コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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81.「医師」と「医者」そして「先生」とは…

 青葉区医師会には、総務担当理事として運営に携わっています。平成28年8月号の医師会報巻頭言に以下の拙文を掲載しました。医師会員向けの文章ですが、当院のコラムとしても掲載します。

平成28年8月号巻頭言
 「医師」と「医者」そして「先生」とは…

古市 晋

 私たちが、日々行っている仕事は、臨床の現場で病める身体を元に戻そうとする継続的な作業です。作業を行う上で様々な治療法が、私たちが「医師」になった頃と比較して格段に発展して来ました。それは、基礎的な研究を行う者の地道な成果と同時に技術を使う者の弛まぬ努力の結果です。叡智とも言うべきiPS細胞が、もたらす技術の普及によって臓器再生が可能になり、技芸とも言うべき術者が、安定して血管を繋げる技術を伝承することで臓器移植が可能になりました。その倫理的な課題は別として基礎的な実験で仮説を実証する研究者の労苦と臨床的な実地で技術を発揮する術者の辛苦は、病める身体を元に戻す医療の両輪です。

 技術を手術場で発揮する脳神経外科領域では、顕微鏡を使った開頭手術とマイクロカテーテルを使った血管内手術が、Cadaver dissection による微小血管の解剖知見と有用な手術デバイスの開発によって Hybrid Neurosurgery として進化発展しつつあります。世間では、神の手を持つと言われる人が、注目を集めていますが、そのような「医者」が初めから存在するはずはありません。途方も無い時間をかけて鍛錬を続けた結果、匠の技術を習得した者が多くの患者に恩恵をもたらしています。匠の手を持つ者は、夜毎泣きながら試練に耐え自分を鍛えてやっと自在に行うことが許される位置に到達した。それは、個人の努力はもちろんのこと、それを抱える組織によっても支えられています。さらにその陰には世間に語れない少なからず患者の犠牲よって個人も組織も成長させてもらって来ました。

 さて「医師」と「医者」は、何が違うのでしょうか。
 そして「先生」とは、どのような人をいうのでしょうか。

 医師を目指す人は、幼い頃から真面目な家庭に育ち子供の時から成績も良く偏差値が高いいわゆる出来のいい子が多いと思います。偶然の星の下に生まれ育ったとは言えその環境は、本人の意識がないところで温室育ちです。世間の大きな波風にさらされることも少なく、ましてや貧困家庭で世間の底辺を見ることもない。私たちは、そんな幸せな環境下で自分の健康にも恵まれ努力を重ね試練を乗り越えて来ました。そして医師免許を取得した直後から仮にも「先生」と呼ばれて崇められて来ました。医師になるまでそれなりに苦労はあった…医師になってからも努力はして来た…とは言いながら多くの医師は、自身が健康であれば世間の苦労や生活の困難と離れた優位な立場にいると思います。

 私たちが、そんな優位な立場にいる医師人生を有り難いと思いつつ、その医師の視点は、どこか高見の見物をして高所からものを言っている場合が、多いのではないか。我が身や自分の家族が、命に係る病に陥って治療してもらう逆の立場になった時、病気を勉強して来た医師は、もっと深い人間の心を感性を磨いて勉強しなければならないと気づかされます。

 私たちが、勤める医療機関は、巨大な組織もあれば一個人によって営まれている機関もあります。その医療機関では、様々な患者を治療する機会を与えてもらっています。成書に書かれている内容を基礎的土台としながら現場で新たな発見があり、経験知を増やし成書に上書きされた自身の成書が少しずつ出来上がっていく。多忙な中で全ての患者を丁寧に診ることは、とても困難ですが、成書の上書きを重ねることで深みが加わる「医者」は、自ら傷つく経験によって研ぎ澄まされた限りなく低い視点から生まれるのだろうと思います。

 医療の中でごく一端を担うに過ぎない私たちの職を考える時、国家試験に合格すれば誰もが「医師」として資格を認定されます。その私たち医師は、いずれは自らも迎える生病老死を通して臨床経験を積み社会を通して人生経験を重ねてゆく。個人から見れば医師は、ただの私有財ですが、円熟した医者は、大きな公共財です。私たちの仕事に公共財の完成はなくどこまで大きく未完成で終わるか…その年輪の厚みによって患者からも社会からも信頼される心技体の人間力ある「医者」に近づけるのではないでしょうか。

 「先生」とは、学徳に優れた人、指導的立場にある人を指すとするならば、先生と呼ばれることに居心地が悪い気恥ずかしさを感じつつ、青葉区で地域医療を展開する私たち「学徒の医師」は、未だ「未完の医者」から僅かでも「範となる先生」に成熟できますよう継続的な作業を心を込めて日々の診療に傾注したいものです。

80.青葉区医師会20周年記念

 青葉区医師会、青葉区メディカルセンターは、平成27年に20周年を迎えました。区民の皆様のお役に立てる様に日々努力研鑽に努めているところです。20周年に合わせて記念会誌を刊行し総務担当理事として拙文を寄稿しました。
 

青葉区の未来医療を支える相互補完

「治す医療」と「生活を支える医療」

 

                                                       横浜市青葉区医師会  総務担当理事  古市  晋

 
⒈はじめに

 青葉区医師会、青葉区メディカルセンターが、20周年を迎えたことは、私たち医師会員のみならず青葉区に居住する全ての区民にとって誠にめでたい慶事です。20年という歳月によって積み上げられた医師会は、陰となり日向となりながら長年支えて頂いた諸先生のご尽力の賜物です。同時に基礎となる土台を支え幕内で黒子役を担って頂いた多くの職員皆様の努力の結晶でもあります。20年に渡り裏となり表となりながら関わって頂いた多く方々には、お一人お一人に心から敬意を表し感謝したいと思います。そのような幾多の人たちの取り組みによって青葉区医師会と青葉区メディカルセンターが、二十歳の節目を迎えた祝賀の祭典を開催出来ますのは、担当理事として誠に光栄に存じます。

⒉諸問題

 さて私たちがおかれた医療環境は、今まで育んで来た20年とこれからの10年は、全く異なる世界が展開すると予想されています。青葉区で医療を行う者は、私たちが仕事をしている如何なる形態(勤務医、開業医)や組織(大病院、中小病院)に関わらず地域医療を傍観者でなく地域共同体として共有しなければならない事態が、目前に迫っています。 それは、10年後に団塊の世代が全て75歳以上になる2025年問題として象徴される人口ピラミッドが、さらに上方へ釣鐘型に移行し、それによって推計では、75歳以上の後期高齢者は日本の人口の4分の1に達し65歳以上の高齢者は人口の3分の1になることで生じる「諸問題」です。

 これまで高齢化の問題は、高齢化率の進展の「速さ」でしたが、 今後の10年では、高齢化率の総量の「多さ」が問題となりさらに複雑にしているのが、高齢者の6分1が一人暮らしで無縁化している高齢者の過多です。男女とも平均寿命が高いと誇らしく思っていた青葉区や近隣区は、そのキャパシティーに収まりきらない高齢者の中に種々の問題を抱えて彷徨える老人が溢れると青葉区や近隣区の街は、一体どのような生活空間になっているのでしょうか。

 私たちが皆等しく年老いて一老人となった時に迎えるであろう世の中の「諸問題」や個人固有の「課題」に備える解は、そう簡単に見出せそうにありません。それは、人によって問題意識に差があり当事者意識の差によって目標やあるべき姿への許容範囲が異なるからでしょう。ある人には大問題でも関心のない人には、全く問題外です。

 しかし来たるべき予想される社会問題を共有し有機体として地域が共同体である意識は、忙殺される日常の診療の中で極めて重要な視点です。多くの人からそんな事は、あなたに言われなくてもすでに分かっているよと冷めた眼で言われそうですが、そのベクトルが種々の理由で共有されず見え難いのです。世の中の諸問題と個人固有の課題に対してある程度許されるまあまあな許容範囲の「擦り合わせ」が、是非とも必要となるのでありましょう。

⒊求められる姿

 以前より私たちが行う医療は、EBM(Evidence-based Medicine)が医療の根幹として重要視されて来ました。それは、医療を行う側にとって当然の理念であって先人の努力によって積み上げられさらに進化する EBM を中心にした医療を展開しない医師があろうはずがありません。しかし医療を行う側が、全ての患者に EBM を当てはめているわけではないはずです。根拠になる証拠が十分そろっていない疾患や治療手段が見出せない困難な疾患、あるいは死に至る病気や精神に関わる病気、さらに多様な高齢者のケアなどEBMを適用できない場合も多々あります。

 この様な時に提唱されているのが、NBM(Narrative-based Medicine )と言われる物語に基づいた医療でした。ナラティブは「物語」と訳され対話を通じて患者が語る病気になった経緯や理由、病気について今どのように考えているかなど各人の「物語」から医療者側は病気の背景や人間関係を理解します。そして患者の抱えている問題に対してあらゆる職種の医療者が全人的(身体的、精神心理的、社会的)に患者の人生観にアプローチしていこうとする臨床手法です。

 医療の世界では、個体差という曖昧さを考慮に入れて「P<0.05(=5%)」という統計用語が、頻用されこの数字が重要視されます。サイエンスとしての医療を支える客観的な判断は、EBM の95%信頼区間に委ね、残り5%はNBM による地域医療に根ざした多くの医療従事者により主観的な個人をクラウドシステムによって支える。病院と病院、病院と診療所、診療と診療、医療と介護、医療と福祉、医療と行政などのあらゆる相互の補完力こそが、次の医療の世界に求められる姿なのだと思います。

⒋キーパーツ

 EBM は疾患を横断的に観た視点であり、NBM は個人を縦断的に観た視点といえます。EBMを重視した「治す医療」とNBMを考慮した「生活を支える医療」の共存が求められる時代変革の中で私たちが実践する医療には、多くの医療従事者と重層的に「相互補完」する根拠と物語に目配りした複眼的思考が必要とされているのです。

 日野原重明先生は「医学というのは、知識とバイオテクノロジーを固有の価値観を持った患者一人ひとりに如何に適切に適応するかということである。ピアノのタッチにも似た繊細なタッチが求められる。知と技をいかに患者にタッチするかという適応の技と態度がアートである。その意味で医師には人間性と感性が求められる」と述べておられます。私たちが、行っている医療は、まさにサイエンスとアートを両輪にして真に患者の満足度を高め、そしてそれは将来自分自身に不可欠な医療になっているはずです。

 私たちが、青葉区医師会と青葉区メディカルセンターで推進しようとしている事業と医療が、他職種と共にジグソーパズルの一つのピースになれば、青葉区民にとって医療環境を新しいステージに押し上げてくれる大きなパーツになるに違いありません。それらが各医療機関の日常の診療の中で有機的に機能できれば、今まさに高齢となられている諸先輩医師はもちろん、これから近い将来高齢者となるまさに現役の壮年医師、そして遠い将来必ず高齢者となる発展途上の青年医師にとって頼もしいキーパーツになるでありましょう。

⒌今後の展開

 最後にこの様な傲岸不遜な記述をしていながら自身が、日常で如何なる診療を展開しているかと自問すれば多忙さに負けて時代の趨勢に現在そして将来付いていけるか誠に心許ない限りです。いずれ種々の課題を抱える彷徨える一老人になった時、医師会とメディカルセンターが一青葉区民として頼りになる機関であってほしいと切に願うものであります。今後の展開において多くの皆様の忌憚のないご助言ご指導を心からお願い申し上げます次第です。

 

79.有能な8名の非常勤脳神経外科医

平成27年盛夏・・・

 今年の夏は、梅雨が明けた後に台風の接近で天候不順が続き、その後酷暑の日々となっています。そんな日は、エネルギー代謝が亢進しますので少し歩くだけで滝の様に汗が流れ落ち、外でお仕事をする人や運動する人は、体力の消耗が一段と激しくなります。その様な人たちはもちろん、老人や幼い子供、或いは障害をお持ちの方は、特に注意が必要で健常者は自分への労りと同じ目線で気配りが必要です。

 4月より当院では、有能な8名の非常勤脳神経外科医が、定期の日に診療しています。同じ脳神経外科を専門としていますので疾患に対する基本的な考え方や捉え方は、共通していますが、それぞれの語り口や言葉使いは異なります。表現に多少の温度差はあるにしても全員紳士で有能な先生が、丁寧な診療をしていますので定期的に通院されている患者さんにも非常勤医師の診察を是非受けてほしいと思います。

 院長外来を通院している患者が、非常勤外来を受診することで視点が異なるアドバイスを受けられるメリットがあります。それによって医療とは、画一的で無いことが理解できるはずです。混雑緩和のため一部の外来時間帯が、二診制になっていますので時間の無い方、薬だけを希望される方も上手にご利用頂ければ幸いです。

 さて私たちは、どんな人も病気になった時、あるいは加齢に伴って身体の不具合が増した時でも可能な限り住み慣れた土地で暮らし、自分が自身の事を決められる人生を最期まで続けたいと願います。このような時に医療では、どのような答えが用意されているのでしょうか?

 政府の医療政策では、地域の「中核病院、あるいは大学病院」と「クリニック」の機能分担を明確化し「掛かり付け医」を持つよう勧めています。そして尊厳を保持し自立的生活を支える目的で「地域包括ケアシステム」(地域の包括的な支援とサービスの提供体制)の構築を推進しようとしています。そのシステムを医療の側面から支えるには、それぞれの医師の「個人力」と中核病院あるいは大学病院の「組織力」が、その地域で最適にバランス化されているのが理想です。

 ところが私1人の個人力では、掛かり付け医の役割りを十分果たすには能力不足と実感しています。そこで当院では、地域の中核病院あるいは大学病院から有能な8名の「非常勤医師の個性(パーソナリティー)と個人力」をお借りして「大病院の公益性(ユーティリティー)と組織力」と協働し、地域で人を如何に有機的に補完して診ていくかを目指しています。

 忙しい中を診療に来て頂いている非常勤の先生とそれらの診療を小まめに支えてくれているスタッフには、お一人おひとりに心から感謝しその言葉は尽きません。一人では成就しない事業で多くの人たちとの関わりの中で学んだことは、種々の問題や軋轢があっても一つ一つの課題を伴に悩み相手の立場で丁寧に考えていけば、半学半教の人生の伴走者として克服し進化していけるだろうと。しかしまだまだ勉強や修行、そして時間が足りない・・・。その限られた時間を有効に使いながら社会の動きや人の心を自分の命が全うするまで学んでいきたい。来年には、人間的に1ミリでも成長していたい。

 そんな思いを新たにした平成27年盛暑の夏です。

78. 3つの「送別」と「大恩」循環型社会の中で何を循環させますか?

横浜市医師会報では、『ペンリレー頼んでいい友』という連載が、横浜市医師会に入会している医師によって28年前から続けられています。私は、第317回(317人目)の寄稿となりますが、平成25年8月号に掲載された拙文をそのまま転記しました。

3つの「送別」と「大恩」
循環型社会の中で何を循環させますか?

        青葉区 古市 晋

 別れる人を見送るのは、日本語では送別と言い、英語では farewell と書きます。私たちは、生涯の中で他人を送別する機会は、いったい何回あるでしょうか。あるいは逆に自分が送別される時には、どのような心境になるのでしょうか。人が生まれて死ぬまでの人生の節目の中で大きな別れの日は、少なくとも3回あると思います。

最初は、机上の勉強を終えて学舍を飛び立つ卒業式
還暦後、組織の役割を終えて仕事を退任する退職日
最期は、生物の寿命を終えて現世を退場するお葬式

循環型社会の中で人生の転機における「送別」と「大恩」について送る立場と送られる立場の視点から考察してみました。

人は、どのような人も一つの「家族」の元に生まれ、その家族と共に生活する「家庭」の中で育てられて来ました。生まれながらにして不幸な出自の人が、残念ながらいつの時代もどの国のどの地域にも存在するのは確かです。しかし多くの人は、生後から衣食住の生活や風俗習慣の場を家族とともに過ごし、そのことで肉体や精神を形成します。同じ種族となり人間として現しめる「種子」が家族であり、そして耕す庭場となり人間として成長させる「培地」が家庭です。

永遠の時間と無限の空間が、この大宇宙の中で交差する奇跡の一点で結ばれた家族は、かけがいのないとても大きな存在です。私たちは、その家族の意義を頭で理解していても失って初めてその存在の重さに気付かされます。そのことに改めて思いを致す時、私たちは、家族一人ひとりの存在に「愛おしさ」とその家族が一緒に生活できる家庭に「有り難さ」を感じない人は、誰一人としていないでしょう。

そんな大切な家族がいる家庭の中で家庭内暴力や家庭内離婚、そして幼児虐待や育児放棄が年々増加しています。究極は、結婚しない男女の増加や結婚願望があっても種々の事情で結婚に至らない人が増加して社会の最小単位である家族そのものが形成されにくくなっています。家族が、健全に機能してこそ学校や職場、あるいは地域社会、さらには地方や国へと大きな単位も調和して円滑に働くことを理解し十分承知しているはずなのに。

健全に機能している家族とは、衣食住の場である家族、そして精神の源である家族、さらに社会的信頼の拠である家族の皆が等しく「調和」した姿です。家族のそれぞれが、一人ひとり個性を発揮して感謝の心を持ってお互いに尽くし高め合っている「愛和」な家庭です。先の震災で家族と故郷を失った人たちが、「調和した家族」と「愛和した家族」の先にある地域の絆の大切さを訴える姿は、今さらながら心を打たれるものがあります。

そんなことは、改めて指摘されるまでもありませんと多くの人から言われるかもしれません。人それぞれの事情や異なる生活がある中でどの人も生涯で共通している私的な「節目」とは何かと考えると、「学舎を卒業」する時と「仕事を引退」する時、そして最期は「この世から去る」時です。ではそれぞれの転機で私たちの心の奥底から沸き起こる精神は、いったい何でしょうか。どのような心境になるのでしょうか。

多くの人々は、幼少時から成長する過程で無意識のうちにロールモデルを選び、その影響を受けてきました。「・・・のようになりたい」という憬れとなる手本を持つことでその人のモチベーションを高め、自らの行動を律するきっかけになっていました。私たち医師は、医学部に入学までは、崇高な医者という絶対化した職業に憬れ、入学後は新しい境地で医者という職業を客観化し、医者になった後は、現実化した世界で理想との乖離で悶え苦しんで来ました。

親から授かった資質を基礎に学生時代には、大学教授をはじめとする多くの先生や現場スタッフの先師の謦咳に接し、卒業後医者になってからは、病気のみならず社会を学ぶ場を患者を通じて与えてもらっています。新米医から熟練医となる過程で患者の命によって私たちが勉強する貴重な機会を提供してもらい、そして一線を退いて引退した老巧医となっても患者が師であることに何ら変わることはないでしょう。さらに言えば、医者自身の親族の死もまた患者を取り巻くご家族の心情を深く思いやる無言の機会であったと後から気付かされます。

私は、6年前開業して半年後に43歳の妻を血液の癌で亡くしました。5ヶ月間の闘病生活の後亡くなった慟哭の瞬間は、我が身を引き裂かれる思いでありました。妻亡き後、母とともに生活を支えてくれた86歳の父が、今年1月に急性心不全で急逝しました。いずれもかけがえのない存在であった家族の死は、誰もが必ず訪れる最期の別れが哀切に満ちた瞬間であると同時に恩に対する感謝の思いが今も深く胸にこみ上げて来るのです。

苦しかったであろう闘病生活の中を開業直後の気苦労をかえって私への気遣いをしながら無言で耐えていた妻の笑顔を思い出し、今闘病生活をされている患者さんの心情を推し量る。退職後に趣味から芸術の域にまで達していた陶芸や切り絵、版画などの芸術作品を見知らぬ土地で少しでも癒やしの待合室作りのため提供してくれた言葉数の少ない父の青白い顔を思い出し、不自由な体を押して通院される高齢者を診察しては老境の辛さを思いやる。

卒業、引退、葬式の三つの転機で私たちの心の奥底から沸き起こる精神とは、まさしく「恩に対する感謝の心」だろうと思います。恩という言葉は、日常ではあまり意識に上って来ませんが、送別という体感が恩という意識を覚醒してくれます。真の恩とは、いかなる返礼も報いも期待しない慈しみの心から沸き起こる純粋な無償の行為です。いずれの別れの機会にも共通している恩の対象とは、「親」であり「師」であり、そして「社会」でありました。

来る人を迎え入れるのは、日本語では歓迎と言い、英語では welcome と書きます。私たちは、この世に「両親」から welcome (ようこそ)と笑顔で迎え入れられ、多くの「師」から fight (頑張れ)と温顔で励まされて成長します。そして最期には「社会」から farewell (さようなら)と涙顔で労をねぎらわれてこの世を去って逝く。送別される時私たちの根底に去来する心境は、紛れもなく「三つの大恩に対する感謝の心」であるでしょう。

私たちは、循環型社会の中で何を循環させますか?と問われてその内容を論じる時、必ず有形の資源が一つのテーマとなっています。しかし私は、「感謝の恩返し」という無形の伝承が、もう一つのテーマとして循環の輪に加わることで時代が変化しても社会が未来永遠に推進する力となると思います。時代が新しくなっても医療の根底に大切なことは「多様性の中の調和」、そして社会の根源で必要なことは「愛和ある感謝の好循環」ではないでしょうか。

最後に今年1月に父が急逝した際に昭和大学藤が丘病院救命救急センタ-で大変お世話になりました。ご尽力頂きました方々にはこの場をお借りして深く御礼申し上げます。このペンリレーは、私のような末端の医者から大学トップの昭和大学藤が丘病院 院長真田裕先生にお願いしました。頼んでいい友などと気軽に申し上げる関係ではけっしてありませんが、日頃気さくに接して頂いてる大好きな先生です。ご多忙の中をご快諾頂きましたことを深謝致します。

古市晋先生から「(恐る恐る」お願いしてもよろしいでしょうか?」
真田裕先生から「(しばらく間があって)いいとも!でもこの貸しは大きいですぞ」

77. 師走の他事多用な煩忙の中で・・・

今年は、5月に開院5周年迎えた後から公私ともに忙しさが増しゆっくりコラムを綴る時間的余裕があまり持てませんでした。

日々の診療を通じて、「患者と医師」の関係を通り越して「人間と人間」が織り成す機微を多くの人から教えられた一年であったと思います。

日々の忙しさに中で診療がスムーズに進行出来ましたのはクリニックを下支えしてくれている多くの精鋭な診療スタッフのお陰と思います。
その多大な労力と細やかな配慮に心から感謝しつつ大勢の患者さんにご来院頂きましたことを改めてここに御礼申し上げます。

本日は、大晦日。
一年を振り返って頭によぎったことをコラムに綴る予定でしたが
I am too busy and not have any free time for consideration.

それで・・・
平成24年12月号の青葉区医師会月報、巻頭言に寄稿した文章を転記して今年最後のコラムと致します。皆様にとりまして来年も良い年となりますように。

2012.12.31

平成24年12月号青葉区医師会月報、巻頭言
「医師のセルフ・マネージメント
ー医師会の意義と自身の役割ー」

     古市 晋

 2010年と2011年に二年連続ビジネス部門年間ベストセラーになった「もし高校生の女子マネジャーが、ドラッカーのマネージメントを読んだら」は、マネージメントの意義を考える契機となった方が、多かったのではないかと思います。ドラッカーの著書は、ただ経営学の本という一分野の専門書にとどまらず、人と人が一緒に働くことによって得られる喜びや社会的存在としての普遍的な人間の幸せについて著されたものでした。

マネージメントという言葉を直訳すれば、「管理」「経営」などの意味ですが、ドラッカーのマネージメント論を端的に言うと「人と人とが成果を上げるための様々な工夫」です。マネージメントには、組織が金儲けのために事業を如何に運営していくかという近視眼的な目的以上に組織を構成する人間が幸せのために社会を如何に作っていくかという遠視眼的な目標が含まれています。

ドラッカーは、マネージメントには三つの役割があると定義しました。
「自らの組織に特有の使命を果たす」
「仕事を通じて働く人たちを生かす」
「社会に及ぼす影響を処置し同時に社会の問題について貢献する」

この三つの役割を医師に当てはめてみますと私たちがどのような診療科であっても、その医師がどのような組織に所属していようとも、さらには老若のどのような人生ステージの医師であっても、医師として仕事をする限りは、果たさなければならない責務であろうと思います。

さて、私たち青葉区医師会は、平成25年4月に一般社団法人に生まれ変わろうとしています。その意義は、医師会の遂行する事業が「使命を果たし、人を生かし、影響を処理し」そして保持している能力をもって地域医療に「貢献する」ことにあります。しかし多くの医師は、地域医療に貢献する意義は共有できてもその行動のベクトルは、同じ方向に向いていないのが現状でありましょう。

ここで大切な視点は、先行きが不透明で明るさが見出せない世の中で頼りになるのは、自分自身が持っている力(人間力)と地域が育んだ力(医療力)が、如何に癒合し連帯し機能しているかだと思います。

私たち医師は、医師になった直後ら更なる医学知識を学習し、学習したその知識をより高度な次元で実践する訓練を重ねて来ました。これらは、医師の能力として必要条件であろうと思います。そして実践されたその医療が、本当に患者に役に立っているかを自己に問う自省的客観力を最後に備えていることが、医師の能力として十分条件であろうと思います。

この必要かつ十分条件を備え持つ「医師の人間力」は、医師が、臨床経験を重ねていく成熟過程で習得されるものです。さらに自身が年老いて人生経験を重ねていく老齢過程の中で自らも病者となって自省力として初めて気付かされるものでもあります。これらの力は、地域の歴史や文化によって育まれた「地域の医療力」の中で埋もれて腐らず、さらに独り善がりにもならず有機的に発揮されていることが、一番幸せな姿です。

「医師の人間力」とは、医師に臨床経験と人生経験が豊富にあること。「地域の医療力」とは、地域に大学病院、専門病院、総合病院があり、さらには地域に根ざしたプライベートオフィスが多彩にあること。この二つの「力」が、医師自身が病者となって治療を受ける立場になった時、調和して機能していてほしいと願うのは私だけではないでしょう。

医師会の事業を推進する近視眼的な目的の先にあるのは、よりよい社会を作っていくことです。そのための組織の根底を考えた時、この地域で「私たち医師が、役割を如何に幸せに果たせるか」と「患者(将来私たち医師自身)が、医療を如何に円滑に享受できるか」は、共通の遠視眼的な目標であると思われました。

青葉区で医療を担う医師は、青葉区医師会員であろうと無かろうと医師会員の中でもその帰属意識が濃厚であろうと無かろうとこの土地の医師である限り「人と人とが成果を上げるための様々な工夫」が必要です。ドラッカーは、マネージメント論の中で組織の正当性が存在する工夫は、個々の人間が「強みを生かす」部分にあると述べました。

私たちは、医師会そのものの役割と在り方、医師会員相互の連携、医師会員と非医師会員の関わりを iPS 細胞のように一旦初期化する・・・医師と患者(将来は医師自身)が、共通の目標に向かう公益の場として医師会の存在意義を再認識する・・・そして自身の役割の中でより鮮明に「強みを生かす」ことで社会に貢献する・・・これら私たち医師のセルフ・マネージメントこそが、新しく法人化されるこの時期に必要なのではないでしょうか。

今年も長年に渡り青葉区の地域医療に貢献された多くの先生が、ご逝去されました。命が絶えるのは、生物の宿命とはいえいずれは必ず私たち医師にもそのような時が訪れます。無常を胸に哀悼の意を表しご冥福を祈りつつ、また新たな年に新たな連帯と融合を深めていきたいと思います。法人化に向けて直向きに無償のご尽力をされている理事の諸先生に心から敬意を表しながら、平成25年も皆様にとりまして幸多い年になりますことを祈念致します。

平成24年12月3日 記

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