コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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76. 美意識の本質と根源・・・「普遍的な美」とは何でしょうか?

「美しい人」とは、私たちの周りにいる人の中でどんな人を指すのでしょうか。
「普遍的な美」とはいったい何か、この永遠なる命題に対して古代ギリシャのプラトン以来多くの学者が、論じて来ました。

美しいという言葉は、どんな事であれ、私たちが憧れをもって語られる言葉です。美しい容姿、美しい行動、美しい言葉、人から醸し出されるさまざまな所作は、美しければ多くの人に憧れを与えてくれます。また美しい草花、美しい庭園、美しい建物も天地がもたらした自然物や人が創作した造作物が、多くの人たちに感動を呼び起こしてくれます。

では、この「美」とはいったい何でしょうか。人はどんな美に憬れ、どんな美に感動するのでしょうか。プラトンの不肖の弟子と勝手に称する私が、「美しいとは、いったい何ぞや?」と無い頭をひねって愚考してみました。

美意識というのは、洋の東西を問わず、場所の地域性や時のはやりを越えた美しいものがあると思います。まずは建築物と建造物における文化と習慣の違いについて、海外と日本の違いから美意識の奥義を探ってみました。

海外の美しい建築物で一番象徴的な場所は、バチカン市国にあるカトリック教会の総本山サンピエトロ大聖堂だと思います。聖堂の正門にある大きなサンピエトロ広場は、左右に配された楕円形の回廊で囲まれています。

広場を囲むのは、ドーナツ状に並んだ数百本からなる回廊で柱の上から聖人像が広場を見守っています。あたかも大きく広げた両腕の中央に母なる教会を訪れた人々に両腕を差し出して抱擁しているように見せるための設計者の意図があるようです。

海外の美しい建築物の中では、フランスのベルサイユ宮殿にあるベルサイユ庭園もまた究極の美と称されるものでしょう。その庭園は、ベルサイユ宮殿の中心へ延びる央道に繋がる沿道を軸索として噴水や花壇が左右に配置されています。

フランス中の至高の芸術と最高の技術を集めたとされる均整のとれた庭園は、当時類をみない完成度の高さで王の権威を告げる象徴とされました。水無きセーヌ河から水を引き込み噴水を作り、造作された芝生は幾何学模様に整地されました。これは、王の権威が、誰よりも強く自然さえも支配している精神の黙示でした。

サンピエトロ大聖堂における「神の慈愛」とベルサイユ庭園における「王の権威」。この無形のものを世に誇示しようとする時、神と王の代理人たるその設計者は、その命を受けてどのような意図をもって美を造作したのでしょうか。

そのキーワードは・・・
威容の象徴化である「スペクタクル(壮大さ)」とともに美の完成形といえる「シンメトリー(対称性)」です。

威厳で力強くあるべきものに対する勇姿の意味が込められたスペクタクル(壮大さ)
完璧で美しくあるべきものに対する憬れの意味が込められたシンメトリー(対称性)

どこから見ても整っているこの形は、古来から完全の象徴とされ現在においても美の究極とされています。

ところで・・・
4年前に行われた北京オリンピック開会式のアトラクションで孔子の門弟に扮した3000人が、活版印刷の巨大な活字群として登場しました。このシーンは、記憶の底に残っている人も多いことでしょう。

活字の一文字一文字は、あたかも海面の波がうねるように版面が上下することで文字が表示されました。最後に活字の上面が開くと活字群を動かしていたのは機械ではなく人の力であったことがわかります。

北朝鮮では、ロボットが演じるようなマスゲームが統一した国家の象徴として繰り広げられています。軍事パレードでは、軍人が真似の出来ない足を真っすぐ跳ね上げる行進をしています。

中国や北朝鮮の指導者たちが、思い描く美の根幹は、威容な完全を目指したまさしくこのシンメトリーを基調としたスペクタクルそのものでした。

これを見た時、私は、心の中で思うのでした。

 (中国の劇団のみなさん、とっても大変でしたねえ
  ところで、日当には、一体いくらもらってますねん?
  あたしゃ、仮に日当が良くても、こんな演劇は絶対できませんな
  北朝鮮の軍人のみなさん、お疲れさんでしたねえ
  ところで、足腰には、一体いくら湿布を貼りますねん?
  あたしゃ、仮に足腰が強くても、こんな行進は絶対できませんな)

以上の( )は、劇団と軍人に対する私のシニカルな哀切とアイロニカルな憧憬に満ちたつぶやきでした。

では、当事者たる中国劇団のみなさんと北朝鮮軍人のみなさんは、どう思っていたかと想像すると終了直後は達成したことによる高揚感に浸っていたことでしょう。またそれを眺めていた指導者たちは、「パーフェクト(完全)」であったことに満足してそこに美意識を覚えたに違いありません。

外国におけるこれらの根底を踏まえながら、次に日本の美に対する意識を考えてみます。華道や茶道、あるいは俳諧などの伝統文化、建築や美術における美は、西欧や社会主義国家におけるそれと異なるように思います。

日本を代表する伝統文化の象徴と言えば、まず最初に京都にある竜安寺の石庭を上げなければなりません。その石をただボーッと眺めれば、砂地を敷き詰めて帯目を付けた長方形の敷地に15個の大小の石が、一見無造作に5ヶ所点在している、ただそれだけの庭です。

でもこの庭は、その造作物の配置だけで完成するわけではありません。直線的にあるいは同心円状に正確な掃き目を付けられた砂地と点在する石。それらは見る者が、目を細めて眼前にある造作物の景色を眺め、さらに脳裏に蘇った自然の摂理で生まれた景色をそこに重ね合わせる。虚心に想像力が入ることによって、見る者の心の中でようやく完成する。そこに創作者の意図があるようです。

ある人は、白砂は大海原に漂うさざ波を、点在する石は海原から顔を出した巨岩を想像されることでしょう。私はといえば、白砂は山頂から眼下に広がる大雲海を、点在する石は、雲海から頭を出した山の頭頂を連想し、北アルプスの嶺峰が蘇ります。

日本の美しい建造物では、京都にある離宮の建物と庭園が日本美の極致と称されるものでしょう。床柱には、整形された角材ではなく大きく歪んだ自然丸太材が多く使われています。これは茶人たちが、自然を生活として生かそうとする心に他なりません。

また生け花を飾る時やお茶を点てる時には、素でありながら茶室全体の調和が保たれています。丸い釜を用いるなら水差しは角張ったものを使い、花瓶や香炉は空間を独占するような床の間の中心には置きません。

これは、重複や対称の威容を避けることで敢えて均整を崩し、簡素な生活で行為の本質だけを抽出して自然さえも癒合している精神の明示でした。

石庭における「自然の摂理」と離宮における「生活の実用」。
古来から自然災害が、多い日本の社会の中で災害と生活を共存しようとする時、摂理と実用の共生を目指す創作者は、どのような意図をもって美を造作したのでしょうか。

そのキーワードは・・・
自然の摂理に背かない「シンプリシティ(素朴さ)」とともに生活の実用にかなった「インバランス(不均衡)」です。

雄大で畏敬すべき自然に対する虚心の意味が込められたシンプリシティ(素朴さ)
日々で機能すべき生活に対する実利の意味が込められたインバランス(不均衡)

どこから見ても整っていないこの形は、古来からわびさびの象徴とされ現在においても日本美の極致とされています。

明治の思想家で日本の美術界に多大な影響を与えた岡倉天心は、このような特長を1906年(明治39年)にアメリカで出版した著書「茶の本」の中で次のような言葉で記載しました。

 「真の美は
  不完全な心の中で完全なものにする人だけが
  発見することができる」と。

天心は、日本の美的感覚の本質は、「インパーフェクト(不完全)」と表現しました。
俳句は、完全に表現しない中に情緒が生まれ、日本画には余白や間に心が宿る。その本質が、インパーフェクトだというわけです。

プラトンの不肖の弟子と勝手に自称した私が、「美しいとはいったい何だろう?」と無い頭を捻って考えた結果、分かったことは・・・

 外国における美意識の本質は、「完全」であり
 日本における美意識の本質は、「不完全」であったと。

最後に・・・
私たちの周りにいる人の中で本当に「美しい人」とは、どんな人でしょうか。
最近、隣国の中国、韓国、そしてロシアの諸国と領土を介した軋轢が、噴出しました。
私たちは、事の推移を見守るしかすべはありませんが、美意識の観点からすれば、領土の他にも守るべきものがあるように思います。

国が違えば文化が異なり、文化が異なれば美意識も一様ではない。それは文明の宿命だとしても長い歴史を経たその国あるいはその社会特有の好みは、時代を経るに従って誇張され独りよがりの完全な「排他的な美」に陥ってしまいます。今、世界の中にそんな醜い国が、如何に多いことかと思います。

領土を保全する目的を遂行する時、その言動には世界にいる人間のだれもが、美しいと感じる「普遍的な美」を日本人は忘れてはなりません。というよりも偏狭で「排他的な美」よりも幅広い「普遍的な美」を日本人こそが守らなければならないと思うのは、私だけではないでしょう。

私たちは、自然の摂理にかなったものを美しく、生活に資するものを美しいと感じます。「普遍的な美」にこそ「美の根源」を求め、より善く生きる日々を紡ぐ「美しい心ある美しい言葉と行動の人」になりたいものだと思います。

私は、老若男女を日常診療で診ながら、その人間観察の中から美しく粋に生きる老人の姿によって目指す人間像といずれは誰もが訪れる老人像を学ぶ9月17日敬老の日でした。

2012.9.17

75. -巻頭言-(平成24年3月号月報)

  今回のコラムは、横浜市青葉区医師会ホームページ「平成24年3月号月報 」に掲載
  される予定の寄稿文「巻頭言」を医師会員に公開される前にそのまま転記しました。
  (一般者は、青葉区医師会会員専用ログインから進入することが出来ません)

共生を目指して社会に資する地道な活動
              古市 晋

 平成24年2月20日、最高裁は、13年前の光市母子殺害事件に対して被告の上告を棄却する判決を言い渡しました。始まったばかりの幸せな家庭を奪われた日から13年にも及び闘った家族は、判決後の記者会見で「嬉しいとか喜びとかの感情は全くなく、厳粛な気持ちで受け止めている」という言葉を語っていました。

 家族は、平成12年3月、地裁が無期懲役の判決を出した際に「早く被告を社会に出して私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」と涙をこらえながら記者会見で言い切っていました。家族を守ってやれなかった事への自責の念に苛まれ、人を殺すと公言した人間は、世間から恨まれて当然と思い込んでいた家族にその後多くの励ましの言葉が届いたといいます。長い間苦悩し続けた家族が発する数々の言葉と今回の重い判決を聞き、心の中で涙を流した人も多かったのではないかと思います。

 司法の判断は、犯された犯罪に対して『証拠に基づく裁判』が、法律によって適正に運用される事で社会正義が、担保されているはずです。しかしその法律は常に不完全であって時代の変遷によって陳腐化し、あるいは置かれた社会の環境や人々の心の在りようによって運用が異なるのは、当然の理と思われます。今回の最高裁の判断も被告人の情実によって斟酌される部分があったとしても重い刑罰を排除する特別な理由はないとされました。

 さて、私たちの医療の世界を考えてみますと、10年以上も前から『証拠に基づく医療』(EBM=evidence based medicine) という言葉が提唱されて来ました。その出自の背景は、多数を対象として無作為に出された平均値であり、ガイドラインやマニュアルとしてまとめられることで治療のばらつきの少なさに繋がっています。それが、疾患の治療方針と患者の治療効果に大きく貢献したと言われています。

 ところが私たち臨床医が行う医療は目前の患者であって、その一人ひとりの患者は個人として心身一如の存在です。多数例の平均値的医療は、身体的疾患に有用な治療にはなり得ますが、心身を包含しなければそれだけでは医療は完遂しません。人間のゲノムが解読されたポストゲノムの時代にあって近い将来必ずやってくるであろうゲノム医療は、心の在りようを含めた personalized medicine が医療の中心になっているでしょう。

 『証拠に基づく裁判』と『証拠に基づく医療』は、似て非なるものでありますが、心が通う人間が運用し、心身が一如の人間に適用されることに違いはありません。法律やガイドラインは、常に未完であって「疑いのない絶対な裁定」や「間違いのない安全な医療」などはあり得ません。それ故に私たちが行う医療は、集積された証拠に根拠を置きながら個々の患者を前に心身一如に依拠した判断が、個々の医師に求められている。そしてその裁量権が与えられている私たち医師は、諸行無常の中でその時代とその地域の環境に合った適切な医療を選択できる敏感度を研ぎ澄まし眼識力をより一層養う必要があると言えるのでしょう。

 私たちは、所詮どこにでもある(どこにでもいる)路傍の“石(医師)”であるかもしれませんが、医療の片隅を照らすその“意志”には、路肩にある踏み石となっても央道に形成される医療の本質を見抜く力が不可欠です。その力は、私たちが日々歩む一期一会の研鑽で地道な実践を積み重ね、謙虚に「患者から学ぶ」王道で培うしかないのだと思います。

 こんな観念的な医療理念を描きながら、先の最高裁が出した判断後に行われた記者会見で家族が述べていたことにも共感を覚えました。家族は「今は自分の生活を立て直しに懸命になっている。事件のことを考えずに生きるのは無理だが、これからはしっかりと家族を持って維持し社会に資する人間になろうと思う」と。最後まで感銘を受ける深甚な明晰さから凛とした地に足を付けた姿勢の尊さを教えられたのでした。

 季節は、早くも櫻咲く3月弥生です。控えめな淡い色彩で澄み切ったほのかに香る櫻の花は、自然の摂理に従って春暖の候に蕾が膨らむ。そしてその花びらは風雨に負けることなく咲き誇ろんだ後、いずれ役目が終わって時が来ると潔く静かに散ってゆく。医師会会員の皆様におかれましては、青葉区の医療がさらに発展するようお互いに情報の密な疎通を行いながら、共生を目指して社会に資する地道な活動を伴に切磋琢磨し歩んで行こうではありませんか。

平成24年3月4日 記

74.作用と反作用の共鳴力

12月31日、大晦日。
熱い夏が終って、あっという間に秋冬となり、今年もあと数時間で終ろうとしています。
そして普通のように翌朝になると、また新たな一年が始まる時を迎えようしている今この1年間の日常を通して感じたことを綴っておきたいと思います。

今年を象徴する漢字が、「絆」に選ばれたように東日本大震災発生後は、この言葉が盛んに使われました。
この漢字は、私たちの日常生活の表層であまり意識しない地下の奥底に埋まっている根っこを震災という激烈な鍬によって掘り起こしてくれたように思います。

では絆とは、いったいどのような意味なのでしょうか。
言葉の語源は、動物を繋ぎ止める綱のこと。
人が、動物を思うがままに動かすための道具としての綱が、当初の絆。人と動物の主従関係を示す道具が、「繋がれている」綱でありその象徴として「繋がる」という言語の始まりが、絆だったのです。

この言葉が持っている初期の意味合いは今私たちが遭遇している環境の中で使われている絆の語感と多少の違い、いやむしろ大きな差異があるように思います。

絆という漢字をもう一度よく見直してみると左に位置する偏は「糸」であり右に位置する旁は「半」となっています。

この言葉の語源は、動物を縛る単なる綱が出発点だったとしても綱を引いたり離したりする強弱や綱を振動させたり静止させたりする振幅によって動物も反応することを見通した言葉だったのでしょう。

「糸」は、一方方向に相手の力加減に関係なく引っ張り過ぎると切れてしまいます。
双方の力の相対を考慮しつつ半分は引っ張りながら、半分は引っ張れながら半分半分の意味を込めて、繋がる結び付きを重視して「糸」+「半」と書くのではないか。
2011年の今年の漢字に絆が選ばれた時、私はそのような思いを抱きました。

この漢字が、今年の象徴語として発表され、そしてその意味を考えていた時私は、もう一つの言葉が頭の中に思い浮かびました。

その言葉とは・・・
「半学半教」という言葉です。

この言葉は、今はほとんど使われなくなって馴染みのない用語ですが江戸時代から明治初期にかけての教育機関でよく使われていたものです。
特に経営基盤の弱い民間私塾においては、もっとも一般的な教育形態でした。

江戸時代に寺子屋式教育から明治時代になっても教育機関が未熟な社会では、学生が教育されながら同時に教育もする。
個々には学生にして、集団には教師の役割も兼ねるという半分学びながら半分教える半学半教の仕組みが、ありました。

この形態は、社会が未成熟な段階では当然で教育効率としても不可欠なシステムだったのでしょう。
でもよく考えてみれば、半学半教という概念は教育という場に限ったことではなく、社会に出てからも人間が行なう遍く行為では当り前とされるものだと思います。

数年前 、半学半教という言葉とその意味を知った時、当り前と思いつつ12月に、絆という言葉の語源と裏にある意味を理解し私たちの生活は、常に作用と半作用の狭間で生かされているのだと気付ずかされます。

私は・・・
 日常の診療の中でご来院頂く患者さんから学び、そしてその経験の中から
 教科書に立ち戻って知識を吸収し、おこがましくも医療を担って来た。

 日常の仕事の中で職場で働く多種職員から学び、そしてその経験の中から
 役に相応しい適切な仕事を按分し、おこがましくも業務を担って来た。

 日常の生活の中で日々成長する子どもから学び、そしてその経験の中から
 威厳なき親の器の狭量さを反省し、おこがましくも親業を担って来た。

このようにあらゆる局面場面において物理でいう「作用と反作用の関係」のようにお互いに共鳴しながら生きている力になっているのだと思います。

絆という言葉の意味を考えた時、半学半教という言葉もまた私たちの日常生活の土の中に埋もれた根っこ力だと思いました。

震災では、多くの人が亡くなりました。
親族縁者でない私のような路傍の者でさえ今でも哀悼の意を捧げつつ・・・

死と何か、生きるとは何か、という重いテーマは健康な時から老化について一人ひとりが、勉強して自分で考えなければいけないことだと思う。

喪に服し法要を営むという行為についても亡くなった人を少しづつ心の整理箱に仕舞い込んでいく作業ですが忘れ去るための儀式ではありません。

亡くなった人への強き思いを一生胸に刻むことであり自身が、勇気をもってまた前に歩み出す決意を固める日なのだと思います。
人は、生きている限りにおいて前進あるのみですから。

今年も1年間、多くの人にお世話になりました。
患者さん、職員の皆さん、業者の方々、友人知人そして家族や親族に助けられながら仕事が出来ました事を心から御礼申し上げます。

私が関わった多くの皆様が来年も健康で幸多いことを祈念し、今年最後のコラムと致します。
来年もよろしくご指導をお願致します。

2011.12.31

73. 朝起きの時代

9月下旬になると、夜が明けるのが、だいぶ遅くなって来ました。
横浜における日の出の時刻は19日敬老の日が午前5時26分、23日秋分の日が午前5時29分でした。

昼と夜の長さが、ほぼ同じになる秋分の日が、終った頃私は、私たちにとって24時間とは何かとりわけ「朝の効用」「朝の意義」について考えてみました。

私たちは、太古から夜明けとともに起き、日没とともに活動を休止するのが人類誕生して以来、続いてきた生活形態でした。
人類が誕生した頃、雷や火山の噴火によって起こった自然による火災を利用して生活していました。

たまたま起こった災害から出た火の粉を頼りに生きていた人々は、自然とそれこそ命を賭けて対峙していたと思います。

自然と真剣に対峙していた当時の人々が風で擦れ合う木々の枝から発火するのを偶然見た。
たまたま火が興る瞬間を偶然に遭遇しそれをきっかけに自然から発火する術を学び取った。

乾いた木を横に置いて、その木に垂直に別の木を当て擦ることで摩擦の熱が発生し発火する。
この術は、人類の最大の発見でした。

火を絶やさないことで夜を明るく過せ寒い土地でも暖かく生活できるようになった。
このような火の発見は、50万年前のことだと言われています。

偶然手に入れた火が、私たち祖先に与えてくれたもの
それは・・・
闇夜を照らす「明るさ(光)」と厳冬を耐える「暖かさ(熱)」の二つです。

夜行の獣から身を守り、寒くなった体を温めてくれる火を家長は家族のために大切にし、これを絶やさぬように番をしながら守り続けることが彼らの宿命だったのでしょう。

明るさと暖かさに癒されながら夜明けとともに起き、日没とともに活動を休止する。
「朝」が、私たち人間の日々の暮しにとって「蘇り」の時で人類の誕生以来、延々と続いてきた生命の循環でした。

ところが、近代になって電気が発明されさらにおよそ100年ほど前に電灯が出現します。
この術は、人類で二番目の発見と言われています。

それによって、私たちの生活は、夜も活動可能になり生産活動を上げるため24時間だれかが動いています。

通常、私たちの一日の流れは、それぞれの地域、すなわち国単位で日の出から一日が始まり、日の入りで主な活動は終息します。
でも、電気の力によって、その後私たちは、多大な「明るさ」と「暖かさ」を手に入れました。

経済や社会の国際化の中で、たとえば金融市場ではニューヨーク、ロンドン、香港、そして東京と24時間どこかで活動されていて、一瞬の休みもなく情報や通信が飛び回っています。

医療は、どうかと言えば、時間帯によって活動の軽重はあっても基本的には、24時間活動が続いており究極の命を守るという意味では、休みはありません。

しかし、経済や社会、あるいは医療が、その総体として24時間活動しているとはいってもそれぞれ働く個々人は、朝から仕事が始まり、夕刻には終息する。
その後は、夜の勤務を担う人たちが、業務を引き継き、翌朝まで継続します。

かつて、私が24時間体制の救急病院に勤務していた頃一日の24時間の中で、病院にとって、朝がいったいどんな時間帯なのかとりわけ早朝という時間帯が、私たち人間の活動と病気の発症においてどんな関連があるのかを身をもって体験していました。

病気が、発症し難い時間帯というのは人間のバイロリズムと密接な関連があると言われています。
その関連は、大自然が織り成す24時間のリズムと一致して早朝の3時~6時が、病気の発症頻度、とりわけ脳卒中が少ないのです。

だから、私は、今もこの時間帯が一番好き。
朝、まだ誰も起きていない日の出より更に早い時刻に目覚めて活動を開始することによって、一日の生活が引き締るように思います。

この数時間が、だれにも邪魔されない至福の時間。
本や新聞を読み、資料に眼を通し、ある時は専門書を開く。
思索を巡らして計画を練る。
文章を書くのも早朝に書いた文面は、何故が素敵な言葉が、湧き出て来ます。

高校時代の国語の先生から、ラブレターは朝に書けと教わりましたがなるほど、確かにその通り・・・。
(この国語の恩師は、今でもおっかなくて頭が上がりません)

「よ~し、この○○レターの文言は、なかなかイケてるぞ」
などと一人ほくそ笑みながら、恩師のご助言を今も忠実に守っている(?)。
朝の理性は、客観的で冷静な判断を下せる大脳生理の「朝の効用」なのでしょう。
この朝の効用が、どのようなレターに生かされて、実効あるのかは、不明ですが。

以下の( )内は、著者の心の内をつぶやきとして述べたもの。

 (一ヵ月に約40~50通の○○レターを書いています。
  40~50人の相手の顔を想い浮かべて、美辞麗句を並び立て、それはそれは丁寧な文言です。
  自分でもウットリしそうなお手紙は、差し出した相手と相思相愛。

  ○○レターとは、いったい誰に宛てた手紙なのでしょうか?
  そんな多くの愛人を隠し持っていたのか?
  もしそうだとしたら、多くの男性からは羨ましがられ、多くの女性からは嫌われる?

  いやいや、そんな訳がないでしょうが。
  ○○レターとは、近隣の病院やクリニックから紹介を受けた患者さんについて紹介医への返書
  つまり診療情報提供書=メディカル・インフォメーションという「報告レター」でした)

早朝は、私たちがどんな時であれ、確実に清々しさを与えてくれます。
大自然の夜明けに立ち会うと、自然が織りなす余りの美しい光景に心を揺さぶられます。

玉などが、透き通るような光輝く玲瓏たる朝の光を全身に浴びるとその瞬間心は広がり、爽快な気分になって今日もまた、一日がんばろうと思わせてくれるのが「朝の意義」なのでしょう。

確かに、人類にとって「朝の効用」と「朝の意義」は普遍の真理だとしても朝起きは、すべての人のただ単なる健康法や問題解決法ではないと思います。
なぜなら、朝起きが苦手の人もいれば、病気のために朝起きが困難な人もいるだろうから。

灯火の力を得てから50万年
電気の力の使用から100年
そして・・・震災から 半年が過ぎました。

私たちは大自然の摂理が貫徹した「朝」に効用と意義を認め人類が発見した「灯火」と「電気」に英知を感じます。

そして、朝陽に照らされた生命の源となる貴重な日の出の時刻を私たちは、朝早く起きて過すことが出来ればどんな困難にぶち当たっても、どんな試練に遭遇してもまた新たな「勇気」と「気力」が、みなぎって来るのではないかと思います。

「朝起きの時代」
それは、太古から人類の遺伝子に仕組まれた生き知恵でした。

2011.9.26

72. 此岸町1丁目1番地

ー「がんばろう・日本」と「やり切ろう・人生」ー

3月11日、午後2時46分。
誰もが、記憶に刻まれたこの日時に、私たちは、どこでどのように過していたでしょうか。
そして、数ヶ月経過した現在、更にこれからの未来を、如何にして過していけば良いのか。

震災後、4ヶ月以上が経過して、世の中の動きを眺め、多くの人たちの思いを聞きそして、日常の診療が継続出来て、今ここに生きている有り難さを痛感しながら思考を巡らしてみました。

震災当時、私は午後の診察が始まった直後であり撮像した MRI 画像を患者さんに説明している真っただ中でした。
突然、窓がギシギシと音を立てながら、診察机が大きく左右に揺れましたがそのうち、揺れは収まるだろうと高を括り、患者さんを横に平然と説明を続けていました。
ところが、全く収まる気配はなく、その後の事態が、今日のこのような状況に至るとは。

東日本大震災がもたらしたもの・・・
それは、人の不条理な死であり、物の不条理な喪失であり、そして人生の不条理な運命でした。
まさに人の意思では制御不能な、絶望的な状況として、不条理だらけでした。

身近な家族や知人を失った時
今まで積み上げて来た大きな財産を失った時
そのようなとてつもなく大きな悲しい運命に襲われた時に

私たちが、賢人であるならば、その大人の振る舞いとしてこのような不条理に、どのようにして対処しそこからの理不尽を、如何にしながら消化しあらゆる試練に対し、どう向き合って昇華しさらに乗り越えていけば良いのでしょうか?

如何なる精神的修行を積んだ、行者や宗教家であっても
如何なる肉体的鍛錬を重ねた、豪者や運動家であっても
この途方もない命題の解を、簡単に提示できる人は、だれ一人としていないでしょう。

そんな命題へのわずかな糸口を探していた時最近読んだ本の中から「セレンディピティ serndipity」という言葉を知りました。
この言葉は、昨年ノーベル化学賞を受賞された根岸英一さんがシンガーソングライターの松任谷由実さんと対談されている中で使っておられた言葉です。

セレンディピティとは、英語の辞書にはない造語だそうですが、その語義は「何かを探している時、探しているものとは別の価値あるものを発見する能力や才能を指す言葉」だそうです。

何かを発見して得られた獲得物ではなく、何かを発見するための潜在能力を指します。
これをもっと普遍的に言えば
 「日常的な平凡な生活の中から小さな仕合わせを見出す能力」
そしてさらに言い換えれば
 「そのフッとした偶然のチッポケな閃きを仕合わせと感じられる素朴な感性」
とも言えそうです。

90歳を過ぎてから詩を始め、自費出版した処女詩集「くじけないで」の著者柴田トヨさんは、まさしくセレンディピティある人と言えるのではないでしょうか。

根岸さんは、松任谷さんとの対談で次のように語っています。

 「残った我々は、悲しみを深めていくことより
  自分の守備範囲の中でやるべきことを続けて行くしかない」
  ・・・
 「続けているうちに、またその過程を噛みしめられる時が、必ず来るだろう
  大きな不幸があっても、それでも人生は続く Life must go on ! 」と。

この言葉の意味を知った時
私は、途方もない運命を背負った人が、苦しい日々を続ける中でもふとした偶然のチッポケな輝きに、幸せを感じてほしいと、切に願いました。
そんな感性を鈍らせないでほしいと、心から思いました。

人の幸不幸は、体重計で量れるものではなく、仕合わせに均質な幸福はないと思います。
そこに必要なのは、たまたま巡った偶然を好しと感じ取れる感性のみです。
如何に歳老いても、如何に奈落の底にいても、この感性は、錆び付かせてはいけない。

90歳にして、感性を鈍らせていない柴田トヨさんは、まさしくお年寄りの見本です。

今、日本は、あらゆる分野で覚醒と再生に向けたヴィジョンを求められています。
震災以来、叫ばれている「がんばろう・日本」は、今の最大公約数的なメッセージである。

ただ、この言葉もいずれは、時間と伴に風化と直面することは避けられず人々の心の底に眠っている鐘を鳴らすために、強い訴求力ある新しい象徴語が望まれます。

私たちは、今後
日本国を遠視眼で見る大局的観点と、被災地を近視眼で見る局所的観点を複合しながら心の釣り鐘を揺り動かす新しいメッセージが、必要となるでしょう。

幼い頃から有り難うを言われる嬉しさを体験している者は「してもらう仕合わせ」と同時に「してあげる仕合わせ」にも心地よさを感じそれが、仕合わせの循環となって、大人の振る舞いとして身に付いていく。

この「してあげる仕合わせ」を少しずつ積み重ねて他人の事を自分の事のように喜べる人間へと、さらに成長することができれば私たちの人生は、より豊かになると思います。

この震災では、途方もない人が、亡くなりました。
その一人ひとりの霊魂は、残された親族の心の底に深く刻み込まれています。
残された親族も、何らかの理由によって、宿命としていずれはどこかで必ず亡くなるはずです。

今まで人類史上、亡くならなかった人は、誰一人としていませんから。
だから、自分がいつ死ぬかなどと心配しなくてもよい。人類の致死率は、100%。
いずれは必ず死にますから、安心して暮らしましょう。(・・・?)

被災で残された者が、いずれ天国に行った時すでに亡くなった父や母、夫や妻、あるいは子どもたちから彼岸で何と声を掛けられたいかと想像すると私なら、3年半前に43歳で亡くなった妻にこんな言葉を掛けてもらいたい・・・

「この世で、あなたがやりたい事を、十分やり切りましたか?」と。
そして、私は、妻に次のように答えたい。
「うん、ボクがやりたい事は、この世で十分やり切って来たよ」と。

天国では、すでに先輩格に当たる妻は、広大な天空の道案内をしてくれるため彼岸の入り口にある彼岸町1丁目1番地まで、迎えに来てくれることだろう。
そして、私は、短かった妻の人生を代償に、その掛替えのない支えによってこの世で悔いなくやり切れた事に、感謝の気持ちを伝えることだろう。

私たちは広漠として理解する「がんばろう・日本」という、外への静的な共通イメージの中に了然として挑戦する「やり切ろう・人生」という、内への動的な新メッセージを込め豊かな生涯になるために、それぞれの此岸町1丁目1番地、即ち最優先課題を見つけ一日一日歩むことが、必要なのではないでしょうか。

広漠とは、はてしなく遠く広いさま
了然とは、はっきりと良く悟るさま

彼岸町1丁目1番地は、いったいどこにあるか・・・
私は、まだ行ったことがないのでその詳細は知らない。
此岸町1丁目1番地は、いったい誰の所有地か・・・
私は、それぞれの心の敷地内に秘められていると思う。

「しあわせ」という言葉は、人々が、お互いに仕え合う意味であえて「仕合わせ」と私は書きたい。

不条理な運命で亡くなられた人びとのご冥福を改めて祈りながら人の生死と生き様について、そんな思いを巡らした震災後の4ヵ月でした。

2011.7.24

 彼岸(ひがん=あの世)
 此岸(しがん=この世)
 1丁目1番地(=原点)

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