コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

  • 【ご相談・お問合せ専用ダイヤル】

    0459052272

    診療
    受付時間
    月~金8:30~18:00 /
    土8:30~12:30
    ※日祝休診
  • 【予約専用ダイヤル】
    ※MRI・MRA検査予約の方
    ※診療予約の方

    0459052273

    電話
    受付時間
    月~金10:00~17:00 /
    土10:00~12:30
    ※日祝休診
MRI検査予約・診療予約について詳しくはこちら

※ 予約なしでも受診可能です

コラム一覧

野村克也氏と橋田壽賀子氏の対談から学ぶ「老境の仕事と幸せ」とは…

   野村克也さんが、211日に急逝されました。生前自らを「王や長嶋がヒマワリなら私は月見草」と称して多くの著書を残されました。月見草の英語の花言葉は、無言の愛情です。示唆に富む多くの著書は、まさしく無言の愛情からの発露だったように思います。

   令和22月号青葉区医師会巻頭言に野村克也さんと橋田壽賀子さんの対談について記載しました。野村さんのご逝去にご冥福をお祈りいたしますと同時に多くの著書から深い学びに感謝し拙文を掲載します。

 

「仕事と幸せ」の関係

老後の自分をイメージしデザインしていますか?                                                                                                                                                              

   「仕事」について昨今叫ばれている働き方改革は、「医師の仕事」に対する取り組み方と「ヒトの幸せ」に対する捉え方について考えさせられる課題です。医師の働き方改革は、現行制度を踏まえつつ長時間労働の是正を進めることを前提としています。この前提は、当然として医師の働き方を単に法令に合わせるのではなく、地域性や診療科の特性など現場のニーズも考慮して改革を進めてほしい医師の働き方を仕事の特殊性と医療の公共性を十分に考慮した観点から医師の社会での役割りを見据えた柔軟な議論をしてもらいたいと思うのは私だけではないでしょう。

   「幸せ」については、国連の関連団体が発表した「世界幸福度ランキング」によると日本はG7(主要7カ国)のうち最も幸福度が低いという結果でした。特に日本では、年を取るほど幸福感が下がり「不幸と感じている高齢者」の存在が目立ちます。人生100年時代と言われる中で「幸せな老後」と「不幸せな老後」を分けるものはなんでしょうか?

   平均寿命が、年々延びている現在、顕著に増えているのが、高齢者の単身世代です。配偶者と死別した65歳以上の人は864万人と言われます。生涯独身者と離婚した夫婦を除けばどちらかが先に逝けば、どちらかが残されるのは当然の理です。その残された人が、お一人さまをどう生きていけばよいのかに悩みを抱える人は少なくありません。そんな時、令和元年12月末、NHKスペシャル番組で放送された「令和家族 幸せを探す人たち」の中で野村克也さんと橋田壽賀子さんの対談は、大変興味深い内容でした。

   元プロ野球監督の野村克也さん84歳は、2年前に50年間連れ添った妻沙知代さんを亡くされました。その後、妻と一緒に過ごしたご自宅でお手伝いさんはいるものの一人暮らしをされています。野村さんは、久しぶりに自宅の庭に出て「こんな木があったのか小さかったんだよ。こんな大きくなっている。いかに庭に出ていないか」と自然の移ろいに驚かされた様子で独り言のように語ります。「妻が亡くなって2年、男の弱さを痛感しているよ。男って弱いね。そばに話す相手がいないんだモン。それは寂しいもんだよ。乗り越えたくても乗り越えようがない。もうあとは安らかに死を待つだけだ。」と。

   監督として3度の日本一を成し遂げた実績のある人である。相手の弱点突く戦略で一時代を築かれた名将と言われた人物の言葉である。墓参りをしながら墓前に向かって「来たよ。あれだけ先に逝くなよと言っていたのに先に逝っちゃって」と。沙知代さんは、3つ歳上の姉さん女房で家のことから仕事のスケジュールに至るまですべてを管理されていました。野村さんは、俺は一人では野球以外何もできない人間だと公言されていました。沙知代さんとの対談では、「この人は、パッと見た印象は、怖い、強い、残酷だのイメージと思われているけど実際はすごく優しい人なんですよ」と褒めちぎります。

   そんな沙知代さんとの別れは、ある日突然前触れもなく訪れ、自宅で心不全を起こし意識が快復することなくあっという間に亡くなりました。「救急車を呼んで救急車が来た時はもう亡くなっていた。いくら大声を出しても戻るわけもないし、この寂しさから抜け出すことは絶対できません。これを背負ってあの世に逝くしかありません。頑張りようがない。すべて終わったよ。何を頑張れというの?」と答えています。

   一方、橋田さんは、64歳の時に元プロデューサーであった4歳年下の夫を癌で亡くされました。脚本家としての仕事を深く理解して支え続けてくれた人でした。しかし夫の死後も変わらず創作活動に邁進し最高視聴率62%のおしんをはじめとしてファミリーシリーズの渡る世間は鬼ばかりなど数々のヒット作を世に送り出した脚本家です。お一人さま歴30年で豪華客船で世界旅行を謳歌している現役脚本家の橋田壽賀子さん94歳とお一人さま歴2年で自宅に引き籠っている元プロ野球監督の野村克也さん84歳が対談します。

 野村さんは語ります。

「お袋が亡くなった時は、泣けたけど女房が亡くなった時は5分で亡くなったせいか涙が出なかった。この違いはなんだろう。」「サッチーさんのことはあまり思い出したくない。早く忘れたいんです。いないものはどうしようもないからね。」

 橋田さんが応えます。

「今が泣く時なんでしょうね。」「夫の存在を意識することでまた仕事に打ち込むことができました。仕事することが夫への供養である。こんなことをしたら主人に叱られるとか褒めれるとかが基準になった。」

 2年経った今も深い悲しみに打ちひしがれ、寂しさから抜け出せずにいる野村さんと30年前に泣くことで悲しみから抜け出し、仕事することで寂しさを昇華させた橋田さん。伴侶を亡くした年齢が、80歳代と60歳代の違い、そして男と女の違い、元監督と現役脚本家の違いは大きいかもしれません。でもこのスペシャル番組を観ると私たちが、いずれは訪れる老後、あるいはもうすでにお一人さま、または老境に入ったヒトの「仕事と幸せ」についてイメージできる対称的な二人のお姿でした。

   野村さんは、対談後久しぶりに八重洲ブックセンターで開催されたトークショーに臨みました。「一番大切なことは感性である、感じることが大きな力になる」と聴衆の前で語り子供と握手していました。ヤクルト監督時代に「人生の最大の敵、それは鈍感である」という言葉を繰り返し述べていました。晩節となった今、自分自身に言い聞かせていたのでしょう。

 最後に本題

 普通の医師は、105歳で逝去された日野原重明先生のような超人的な医師人生は、とても歩めないでしょう。しかしながらヒトとして終末に近ずいて来た時に備えて自身の健康を保ち周りの環境を整えることは、可能なはずです。これらは、高齢者の先人から学び準備するしかありませんが、その時にならないと中々本腰を入れて行動できないものです。

   私たち医師は、人生100年時代と言われる中「仕事と幸せ」の関係について医療以外に学ばなければならないことが多いように思います。私たちは、まだまだ先のあるいは真っ只中の自身の「幸せな老後」をどうイメージし、いかにデザインしましょうか?

追記)

 野村克也さんが、211日に84歳で死去されました。氏が残された数多くの著書から示唆に富む多くの学びがありました。一人暮らしの高齢者が、一番の注意しなければならない「風呂場」について氏からお一人さまへ最期の警鐘を鳴らされたように思います。

 心からご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

82.人生100年時代に「君たちはどう生きるか」

 昭和12年7月刊行された吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」は、平成29年夏に単行本と漫画本を同時に再版されました。現在二つ合わせてミリオンセラーになっていますのですでにお読みになった方も多いのではないかと思います。著者の吉野源三郎氏は、明治32年生まれで昭和56年82歳で亡くなりました。児童文学者であると同時に雑誌「世界」の初代編集長で岩波少年文庫の創設にも尽力され、児童文学者として子ども達を育成する視点も持ちながら雑誌の編集長として手腕を発揮された方でした。

 吉野氏が著した「君たちは…」は、日本少年国民文庫全16巻シリーズの最終巻で成長盛りの若者に語りかけた日本を代表する歴史的名著と言われています。物語は、主人公のコペル君と叔父さんとの間で交わされた会話と叔父さんノートによって展開していきます。父親を亡くしたコペル君のために母の実弟で大学を出てまだ間もない法学士の叔父さんが、甥っ子の成長を願って考えてほしいことや伝えきれなかったことを一冊のノートに書き溜めていきます。記載された叔父さんノートは、いくつかのテーマについて答えを提示するのではなく、物事を深く洞察し考えるヒントを与えてくれます。

 この作品が刊行されたのは、昭和12年ですから第二次世界大戦が、始まる2年前です。その頃の世相は、国外にはアジア大陸へ侵攻を始め国内では戦争へと突き進む重たい空気が広がっていました。自分では、どうしようもない社会全体の流れが、個人の自由を奪い抑圧された時代でした。主人公のコペル君は、多感な14歳で中学2年生です。当時の中学校(旧制中学校)は、義務教育ではありませんので試験を受けて進学した少数派エリート層でした。多くの子供たちが、尋常小学校か高等小学校で学業を終えていた時代に中学校に在籍していたコペル君は、叔父さんとの交流の中からものの見方について学んでいきます。

 昭和12年に刊行された著書ですのでコペル君は、おそらく大正終わり頃の生まれではないかと想像されます。今生きていればおそらく90歳前半の高齢者となっていることでしょう。高齢となったコペル君が、90歳代の視点から今の世の中を見たらいったい何と語りかけてくれるでしょうか。そんなことを想像していた時、「君たちは…」の再版と同じ昨年夏頃に刊行された五木寛之著「孤独のすすめ」と昨年年末に刊行された「百歳人生を生きるヒント」は、人生後半の生き方について私たちに多くの考えるヒントを与えてくれます。

 五木氏は、昭和7年生まれの86歳で今も現役で活躍されている作家です。生後間もなく教師の父の赴任に伴ない朝鮮半島に渡り子供時代を過ごされています。村の小学校では、現地の子供たちと見えない壁があり、父が管理していた学校の図書館の本を読み耽ることが唯一の楽しみだった。そんな背景からか含蓄ある哲学で著された「青春の門」をはじめとして「大河の一滴」や「林住期」あるいは「親鸞」など多くの著書を読まれた方が多いのではないかと思います。

 著者は、「孤独…」の著書で老齢期に「春愁という感覚」の大切さに触れています。秋という字の下に心と書いて愁(うれい)と読む漢字の頭に春を置く「春愁」とは、うららかな陽気な春の季節になんとなく「わびしく」気持ちが「さびしい」ことを意味します。春愁とは、悲しみや失望とは異なるなんとなく心が晴れない漠然とした不安定で情緒的な陰性感情です。

 五木氏は、この著書の中でその愁いがはっきりと見えてくる人生の後半や最終章に至った高齢者は、むしろそれを自然にあるがままに受け入れるという生き方がいい。不安が重なる人生の最後の季節を穏やかにごく自然にあるがままの現実を認め春愁をしみじみと味わう。そのような心境は、高齢になって初めて得心できる感覚なのかも知れません。しかしこうした境地は、まさに高齢者ならではの「社会が求める賢老という生き方」ではないか。五木氏のこれらの指摘は、私が日頃診察室でお目にかかる高齢になられた患者の中で目指す一つの高齢者像と重なります。

 「百歳人生…」では、五十代から百歳への道のりという大きな課題で後半の五十年を生き抜くヒントを塾考しています。人生五十年と考えられていた時代に信じられてきた人生観や死生観の転換が求められている。人生100年時代にふさわしい生き方や人間性についてあらためて再構築し「新しい人生哲学を打ち立てる」ことが必要ではないか。五木氏は、そのための準備の大切さを述べています。五十代の事はじめ、六十代の再起動、七十代の黄金期、八十代の自分ファースト、九十代の妄想のすすめ、などいずれも鋭く深い洞察力が詰まったこの著書は、私たちに多くのことを考えさせる糸口を与えてくれます。

 そして私たちは…  吉野氏から青年層に向けた「君たちはどう生きるか」という素朴な投げかけと同様に90歳代になったコペル君から壮年や老年層に向けて「私たちはどう生きますか」と問いかけられるとなんと答えるでしょうか。人としての生き方、あるいは往き方、さらには逝き方は、それぞれの道があると思います。発展途上の人間と円熟した人間、あるいは退潮期にある人間では生き方は自ずと異なるはずです。今まで付き合ってきた仲間との関係、今まで経てきた社会との繋がり、今まで育んできた家族との結び付き、それらに対する答えは一様ではありません。人生100年時代と言われる中で五木氏の著書から多くの手がかりをもらいつつ、それぞれに折り合いを付けながら模索していくことになるのでしょう。

 私たちは、明日からの健康ために今日一日を明るく元気に、そして何よりも大切なことは年齢に関わらず準備をしていかなる時も「聡明に生きていく」…そんな賢人でありたいと思います。                                                                                                                2018.2.6  (以上の拙文は、平成30年2月号青葉区医師会巻頭言を加筆訂正して掲載しました)

81.「医師」と「医者」そして「先生」とは…

 青葉区医師会には、総務担当理事として運営に携わっています。平成28年8月号の医師会報巻頭言に以下の拙文を掲載しました。医師会員向けの文章ですが、当院のコラムとしても掲載します。

平成28年8月号巻頭言
 「医師」と「医者」そして「先生」とは…

古市 晋

 私たちが、日々行っている仕事は、臨床の現場で病める身体を元に戻そうとする継続的な作業です。作業を行う上で様々な治療法が、私たちが「医師」になった頃と比較して格段に発展して来ました。それは、基礎的な研究を行う者の地道な成果と同時に技術を使う者の弛まぬ努力の結果です。叡智とも言うべきiPS細胞が、もたらす技術の普及によって臓器再生が可能になり、技芸とも言うべき術者が、安定して血管を繋げる技術を伝承することで臓器移植が可能になりました。その倫理的な課題は別として基礎的な実験で仮説を実証する研究者の労苦と臨床的な実地で技術を発揮する術者の辛苦は、病める身体を元に戻す医療の両輪です。

 技術を手術場で発揮する脳神経外科領域では、顕微鏡を使った開頭手術とマイクロカテーテルを使った血管内手術が、Cadaver dissection による微小血管の解剖知見と有用な手術デバイスの開発によって Hybrid Neurosurgery として進化発展しつつあります。世間では、神の手を持つと言われる人が、注目を集めていますが、そのような「医者」が初めから存在するはずはありません。途方も無い時間をかけて鍛錬を続けた結果、匠の技術を習得した者が多くの患者に恩恵をもたらしています。匠の手を持つ者は、夜毎泣きながら試練に耐え自分を鍛えてやっと自在に行うことが許される位置に到達した。それは、個人の努力はもちろんのこと、それを抱える組織によっても支えられています。さらにその陰には世間に語れない少なからず患者の犠牲よって個人も組織も成長させてもらって来ました。

 さて「医師」と「医者」は、何が違うのでしょうか。
 そして「先生」とは、どのような人をいうのでしょうか。

 医師を目指す人は、幼い頃から真面目な家庭に育ち子供の時から成績も良く偏差値が高いいわゆる出来のいい子が多いと思います。偶然の星の下に生まれ育ったとは言えその環境は、本人の意識がないところで温室育ちです。世間の大きな波風にさらされることも少なく、ましてや貧困家庭で世間の底辺を見ることもない。私たちは、そんな幸せな環境下で自分の健康にも恵まれ努力を重ね試練を乗り越えて来ました。そして医師免許を取得した直後から仮にも「先生」と呼ばれて崇められて来ました。医師になるまでそれなりに苦労はあった…医師になってからも努力はして来た…とは言いながら多くの医師は、自身が健康であれば世間の苦労や生活の困難と離れた優位な立場にいると思います。

 私たちが、そんな優位な立場にいる医師人生を有り難いと思いつつ、その医師の視点は、どこか高見の見物をして高所からものを言っている場合が、多いのではないか。我が身や自分の家族が、命に係る病に陥って治療してもらう逆の立場になった時、病気を勉強して来た医師は、もっと深い人間の心を感性を磨いて勉強しなければならないと気づかされます。

 私たちが、勤める医療機関は、巨大な組織もあれば一個人によって営まれている機関もあります。その医療機関では、様々な患者を治療する機会を与えてもらっています。成書に書かれている内容を基礎的土台としながら現場で新たな発見があり、経験知を増やし成書に上書きされた自身の成書が少しずつ出来上がっていく。多忙な中で全ての患者を丁寧に診ることは、とても困難ですが、成書の上書きを重ねることで深みが加わる「医者」は、自ら傷つく経験によって研ぎ澄まされた限りなく低い視点から生まれるのだろうと思います。

 医療の中でごく一端を担うに過ぎない私たちの職を考える時、国家試験に合格すれば誰もが「医師」として資格を認定されます。その私たち医師は、いずれは自らも迎える生病老死を通して臨床経験を積み社会を通して人生経験を重ねてゆく。個人から見れば医師は、ただの私有財ですが、円熟した医者は、大きな公共財です。私たちの仕事に公共財の完成はなくどこまで大きく未完成で終わるか…その年輪の厚みによって患者からも社会からも信頼される心技体の人間力ある「医者」に近づけるのではないでしょうか。

 「先生」とは、学徳に優れた人、指導的立場にある人を指すとするならば、先生と呼ばれることに居心地が悪い気恥ずかしさを感じつつ、青葉区で地域医療を展開する私たち「学徒の医師」は、未だ「未完の医者」から僅かでも「範となる先生」に成熟できますよう継続的な作業を心を込めて日々の診療に傾注したいものです。

80.青葉区医師会20周年記念

 青葉区医師会、青葉区メディカルセンターは、平成27年に20周年を迎えました。区民の皆様のお役に立てる様に日々努力研鑽に努めているところです。20周年に合わせて記念会誌を刊行し総務担当理事として拙文を寄稿しました。
 

青葉区の未来医療を支える相互補完

「治す医療」と「生活を支える医療」

 

                                                       横浜市青葉区医師会  総務担当理事  古市  晋

 
⒈はじめに

 青葉区医師会、青葉区メディカルセンターが、20周年を迎えたことは、私たち医師会員のみならず青葉区に居住する全ての区民にとって誠にめでたい慶事です。20年という歳月によって積み上げられた医師会は、陰となり日向となりながら長年支えて頂いた諸先生のご尽力の賜物です。同時に基礎となる土台を支え幕内で黒子役を担って頂いた多くの職員皆様の努力の結晶でもあります。20年に渡り裏となり表となりながら関わって頂いた多く方々には、お一人お一人に心から敬意を表し感謝したいと思います。そのような幾多の人たちの取り組みによって青葉区医師会と青葉区メディカルセンターが、二十歳の節目を迎えた祝賀の祭典を開催出来ますのは、担当理事として誠に光栄に存じます。

⒉諸問題

 さて私たちがおかれた医療環境は、今まで育んで来た20年とこれからの10年は、全く異なる世界が展開すると予想されています。青葉区で医療を行う者は、私たちが仕事をしている如何なる形態(勤務医、開業医)や組織(大病院、中小病院)に関わらず地域医療を傍観者でなく地域共同体として共有しなければならない事態が、目前に迫っています。 それは、10年後に団塊の世代が全て75歳以上になる2025年問題として象徴される人口ピラミッドが、さらに上方へ釣鐘型に移行し、それによって推計では、75歳以上の後期高齢者は日本の人口の4分の1に達し65歳以上の高齢者は人口の3分の1になることで生じる「諸問題」です。

 これまで高齢化の問題は、高齢化率の進展の「速さ」でしたが、 今後の10年では、高齢化率の総量の「多さ」が問題となりさらに複雑にしているのが、高齢者の6分1が一人暮らしで無縁化している高齢者の過多です。男女とも平均寿命が高いと誇らしく思っていた青葉区や近隣区は、そのキャパシティーに収まりきらない高齢者の中に種々の問題を抱えて彷徨える老人が溢れると青葉区や近隣区の街は、一体どのような生活空間になっているのでしょうか。

 私たちが皆等しく年老いて一老人となった時に迎えるであろう世の中の「諸問題」や個人固有の「課題」に備える解は、そう簡単に見出せそうにありません。それは、人によって問題意識に差があり当事者意識の差によって目標やあるべき姿への許容範囲が異なるからでしょう。ある人には大問題でも関心のない人には、全く問題外です。

 しかし来たるべき予想される社会問題を共有し有機体として地域が共同体である意識は、忙殺される日常の診療の中で極めて重要な視点です。多くの人からそんな事は、あなたに言われなくてもすでに分かっているよと冷めた眼で言われそうですが、そのベクトルが種々の理由で共有されず見え難いのです。世の中の諸問題と個人固有の課題に対してある程度許されるまあまあな許容範囲の「擦り合わせ」が、是非とも必要となるのでありましょう。

⒊求められる姿

 以前より私たちが行う医療は、EBM(Evidence-based Medicine)が医療の根幹として重要視されて来ました。それは、医療を行う側にとって当然の理念であって先人の努力によって積み上げられさらに進化する EBM を中心にした医療を展開しない医師があろうはずがありません。しかし医療を行う側が、全ての患者に EBM を当てはめているわけではないはずです。根拠になる証拠が十分そろっていない疾患や治療手段が見出せない困難な疾患、あるいは死に至る病気や精神に関わる病気、さらに多様な高齢者のケアなどEBMを適用できない場合も多々あります。

 この様な時に提唱されているのが、NBM(Narrative-based Medicine )と言われる物語に基づいた医療でした。ナラティブは「物語」と訳され対話を通じて患者が語る病気になった経緯や理由、病気について今どのように考えているかなど各人の「物語」から医療者側は病気の背景や人間関係を理解します。そして患者の抱えている問題に対してあらゆる職種の医療者が全人的(身体的、精神心理的、社会的)に患者の人生観にアプローチしていこうとする臨床手法です。

 医療の世界では、個体差という曖昧さを考慮に入れて「P<0.05(=5%)」という統計用語が、頻用されこの数字が重要視されます。サイエンスとしての医療を支える客観的な判断は、EBM の95%信頼区間に委ね、残り5%はNBM による地域医療に根ざした多くの医療従事者により主観的な個人をクラウドシステムによって支える。病院と病院、病院と診療所、診療と診療、医療と介護、医療と福祉、医療と行政などのあらゆる相互の補完力こそが、次の医療の世界に求められる姿なのだと思います。

⒋キーパーツ

 EBM は疾患を横断的に観た視点であり、NBM は個人を縦断的に観た視点といえます。EBMを重視した「治す医療」とNBMを考慮した「生活を支える医療」の共存が求められる時代変革の中で私たちが実践する医療には、多くの医療従事者と重層的に「相互補完」する根拠と物語に目配りした複眼的思考が必要とされているのです。

 日野原重明先生は「医学というのは、知識とバイオテクノロジーを固有の価値観を持った患者一人ひとりに如何に適切に適応するかということである。ピアノのタッチにも似た繊細なタッチが求められる。知と技をいかに患者にタッチするかという適応の技と態度がアートである。その意味で医師には人間性と感性が求められる」と述べておられます。私たちが、行っている医療は、まさにサイエンスとアートを両輪にして真に患者の満足度を高め、そしてそれは将来自分自身に不可欠な医療になっているはずです。

 私たちが、青葉区医師会と青葉区メディカルセンターで推進しようとしている事業と医療が、他職種と共にジグソーパズルの一つのピースになれば、青葉区民にとって医療環境を新しいステージに押し上げてくれる大きなパーツになるに違いありません。それらが各医療機関の日常の診療の中で有機的に機能できれば、今まさに高齢となられている諸先輩医師はもちろん、これから近い将来高齢者となるまさに現役の壮年医師、そして遠い将来必ず高齢者となる発展途上の青年医師にとって頼もしいキーパーツになるでありましょう。

⒌今後の展開

 最後にこの様な傲岸不遜な記述をしていながら自身が、日常で如何なる診療を展開しているかと自問すれば多忙さに負けて時代の趨勢に現在そして将来付いていけるか誠に心許ない限りです。いずれ種々の課題を抱える彷徨える一老人になった時、医師会とメディカルセンターが一青葉区民として頼りになる機関であってほしいと切に願うものであります。今後の展開において多くの皆様の忌憚のないご助言ご指導を心からお願い申し上げます次第です。

 

79.有能な8名の非常勤脳神経外科医

平成27年盛夏・・・

 今年の夏は、梅雨が明けた後に台風の接近で天候不順が続き、その後酷暑の日々となっています。そんな日は、エネルギー代謝が亢進しますので少し歩くだけで滝の様に汗が流れ落ち、外でお仕事をする人や運動する人は、体力の消耗が一段と激しくなります。その様な人たちはもちろん、老人や幼い子供、或いは障害をお持ちの方は、特に注意が必要で健常者は自分への労りと同じ目線で気配りが必要です。

 4月より当院では、有能な8名の非常勤脳神経外科医が、定期の日に診療しています。同じ脳神経外科を専門としていますので疾患に対する基本的な考え方や捉え方は、共通していますが、それぞれの語り口や言葉使いは異なります。表現に多少の温度差はあるにしても全員紳士で有能な先生が、丁寧な診療をしていますので定期的に通院されている患者さんにも非常勤医師の診察を是非受けてほしいと思います。

 院長外来を通院している患者が、非常勤外来を受診することで視点が異なるアドバイスを受けられるメリットがあります。それによって医療とは、画一的で無いことが理解できるはずです。混雑緩和のため一部の外来時間帯が、二診制になっていますので時間の無い方、薬だけを希望される方も上手にご利用頂ければ幸いです。

 さて私たちは、どんな人も病気になった時、あるいは加齢に伴って身体の不具合が増した時でも可能な限り住み慣れた土地で暮らし、自分が自身の事を決められる人生を最期まで続けたいと願います。このような時に医療では、どのような答えが用意されているのでしょうか?

 政府の医療政策では、地域の「中核病院、あるいは大学病院」と「クリニック」の機能分担を明確化し「掛かり付け医」を持つよう勧めています。そして尊厳を保持し自立的生活を支える目的で「地域包括ケアシステム」(地域の包括的な支援とサービスの提供体制)の構築を推進しようとしています。そのシステムを医療の側面から支えるには、それぞれの医師の「個人力」と中核病院あるいは大学病院の「組織力」が、その地域で最適にバランス化されているのが理想です。

 ところが私1人の個人力では、掛かり付け医の役割りを十分果たすには能力不足と実感しています。そこで当院では、地域の中核病院あるいは大学病院から有能な8名の「非常勤医師の個性(パーソナリティー)と個人力」をお借りして「大病院の公益性(ユーティリティー)と組織力」と協働し、地域で人を如何に有機的に補完して診ていくかを目指しています。

 忙しい中を診療に来て頂いている非常勤の先生とそれらの診療を小まめに支えてくれているスタッフには、お一人おひとりに心から感謝しその言葉は尽きません。一人では成就しない事業で多くの人たちとの関わりの中で学んだことは、種々の問題や軋轢があっても一つ一つの課題を伴に悩み相手の立場で丁寧に考えていけば、半学半教の人生の伴走者として克服し進化していけるだろうと。しかしまだまだ勉強や修行、そして時間が足りない・・・。その限られた時間を有効に使いながら社会の動きや人の心を自分の命が全うするまで学んでいきたい。来年には、人間的に1ミリでも成長していたい。

 そんな思いを新たにした平成27年盛暑の夏です。

ページトップへ戻る