども達を育成する視点も持ちながら雑誌の編集長として手腕を発揮された方でした。

 吉野氏が著した「君たちは…」は、日本少年国民文庫全16巻シリーズの最終巻で成長盛りの若者に語りかけた日本を代表する歴史的名著と言われています。物語は、主人公のコペル君と叔父さんとの間で交わされた会話と叔父さんノートによって展開していきます。父親を亡くしたコペル君のために母の実弟で大学を出てまだ間もない法学士の叔父さんが、甥っ子の成長を願って考えてほしいことや伝えきれなかったことを一冊のノートに書き溜めていきます。記載された叔父さんノートは、いくつかのテーマについて答えを提示するのではなく、物事を深く洞察し考えるヒントを与えてくれます。

 この作品が刊行されたのは、昭和12年ですから第二次世界大戦が、始まる2年前です。その頃の世相は、国外にはアジア大陸へ侵攻を始め国内では戦争へと突き進む重たい空気が広がっていました。自分では、どうしようもない社会全体の流れが、個人の自由を奪い抑圧された時代でした。主人公のコペル君は、多感な14歳で中学2年生です。当時の中学校(旧制中学校)は、義務教育ではありませんので試験を受けて進学した少数派エリート層でした。多くの子供たちが、尋常小学校か高等小学校で学業を終えていた時代に中学校に在籍していたコペル君は、叔父さんとの交流の中からものの見方について学んでいきます。

 昭和12年に刊行された著書ですのでコペル君は、おそらく大正終わり頃の生まれではないかと想像されます。今生きていればおそらく90歳前半の高齢者となっていることでしょう。高齢となったコペル君が、90歳代の視点から今の世の中を見たらいったい何と語りかけてくれるでしょうか。そんなことを想像していた時、「君たちは…」の再版と同じ昨年夏頃に刊行された五木寛之著「孤独のすすめ」と昨年年末に刊行された「百歳人生を生きるヒント」は、人生後半の生き方について私たちに多くの考えるヒントを与えてくれます。

 五木氏は、昭和7年生まれの86歳で今も現役で活躍されている作家です。生後間もなく教師の父の赴任に伴ない朝鮮半島に渡り子供時代を過ごされています。村の小学校では、現地の子供たちと見えない壁があり、父が管理していた学校の図書館の本を読み耽ることが唯一の楽しみだった。そんな背景からか含蓄ある哲学で著された「青春の門」をはじめとして「大河の一滴」や「林住期」あるいは「親鸞」など多くの著書を読まれた方が多いのではないかと思います。

 著者は、「孤独…」の著書で老齢期に「春愁という感覚」の大切さに触れています。秋という字の下に心と書いて愁(うれい)と読む漢字の頭に春を置く「春愁」とは、うららかな陽気な春の季節になんとなく「わびしく」気持ちが「さびしい」ことを意味します。春愁とは、悲しみや失望とは異なるなんとなく心が晴れない漠然とした不安定で情緒的な陰性感情です。

 五木氏は、この著書の中でその愁いがはっきりと見えてくる人生の後半や最終章に至った高齢者は、むしろそれを自然にあるがままに受け入れるという生き方がいい。不安が重なる人生の最後の季節を穏やかにごく自然にあるがままの現実を認め春愁をしみじみと味わう。そのような心境は、高齢になって初めて得心できる感覚なのかも知れません。しかしこうした境地は、まさに高齢者ならではの「社会が求める賢老という生き方」ではないか。五木氏のこれらの指摘は、私が日頃診察室でお目にかかる高齢になられた患者の中で目指す一つの高齢者像と重なります。

 「百歳人生…」では、五十代から百歳への道のりという大きな課題で後半の五十年を生き抜くヒントを塾考しています。人生五十年と考えられていた時代に信じられてきた人生観や死生観の転換が求められている。人生100年時代にふさわしい生き方や人間性についてあらためて再構築し「新しい人生哲学を打ち立てる」ことが必要ではないか。五木氏は、そのための準備の大切さを述べています。五十代の事はじめ、六十代の再起動、七十代の黄金期、八十代の自分ファースト、九十代の妄想のすすめ、などいずれも鋭く深い洞察力が詰まったこの著書は、私たちに多くのことを考えさせる糸口を与えてくれます。

 そして私たちは…  吉野氏から青年層に向けた「君たちはどう生きるか」という素朴な投げかけと同様に90歳代になったコペル君から壮年や老年層に向けて「私たちはどう生きますか」と問いかけられるとなんと答えるでしょうか。人としての生き方、あるいは往き方、さらには逝き方は、それぞれの道があると思います。発展途上の人間と円熟した人間、あるいは退潮期にある人間では生き方は自ずと異なるはずです。今まで付き合ってきた仲間との関係、今まで経てきた社会との繋がり、今まで育んできた家族との結び付き、それらに対する答えは一様ではありません。人生100年時代と言われる中で五木氏の著書から多くの手がかりをもらいつつ、それぞれに折り合いを付けながら模索していくことになるのでしょう。

 私たちは、明日からの健康ために今日一日を明るく元気に、そして何よりも大切なことは年齢に関わらず準備をしていかなる時も「聡明に生きていく」…そんな賢人でありたいと思います。                                                                                                                2018.2.6  (以上の拙文は、平成30年2月号青葉区医師会巻頭言を加筆訂正して掲載しました)

81.「医師」と「医者」そして「先生」とは…

 青葉区医師会には、総務担当理事として運営に携わっています。平成28年8月号の医師会報巻頭言に以下の拙文を掲載しました。医師会員向けの文章ですが、当院のコラムとしても掲載します。

平成28年8月号巻頭言
 「医師」と「医者」そして「先生」とは…

古市 晋

 私たちが、日々行っている仕事は、臨床の現場で病める身体を元に戻そうとする継続的な作業です。作業を行う上で様々な治療法が、私たちが「医師」になった頃と比較して格段に発展して来ました。それは、基礎的な研究を行う者の地道な成果と同時に技術を使う者の弛まぬ努力の結果です。叡智とも言うべきiPS細胞が、もたらす技術の普及によって臓器再生が可能になり、技芸とも言うべき術者が、安定して血管を繋げる技術を伝承することで臓器移植が可能になりました。その倫理的な課題は別として基礎的な実験で仮説を実証する研究者の労苦と臨床的な実地で技術を発揮する術者の辛苦は、病める身体を元に戻す医療の両輪です。

 技術を手術場で発揮する脳神経外科領域では、顕微鏡を使った開頭手術とマイクロカテーテルを使った血管内手術が、Cadaver dissection による微小血管の解剖知見と有用な手術デバイスの開発によって Hybrid Neurosurgery として進化発展しつつあります。世間では、神の手を持つと言われる人が、注目を集めていますが、そのような「医者」が初めから存在するはずはありません。途方も無い時間をかけて鍛錬を続けた結果、匠の技術を習得した者が多くの患者に恩恵をもたらしています。匠の手を持つ者は、夜毎泣きながら試練に耐え自分を鍛えてやっと自在に行うことが許される位置に到達した。それは、個人の努力はもちろんのこと、それを抱える組織によっても支えられています。さらにその陰には世間に語れない少なからず患者の犠牲よって個人も組織も成長させてもらって来ました。

 さて「医師」と「医者」は、何が違うのでしょうか。
 そして「先生」とは、どのような人をいうのでしょうか。

 医師を目指す人は、幼い頃から真面目な家庭に育ち子供の時から成績も良く偏差値が高いいわゆる出来のいい子が多いと思います。偶然の星の下に生まれ育ったとは言えその環境は、本人の意識がないところで温室育ちです。世間の大きな波風にさらされることも少なく、ましてや貧困家庭で世間の底辺を見ることもない。私たちは、そんな幸せな環境下で自分の健康にも恵まれ努力を重ね試練を乗り越えて来ました。そして医師免許を取得した直後から仮にも「先生」と呼ばれて崇められて来ました。医師になるまでそれなりに苦労はあった…医師になってからも努力はして来た…とは言いながら多くの医師は、自身が健康であれば世間の苦労や生活の困難と離れた優位な立場にいると思います。

 私たちが、そんな優位な立場にいる医師人生を有り難いと思いつつ、その医師の視点は、どこか高見の見物をして高所からものを言っている場合が、多いのではないか。我が身や自分の家族が、命に係る病に陥って治療してもらう逆の立場になった時、病気を勉強して来た医師は、もっと深い人間の心を感性を磨いて勉強しなければならないと気づかされます。

 私たちが、勤める医療機関は、巨大な組織もあれば一個人によって営まれている機関もあります。その医療機関では、様々な患者を治療する機会を与えてもらっています。成書に書かれている内容を基礎的土台としながら現場で新たな発見があり、経験知を増やし成書に上書きされた自身の成書が少しずつ出来上がっていく。多忙な中で全ての患者を丁寧に診ることは、とても困難ですが、成書の上書きを重ねることで深みが加わる「医者」は、自ら傷つく経験によって研ぎ澄まされた限りなく低い視点から生まれるのだろうと思います。

 医療の中でごく一端を担うに過ぎない私たちの職を考える時、国家試験に合格すれば誰もが「医師」として資格を認定されます。その私たち医師は、いずれは自らも迎える生病老死を通して臨床経験を積み社会を通して人生経験を重ねてゆく。個人から見れば医師は、ただの私有財ですが、円熟した医者は、大きな公共財です。私たちの仕事に公共財の完成はなくどこまで大きく未完成で終わるか…その年輪の厚みによって患者からも社会からも信頼される心技体の人間力ある「医者」に近づけるのではないでしょうか。

 「先生」とは、学徳に優れた人、指導的立場にある人を指すとするならば、先生と呼ばれることに居心地が悪い気恥ずかしさを感じつつ、青葉区で地域医療を展開する私たち「学徒の医師」は、未だ「未完の医者」から僅かでも「範となる先生」に成熟できますよう継続的な作業を心を込めて日々の診療に傾注したいものです。

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