コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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70. それぞれの信仰心

師走の12月末は、何かと気忙しい日々です。
クリスマスイヴがあり、大晦日には、除夜の鐘をつきながら新年を迎えそして、元旦には、神社にお参りに行きます。

私たちは、それぞれの家の宗旨に関わらず、年中行事として、クリスマスイヴを祝います。
大晦日には、暮れ行く年を惜しみながら、お寺でつかれる百八つの除夜の鐘に心を鎮め新年を迎えて元旦には、お宮さまに参拝し、大願成就を祈ります。

このような年中行事としての儀式は、古くて現代に役立たないもの、なのでしょうか?
メリークリスマス、除夜の鐘、初詣と続く年末の気忙しいこの時期に、信仰心について考えを廻らしてみました。

私たちは、クリスチャンでもないのに、神の子が、人となって生まれて来たとされるイエスキリストのお誕生日のお祝いをします。
自分の誕生日でさえ、ケーキを買わない人が、何故かこの時期は、ケーキを買いたい衝動に駆られます。

1年の締め括りとして、日頃怠っていた家や仕事場の掃除をすませ大晦日には、人の心を惑わせ、悩ませ苦しめたりする煩悩を除くため、鐘をつきます。
鐘を叩くことで、私たちの心の底に沈殿していた、澱としての煩悩を振り落としその響き渡る振動によって、魂が、仏様と共鳴するような気持ちにさえなります。

新年には、太陽が地平線から姿を表わす瞬間を、新しい生命が昇る、初日として拝みます。
そして、神社にお参りして、家内安全や交通安全の厄よけのお札や、絵馬をもらい合格祈願に安産祈願と、様々な願い事を祈ります。

年末年始の私たちのこのような行動は、一つの神の存在を唯一絶対としてその教えを、終生の心の拠り所として、生きている信仰心とは、まったく無縁の世界です。

しかし、よく考えてみれば、私たちの日常の種々の場面の中でその信仰の深さは別にして、宗教的なしきたりが年中行事の儀式として目白押しです。

結婚式は、神道式かキリスト教式が多く、葬式は、ほとんどが仏式で行なわれています。
亡くなった人へは、毎年墓参りをして、年忌法要も行ないます。
子どもへは、お宮参りして七五三を祝い、桃の節句に端午の節句で成長を祝福します。

ケーキを買って、時のムードに浸り、仏様の前では、神妙に心を鎮めお宮様には、厚かましくも、数百円のお賽銭で、生活のさまざまな願いを託す。
これが、年末年始の日本人が、昔から馴染んできた宗教的なものへの平均的な関わり方なのでしょう。

特定の宗教の信徒が、抱く信念とはほど遠い、ぼんやりとして不明確な輪郭でも人知を越えた八百万を崇拝し、それにすがろうとする点では希薄な信仰心でも豊かな御心として、これもまぎれもなく、一つの信仰心だと思います。

であるとすれば、自然の前では、無力な人間にとって日本人は太古から、どうやって不安を取り除き希望を胸に膨らませて、生きて来たのでしょうか?

有限な時間しか持たない、自然の前では無力で、ちっぽけな人間にとって無限な時間を悠久として、生々流転して止ぬ、雄大で壮大な自然の姿はそのままで神以上に畏怖すべきもの、神聖なものと感じられたことでしょう。

四季の変化の中、転生する緑豊かな山林に囲まれた土地で田畑を耕し、収穫を得て、生きて来た人々にとって生産物の生育と、豊穣を「願う心」は子孫が生まれその成長を「祈る心」と同一だったのでしょう。

万物を産み育てる力と生命を継承する力が、人知を越えた神秘な力として太古の人間が、このような自然に宿る力に、神を直感したに違いありません。

だから、唯一の神が、日本では力を持ち得なかった。
一つの神教が、日本では力負けしたのは、日本人が太古から宿してきた大自然の摂理には、勝てなかったから・・・

どんな宗教家であっても、偉大なる自然の摂理の前には、太刀打ち出来ず大自然への畏敬の念は、どんな神でさえ超越することが、できなかったから・・・
だと思います。

では、私自身の信仰心は、どんな神様だとお思いでしょうか?キリスト教? イスラム教? ヒンドウー教?
いやいや、○○○の神?

私は、以前、脳神経外科病院に勤務していた頃手術に入る直前に、手術室に通じる祭殿と言われる小部屋で腹に力を込めて、沈思黙考する姿で、必ず神に祈ったものでした。

「運命の神様、今日の手術も頑張りますから、どうぞ私にお恵みをお与え下さい」と。

手術の前は、その小部屋に入り、力を込めて、神に祈るのが、常でした。
その祈りのお陰さまかは、分かりませんが手術では、再び祭殿に戻って黙考した経験は、ありませんでした。

手術室にそんな「静寂で厳粛な祈りの場」なんて、あるのでしょうか。
そして、なんという「神様」なのでしょうか。

あるのですよ、そんな静寂な祈りの場所が。
いるのですよ、そんな厳粛な唯一の神様が。

口に出して述べるのは、ちょっと気恥ずかしいのですが・・・
それは、実は「ト○レの神様」植村花菜さんも歌っています。
「ト○レには、それはそれは、キレイな女神様がいるんやで」と。

ウン気が、増すように神へのご加護をお祈りする。
私が、手術前に「ロダンの考える人」の姿で行なうルーチン・セレモニーは結果的に手術の成否には、無関係でしたが、私には、重要な儀式なのでした。

それぞれの信仰心と儀式は、現代には、古くて役立たないもの、なのでしょうか?

私には、そうとは思えません。
医者でありながら縁起を担ぐことで人や自身を励ます礎とし、心の中に安心感を与えてくれる。
先端医療と古風な信仰心は、切り離せない関係にあるのだと思います。

平成22年も終ろうとしています。
今年もたいへん大勢の人に、多大なお世話になりました。
私が関わった患者さんに、また私を影で支えて頂いた方々に心から深く御礼を申し上げます。

素敵な女神様が、皆様に訪れますよう祈念しながらどうぞ良いお年をお迎え下さい。
来年もよろしくご指導をお願い致します。

2010.12.30

69. 文化の日と勤労感謝の日

秋も深まる11月は、国民の祝日が、二日ありました。
3日の「文化の日」と23日の「勤労感謝の日」です。
ひと月に二日も祝日があると、多忙な日々を過す人にとって、体が休まり、有り難いことでした。
そこで心身の休養になる国民の祝日に、「文化」と「勤労」について考えてみました。

国民の祝日である「文化の日」は、祝日法では自由と平和を愛し、文化をすすめることを趣旨とする、となっています。
それで、その「文化」とは、いったい何でしょうか?というわけです。

文化のつく名前は、いっぱいあります。
新聞紙面には、文化欄に日本文化、文化交流などの言葉が、いつも掲載されています。
学校や芸術では、文化祭や文化財、市町村には、文化会館や文化センターがあります。

そして、もう過去の言葉として、秀でた才能を持った人を文化人と呼び文化都市の文化住宅では、文化鍋と文化包丁を使っていました。

ということは、小説や音楽、映画や演劇、つまり芸術や娯楽は、もちろん日常の生活品、暮らし方に至まで、文化という言葉が、使われているようです。

すなわち、文化とは・・・
私たちが、今自分たちが属している社会の遠い祖先から、後天的に受け継いだものであり更にその社会を通して、遠い子孫に伝えていくもの。
いわば、社会的遺伝子を担った有形無形の継承だと言えます。

では、日本に住む日本人にとって、日本の文化の良い点とは、いったい何でしょうか?
茶道や華道、囲碁や将棋、三味線や和太鼓、大相撲や歌舞伎、寺院や仏閣などは日本独自の優れたものとして誇りとされています。

でも、優れているのは、それぞれが、独自の文化を築くその過程で私たちの祖先が、外の異文化の良い点を、謙虚に取り入れて来た。

工夫改良しながら、自分たちの暮らしに合うように、磨き上げその発展に、真摯な努力を積み重ねて来た。
その点にこそ、日本の文化の優越性があると、言えるのではないでしょうか。

異文化に学ぶ謙虚さと、ひた向きな向上心によってオリジナリティーある個性を、開花させたこと。
これこそが、日本人が、誇り得るアイデンティティの根幹だと思います。

日本人が、異文化に拒絶反応を示さなかった理由は山、川、海の大自然の摂理を至高とする、移ろいゆく四季の自然に対する崇拝心がすべてを受け入れる寛容の精神を培ったと言われています。
そんな日本に生まれ住んだことに、改めて誇りに思います。

社会における文化の成熟過程は、個人における人格の形成過程についても同じことが言えるかもしれません。

自分の姿形や精神を形成してくれた過去の文化の価値を認めその基礎を十分理解、習得し、固めた上で他者の長所を謙虚に学び、柔軟に取り入れることで、自身の個性を磨いていく。

それが、優れた自分の文化(個性)を創造し、自己を成長させるのだろうと思います。
だから、個性は、初めからあるのではないのです。

文化は、英語では、culture と書きますが動詞では、「耕作する」という意味ですし、名詞では「文明、教養」という意味です。

文化とは、端的に言うと・・・
社会においては、「耕作された文明」であるし人間においては、「耕作された教養」ということになるのでしょう。

さて、文化の次に、勤労とは、いったい何だろうか、と考えてみました。
「勤労感謝の日」は、祝日法では勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合うことを趣旨とする、となっています。

戦前の11月23日は、日々の労働に対して、農作物の恵みを感じる新嘗祭でした。
そんな感謝の日だったことを、私たちは、まったく意識しないまま心身を休める一日、ラッキーな一日と思って、過した方も多かったことでしょう。

毎日が、祝日と休日の入れ替わりで、しかも給料が自動振り込みだったらこんな嬉しく楽しい日々はないだろう、と思っている方もいるかもしれません。
実は、とっても怠惰な私も、心の底では、そんな生活を夢見ているのですが。

休日のラッキーな一日に、そもそも私たちにとって仕事(働き)とは、何だろうかと怠け者の私が、殊勝にも、ちょっとまじめに考えてみると

まず労働とは、英語で labour と書きます。動詞では「骨折る」という意味がありますし、名詞では「陣痛」という意味もあります。
その心は、産みの苦しみの中で精進する痛みのこと。

私たちは、産みの苦しみの中で、根気よく精を出す仕事によって救われまたその仕事によって磨かれる、ことが多いと思います。

とすると
苦しい時、哀しい時こそ、与えられる仕事が、むしろあった方がいい
楽しい時、嬉しい時こそ、求められる仕事が、さらにあった方がいい
と気付かされます。

だって
人は、仕事によって、癒され救われ人は、仕事によって、触発され磨かれるのですから。

仕事(働き)とは、何か・・・
労働こそが、どん底の人からてっぺんの人まで、一人の人間を真っ当にする他の動物にはない、人間のみに遺伝的に仕組まれた教育装置なのでしょう。

私たちは、食べることだけを目的として、働いているわけではありません。
より善く生きて、その結果、少しでも人や社会に役に立ちたいと思って大勢の人が働いています。
でも仕事は、外で働くことだけが、仕事ではない。

日常の洗濯や炊事も、家族の役に立つりっぱな仕事。
労働は、より多くの他者の仕合わせに通じるからこそ、家事であってもその仕事に打ち込む時人の心は、豊かに満たされるのだと思います。

勤労とは、端的に言うと・・・
人間が、幸福な家庭を営むための第一要諦であり社会が、永続的に発展するための基本要件なのでしょう。

最近、某国の法務大臣が、その耕された教養で「二つの言葉を覚えていればいい」という迷言を吐きながら「今後とも真摯に国会答弁を行ない、職務に精励し頑張っていきたい」という日本人の美徳といえる勤勉さを示しつつ、辞任されました。

折しも11月の休日、私が文化と勤労について、考えていた時「耕された教養」と「日本人の勤勉さ」の的外れに体が、凍てついたのは、私だけではなかったことでしょう。

ただし、もう一つの視点は、法務を司る最高権者としては、疑問符が付いても別の職域では、その「教養と勤勉さ」を十分発揮される仕事はあるだろうと。
一局面だけを見て、断罪される人は、酷であるし、断罪する人は、不遜だと思います。

先日、APEC が、横浜で開催された際は隣国のお偉い首相が、ニコリともしないで「文化の違い」を見せてくれました。
以下( )は、著者のつぶやき。

 (コキンちゃん!
  あんたねえ、その仮面様顔貌・・・
  そんなしかめっ面で握手していたら
  肩凝り頭痛になりまっせえ)

大国の大統領が、鎌倉大仏見学のヘリコプター飛来で「貧富の違い」を見せてくれました。

 (オバマはん!
  あんたねえ、その抹茶ソフトクリーム・・・
  美味そうに食べてたねえ
  横浜鎌倉の寒空で、冷たいモン食べていたら、腹壊しまっせえ)

極北の大統領が、極東の小さな島へ遠路ご出張で「勤労の違い」を見せてくれました。

 (メドベやん!
  あんたねえ、その薄着の訪問・・・
  ご多忙の中を、そんな極東のウチン家に、わざわざ勤勉にも、来なくてええよ
  寒くて、風邪引きまっせえ)

現今の日本が、日本人としてのアイデンティティの育成を目指すなら日本の DNA により形成され、培われた文化を大切にしつつ異文化に学ぶ謙虚さと向上心で、勤勉に働く以外に道はない。

しかも・・・
異国の文化の違いには、相当大きなギャップがあることを十分承知し、理解しながら・・・。「文化と勤労」に感謝しつつ、思いを廻らした11月でした。

2010.11.28

68. 深遠な美人画を描く女流画家

澄み切った空に、秋風が漂い、木の葉も色づき始めた頃東京国立近代美術館では、美人画の巨匠「上村松園展」が開催されました。

記念切手の絵柄や教科書にも掲載されている「序の舞 」や光源氏の恋人六条御息所から題材を得た「焔(ほのお)」など約100点が、展示されていました。

上村松園は、明治8年~昭和24年までの74年間に、明治・大正・昭和を通じて美人画を描き通し、女性として日本人で初めて、文化勲章を受賞した女流画家です。

女性である松園が、どんな想いで美人画を描き通したのでしょうか?
女性であるが故に、どんな感性で美人画を透徹できたのでしょうか?

上村松園展を観賞し、そして、出品作品一覧の画集を後日、ゆっくり観直しながら、その深遠さの背景を考えてみました。

松園は、自身の画流としてマニフェストと思える言葉を残しています。

 私は、大抵女性の絵ばかりを描いている。
 しかし、女性は、美しければそれで良いとの気持ちで描いた事は、一度もない。
 一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ
 私が、念願するところである。
 私は、真・善・美の極地に達した本格的な美人画を描きたい。(「青眉抄」より)

真善美の極地に達した美人画とは、いったいどのようなものなのか?
松園は、どのようにして、自らの芸術を創り上げ高めていったのか?

東京国立近代美術館で開催された上村松園展では、そのパンフレットに珠玉の決定版として二枚の絵が、大きく取り上げられています。
その一枚は、昭和11年作の「序の舞」、もう一枚は、大正7年作の「焔」です。

「序の舞」は、記念切手や絵葉書の題材になり教科書に掲載された有名な作品ですので、ご存知の方も多いことでしょう。
でも「焔」という作品を、即座に頭の中に思い浮かべられる人は、少ないと思います。
どのような絵か、想像できない方は、まず Google で検索してみて下さい。

「序の舞」という作品は、なんと言っても描線の妙美が、最高だと思います。
細かく折り畳んだ細長い着物の絶妙なヒダと、福よかな帯の稜線あるいはボリューム感ある日本髪を極めてシンプルに描かれた線画によって表現しています。

そして、この作品で描かれた色彩は、朱、緑青、群青、などの天然の岩絵の具です。
着物の生地は、落ち着いた朱色、その柄と帯は、翡翠のような緑青色と群青色。
絶妙なコントラストと淡い灰色で描かれた描線。

この作品を観ていると、高貴な生活を切り取った一断面の中にとても奥深い、そして清楚で、香り立つ内面性を感じさせてくれます。
安らかと穏やかさの中に、真に善い美しさが、漂ってきます。

これぞ、まさしく松園が、想い描く一点の卑しさも低俗さもない、清くて澄んだ、香り高い、艶やかな絵。
松園の代表作として知られているこの作品は、松園が、語るところの

 その絵を観ていると邪念の起こらない、またよこしまな心を持っている人でも
 その絵に感化されて邪念が、清められる・・・
 といった絵こそが、私の願ふところのものである。 (「青眉抄」より)

松園の作品は、どの作品にも当てはまる言葉で、一貫して真・善・美が貫かれていますがその思想の具現が、まさしくこの作品に凝縮されているのでしょう。
松園が、61歳の作品で、後に国の重要文化財として指定されました。

ここで深遠さの背景として、注目すべきことは・・・
松園が、早くに父を亡くし、女手一つで葉茶屋を営む母の傍で育ったことそして、27歳の時にシングルマザーになったことだと思います。

生涯を通して、素晴らしい作品を創出した画家としての業績は、申し分ない。
その生育過程において、京都という因習の強い土地柄にあって茶屋業を営む母に育てられながら、どういう理由があったにしてもシングルマザーの道を歩んだ。

他人から見れば苦難な人生を選び、そして恐らく世間からは、非難を浴びながらも松園の芯の強さが、中傷を跳ね飛ばす作品の凄さを生み出す力となったのでしょう。

しかしながら、注目される作品を次々と発表する過程で画家としてスランプに陥った松園は43歳(大正7年)の時、「焔」という作品を製作しました。

この作品では、今まで描いてきた楚々とした作風とはまったく異なりプレイボーイの光源氏の正妻、葵上に、源氏の愛人、六条御息所の生き霊が取り憑き苦しむ姿を、王朝物語の気品を失わないように画いています。

焔とは、恋慕、怨恨、憤怒、嫉妬の情で、心のいらだちを火の燃え立つ炎に例えた言葉。

 (あ~、恐ろしい、女の情念は、怖いよ~
  焔を燃やされないように、アタシも気~付けよ~っと・・・)
 ( )は、一般男性の心の内を、著者が、つぶやきとして代弁したもの。

「焔」を描いた頃、松園は、次のように語っています。

 私の若い頃の女の絵の修行には、随分辛い事がたくさんありました。
 世間の目も同僚の仕打ちも、思わず涙の出ることが何度となくありました。
 そんな時は、ただ今に思い知らせてやると、歯噛みして勉強勉強と
 自分で自分に鞭打つより外に道はありませぬでした。(「青眉抄その後」より)

女性である松園が、どんな想いで美人画を描き通したのか・・・
女性であるが故に、どんな感性で美人画を透徹できたのか・・・

苦労して育ててくれた母への想いを受けた女性像の象徴としての美人画は真善美を基調とする精粋な松園が、愛人としても生き、嫉妬に燃えた一途な心の内を撹拌させてなまめかしい艶やかな「妖艶な表情」を、ぞっとするほどの艶やかな「凄艶な表現」として描かせたのでしょう。

それが、男性が描くエロチックな美人画とは、まったく異なる女性ならではの描出であり、透徹であったのだと思います。

最後に、松園の作品群の中で、私が最も好きな絵は「待月 Waiting for Moonrise」です。
今か今かと月の出を待つ若妻の姿は、やや仰向けのアンニュイ(退屈した)な左横顔が色っぽい。

ほのぼのとする絵は、「夕暮」と「晩秋」です。
「夕暮」は、太陽が落ちかけた夕暮れ時に、外の薄光に照らして針に糸を通す女性の姿「晩秋」は、秋の早い日暮れ時に、破れた障子の穴を塞ぐためにハサミで花柄に切り取った紙を貼る女性の姿いずれも、どの家庭にもかつてはあった、昭和の時代を思い出す作品です。

当院には『ほたるいか・アート ギャラリー(HOTARUIKA・Art Gallery)』と称して「緑雨」「待月」など絵画数点が、展覧してあります。
(「鼓の音」は平成22年11月から展覧の予定)

また『ほたるいか・ブック ライブラリー(HOTARUIKA・Book Library)』と称して絵画集、美術集などの書物が、閲覧できます。

おまけに『ほたるいか・アーティクル コレクション(HOTARUIKA・Article Collection)』と称して素人作品の陶器、木目込み人形などの小物が、笑覧できます。

ご来院の皆様ちっぽけなギャラリーと少数のライブラリー、そして貧粗なコレクションですが診察前のお待ち頂く時間に、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。

2010.10.17

67. 侮れない「気」の薬効

残暑が、例年以上に厳しい今年の夏でした。
9月下旬になっても、真夏のような暑さ。
こんな酷暑の夏に、外で働く人たちは、本当にお疲れさまです。

ビルの中で働いていると、外の気候の変化に気付きにくいのですがさすがに今年は、この直射日光を窓越しに当たると診察室も異様な気温上昇でした。

当院はビルの二階にあり、二階の壁面が全面ガラス張りとなっています。
その窓側が、診察室ですので、午後からは光量がさらに増すと室内の温度が上昇します。

診察室から外の様子を眺めると、ビルの隣りが、小さな川になっています。
その小川と交差する、あざみ野駅へと通じる生活道路には行き交う多くの人々の姿や車の流れが、見られます。

診察室の大きな窓から、青空と雲行き、街路樹の木々のなびき、路面の湿潤そして、人や車の流れを観察することで、外の空気を感じることができます。
それは、あたかも診察室で、風景画をボ-ッと眺めるような、一服の清涼剤でもある。

私は、ビルの中で多くの患者さんを日々診察しながらその合間に、大きな窓から外を眺め、刻々と流れる景色や事物をありのまま写し取る窓枠の風景画によって「外の気」を感じ、「内なる気」を和ましているのでした。

ところで・・・
当院のようなチッポケな診療所にも、多くの製薬会社の営業の方々が、日々お見えになります。
この夏は、こんな暑い中を仕事とはいえ、ご苦労さまと申し上げたい気持ちでした。

午前の診療が、終った昼休み頃、あるいは午後の診療が終了した頃にお見えになり、談笑をしながら、種々の情報を届けてくれます。
最新の薬の情報は、もちろん、既存の薬の副作用情報、学会の情報など多岐に渡ります。

営業の方々の情報の中で、薬の効能や効果、使い方、あるいは適応疾患はもっとも重要な内容です。最近は、ジェネリックと言われる値段の安い薬も出ています。
巷に溢れている多くの薬剤の効能効果と副作用、そして適応疾患などの情報の伝達。

製薬会社の営業の方々のそんな地道な影の努力によっても医療が、支えられていると考えると営業の方々の訪問は、大変有り難く、ぞんざいにする気にはなれません。

そんな薬の情報を踏まえながら、来院される患者さんには新しい薬を勉強し処方する前に、あるいは既存の薬を処方する前に私が、処方するとっても安くて大切な「クスリ」があるのです。

それは、一体どんな薬なのか? 新薬ですか? 特効薬ですか? 秘薬ですか?いったいなんなの? そのクスリとは・・・。
それは、紛れもない「気」というクスリなのでした。

なんだそりゃ・・・とお思いの方も多いことでしょう。
当院では、患者さんが、来院されると、まず看護師が、十分な問診を聴取します。
「いつ、どこに、どれくらいの時間、どの程度、どんな風に、症状が起こったのか」

次に、医師が、その問診を元に根掘り葉掘り、症状を確認します。
必要な場合は、さらに高性能な MRI を撮像することによって症状に起因する病変が、頭にあるのか、ないのかを確認します。

年齢を重ねることによって起こる脳の変化は、多少あったにしてもそれは加齢現象の範囲内であれば、頭には、大きな問題はない、と診断します。
加齢による許容できる範囲の所見はあっても、現時点では、異常はない。

「頭痛やめまい、あるいはしびれという症状 ≠ 脳に原因」をまず最初に高性能 MRI で証明できれば大変大きな安心の材料となります。

でも、 MRI で全ての病変や変化を捉えられるわけではない。
私たち専門家は、画像が主体ではなく、あくまで症状が主体であると常に念頭に入れて置かなければならないのは、言うまでもありません。

脳に器質的原因はないと説明したあと、約1ヵ月後に再来された患者さんを診てみると半数以上が、症状が改善か、あるいは消失しています。
念のために出した少量の頓服薬のみか、薬を処方しなくてもです。

私は、このクスリを密かに「気の処方」と呼んで最も重要視している処方箋なのでした。

気とは何か・・・
天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられる動きのこと。

自らの力で、病を改善したり消失したりする「自浄の気」。
私たちは、自ら持っている「気」の薬効を侮らない方が、いいのではないでしょうか。

最後に、今日は、9月26日。
ロシアの生理学者、イワン・パヴロフは、今日が生誕日です。
氏は、犬の消化腺の条件反射を発見して、1904年にノーベル医学生理学賞を受賞しました。

生命に潜む条件反射の発見は、人類にとって重大な意義を持つと賞賛されました。
侮れない「気の薬効」によって、私たちは、どのような条件に反射して心身の健康を維持するか、を愚考した9月26日でした。

2010.9.26

66. 長寿社会の「しあわせ」

日本人の平均寿命が、さらに延びたことが、厚生労働省の調べで分かりました。
女性は、86.44歳、男性は、79.59歳。平成21年の日本人の平均寿命が男女ともに4年連続で過去最高を更新したそうです。

その要因は、肺炎による死者が、少なかったという。
日本人の死因順位は、1.ガン 2.心臓病 3.脳卒中の順番で、4位が肺炎ですがその肺炎の寄与率によって、平均寿命が微増したのです。

健康な状態で、長生きできれば、日本人の平均寿命が延びるのは確かに「しあわせ」なこと。
そんなしあわせな状態が、もっと長く続いてほしいと、誰もが望む願望です。

そこで・・・
平均寿命という数字が、世代によってどう映るか、を考えてみました。

20歳台の若者が、平均寿命のこの数字を聞いてもまだまだ、遠い遠い他人事の話と思っています。
今が、我が世の春で、20歳台は「しあわせ」の上昇期です。

40歳台の中年が、この数字を聞くと、自分の年齢を引き算しておお~、もう折り返し点なのか、と少し寂しい気持ちになります。
でも、まだ半分あるよ、と安心もして、40歳台は「しあわせ」と寂しさの拮抗期です。

50歳を過ぎると、この数字は、徐々に耳に入らなくなります。
というよりも、自身の歳を考えると、平均寿命なんて、あまり考えたくもない。
でも、ふとした瞬間に、不安がよぎり始め、50歳台は「しあわせ」の減衰期です。

還暦を過ぎた当りからは、この数字は、ほとんど意味を持たなくなります。
何故なら、個々人によって、健康状態が、大きく異なるから。亡くなった同級生や知人友人の葬式へ頻繁にお誘いが掛かり、還暦過ぎは「しあわせ」の整理期です。

平均寿命以上に生きているご老人は、この数字は、虚数化します。
もうそこまでいくと、自分だけではどうしようもなく、ほとんど諦念されています。
諦めというよりは、道理を悟り、自分の人生を全うする長寿者は「しあわせ」の諦観期です。

歳を重ねるにつれて、あちこちの部品が、どこかしこで故障が出始める。
それでもなんとかメンテナンスしながら、部品を総取っ替えするわけにはいかず仕方ないなあ、と諦観期に向けて、自分の後始末をどうしようか、と諦念する。

世代によって、平均寿命の数字から受ける「しあわせ」観はかくの如く、変遷していくのでしょう。

「しあわせ」を漢字で書く時、“幸せ”と“仕合わせ”の二通りがあります。
最近は、「しあわせ」を“幸せ”と書く人が、多いように思いますが昔は、“仕合わせ”と書くことが、多かったようです。

いったい、何がどう、違うのでしょうか?
如何に使い分けたら、いいのでしょうか?

「しあわせ」という言葉の語源は動作を表す動詞の「し」と、二つの動作が交差する「合う」だとされています。
しあわせの概念が、そんな言葉から発生したことに、日本語の奥行に感心してしまいます。

幸せとは、英語で happiness と書きますが、喜びや満足のこと。
しあわせの基準は、世代で異なることは、上述の通りですがそれぞれの歳で、喜びや満足を得られていること、それが“幸せ”。

では、今はあまり書かなくなった“仕合わせ”とは、どういう意味でしょうか?

昔の日本人が、他人に仕え、そして、周囲に合わせることによって自身の喜びや満足を感じ、それが、しあわせの源流であると悟っていたとすればこれもまた日本人が、深遠な道理をついた叡智だと思います。

医師や看護師が、病人のお世話をすることを、英語では attend と言います。
診療したり、看護することが、他人の“幸せ”を導きその結果として自身も“幸せ”になるなら周りの人々を attend(お世話)することが、“仕合わせ”の源泉なのだと思います。

だから、私の「しあわせ」観は・・・
偶然のラッキーな“幸せ”より、必然のアテンドな“仕合わせ”が好き。
道理を悟り、自分の人生を全うする諦念の“仕合わせ”がよいと思う。

“幸せ”という言葉は、大好きな日本語ですが他人の“幸せ”と自分の“幸せ”が、重ね合わせることができる “仕合わせ”でありたいと思う。

ホスピタリティという言葉が、思いやりや、心からのもてなし、などの意味で以前から良く耳にします。その派生語が、ホスピタルであり、病を持つ人を保護し、癒し、回復へと導く場所を表す言葉。

相手を思いやり、手厚くもてなす歓待は特にホテルや旅館、飲食などのサービス産業で注目されています。
でもそれは、本来、病院が、持っていなければならない精神のはずでした。

病院を行き交う人が、ホテル以上に多いため現実的には、本末転倒となってしまっているホスピタリティ。
一流ホテル並とはいかないまでも、思いやりで接している医療人。

特に、私どものような零細クリニックは、不十分ながら奉仕や給仕などのサービスという視点よりリピーターになってしまいそうなホスピタリティで。

100歳以上の長寿者は、全国に2万人いるそうですがその中に、家族でさえも、生存や所在を確認できない高齢者が、相次いでいます。
どんな終末期を迎えられたか、あるいは、今迎えておられるか、と想像すると慄然とします。

私たちは、年齢に応じて変化する「しあわせ」観があっても、日常生活の中にこのホスピタリティの精神で、周囲に臨めば、長寿者への感謝が生まれ社会との絆が深まり、日々が“仕合わせ”な気持ちになるに違いない。

そんな思いを抱きながら長寿社会の「しあわせ」観を諦念した8月の上旬でした。

2010.8.8

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