64. 「思い」の美学|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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64. 「思い」の美学

2015.06.10

喜劇俳優の第一人者である藤山寛美さんが、亡くなってちょうど20年だそうです。

木々の緑も濃く、早くも初夏の頃合いとなった6月に新橋演舞場で開催されている『藤山寛美没後二十年 六月喜劇特別公演』を観る機会がありました。

新橋演舞場では、松竹新喜劇が、毎年夏の風物詩として、七夕劇団とも称され愛娘の藤山直美さんが、上方人情喜劇の魅力溢れる舞台を展開していました。

一話は、「女房のえくぼ」という運送会社の仕事場を設定にした現代劇二話は、藤山寛美二十快笑の中から「幸助餅」(西郷輝彦共演)の時代劇です。

一話のあらすじは、次の通りです。

 運送会社運営を下支えしている妻(藤山直美)を
 社長の夫が、テレビに出てくる吉永小百合と妻のえくぼを見比べて
 「お前の顔を見てたら飯がマズくなる」と罵ります。

 夫には、結婚前に本気で惚れた女性がおり
 不本意な結婚をした後も、妻の献身的な活躍に目もくれず
 恋敵と逃避行した彼女の事が、今だに忘れられないでいました。

 そんな夫に、愚痴をこぼすどころか、妻は
 「こんな不細工な女に、夫の方こそが、我慢している、自分は十分幸せものだ」と
 寂しさを隠して明るく働くのでした。

 そんな時に、恋敵の男が、この不況のあおりで失業し、運送会社に再就職して来ました。
 落ちぶれたその男から、かつて憧れていた女性の金使いの荒い本性を聞かされた社長は
 外見ばかりに気を取られて、妻の内面的な魅力に、やっと気が付かされた。

 「人知れず下支えした妻の愛情物語」の一話は、妻の涙で幕となります。

現代では、どこでもよくある話でも、藤山直美が、その不細工な妻を演じると独特の味わいがありました。

だって、直美さん・・・
ブスを演じるのは、失礼ながらお似合いで、年季が、はいっているんだモン。
でも、藤山寛美を彷彿とさせる仕草や言葉は、チャーミングでしたね。

二話の「幸助餅」という時代劇のあらすじは、次の通りです。

 大黒屋は、餅米問屋では、大阪一と言われるほどの老舗でしたが
 その主人、幸助(西郷輝彦)は、大の相撲タニマチで
 お気に入り力士に、金品を入れ込むあまり、財産を失ってしまいました。

 みすぼらしい姿で働く悲しみの幸助は、見違えるほど立派な大関になって
 大阪に戻って来たかつてのお気に入り力士と、偶然に道すがら出合いました。

 力士から「昇進できたのは、旦那さまのお陰」といわれた幸助は
 大黒屋再建のために借りた三十両を、以前の悪い癖で、気前よく力士に与えます。
 帰りを心配して、駆け付けた幸助の妻(藤山直美)は、力士に事情を説明して
 返してもらうように説得しますが、応じてもらえませんでした。

 タニマチとして、愛してきたつもりの力士の情の薄さと、己の馬鹿さ加減に
 初めて我が身の過ちを知るのでした。

 1年後、非情な仕打ちに、心機一転、一念発起して、幸助と妻の
 死に物狂いで商売に専心した甲斐あって、大黒屋の幸助餅は
 大阪の名物と言われるほどになりました。

 再建のための三十両を新たに借りることもでき、知らぬところから注文が入ったりもする。
 その背景には、非情と思っていた力士が、この1年間、ひたすら蔭から
 商売繁盛への後押しがあり、三十両の出所もその力士であったことを知らされます。

 「表には出さない情けの深さを知る人情物語」の二話は、夫の涙で幕となります。

この時代劇でも、藤山直美は、ダメな夫を支える妻として存在感のある西郷輝彦の脇役を、妖艶に演じていましたね。

一話と二話を通して思うことは・・・

日本のおばさんの伝統には、「思いを自己主張しない美しさ」があるということです。
草木が、たとえ朽ちゆく中でも、キラビやかな花と自然に溶け込むように溶解の美が、日本女性の美意識には、潜んでいるのだろうと思います。

思いは想いで、自己に秘め、その思いは自己主張しないで自ら輝くのではなく、間接照明のような、周りを照らすところに「おばさんの美しさ」があるのでしょう。

日本のおじさんの伝統には、「思いを自己昇華する美しさ」があるということです。
人は、煮え切らない気持ちで人を見ていると、えくぼもアバタに見えるものです。
気前よく高邁な振る舞いをすると、不相応なものであれば身を持ち崩してしまいます。

私たちは、新たな恨みや嫉妬、迷いや不安が次々と生まれては消え、消えては生まれて来るものです。

だからといって、そんな心の闇の中に埋没してそんなことばかりに、思いを馳せているほど、私たちは暇ではありません。
まずは、至近の債務を消化せよ、目前の細務を片付けよ、と。

思いは想いで、自己に秘め、その思いを昇華させて前に進むところに「おじさんの美しさ」があるのでしょう。

「思い」は、むやみに口に出さぬ方が、よいかもしれません。
思いは、心に深く秘めて、その内なるおもんぱかりの思慮をロシアの文豪トルストイが言ったように、低い声で語ったほうが良い。

なぜなら・・・
本当に言いたいことは、早くて高い声よりも、ゆっくり低い声の方がずしりと響いて語勢があるだろうから。

脳内に思いが詰まり過ぎると、頭でっかちとなって、バランスが悪く揺れた時の復元力が弱い。

これは、船の重心が、高い位置にある状態を指して、トップヘビーというように自分の言葉の重さで、高波を受けると転覆するのと同じである。

宇宙人と称される、かつての日本を代表する超有名人が自分が、発した言葉の重さで、立ち行かなくなって自滅したように。

私は、大好きな松竹新喜劇からおばさんとおじさんのそれぞれに「秘める思いの美学」を学んだ向暑の6月でした。

2010.6.13

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