コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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61. 桜のしおり

四月、春が実感できる時候となりました。
桜の花は、関東ではいよいよ爛漫となる頃となっています。

私は、4月2日、突風が吹き荒む小雨模様の中を大学の入学式に、出席する機会がありました。
入学式に相応しい桜は、八部咲きで、つぼみがまだ固かったためか突風でも花鱗が、散らなかったのは幸いなことでした。

入学式には、新入生が6700人ほどとその家族、在校生や OB、理事や教職員などを含めると1万人以上の人たちが、大学に集結した模様です。

約30年ほど前、私が、入学した地方の小さな大学は創立間もないこともあって、総勢200人くらいの新入生を体育館に集めて厳粛というよりも、それはそれは質素な式典でした。

それと比較すると、歴史ある大学では、荘厳な式典が開催されその伝統の厚みに圧倒される思いでした。

昔、入学した頃とは比較にならない時代変革の中で歴史の重みを感じる大学のトップの祝辞は、新入生ばかりではなく私たち一般人にも大きなメッセージを与えてくれたように思います。

祝辞では、冒頭で次のように新入生へ語りかけていました。

 「今年の大学新入生たちの生まれた1990年頃は
  日本で65歳以上の高齢者は、人口1割を越えたところでした。
  それが、今は、人口の2割を越え
  新入生たちが、職業生活から引退する今世紀の半ばには
  4割を越え、未曾有の高齢化に向って、社会構造が変質しています。

このような大変革の時代には
多くの局面で既成の概念や古い思想は通用しなくなります。
そこでますます大切になるのが、自分の頭で考える力と生き抜く力です」と。

自分の頭で考える力と生き抜く力・・・
この力は、新入生ばかりではなく学校を卒業して実社会にいる私たちにとっても大切な能力です。
いくつになっても、生涯鍛え続けなければ、錆び付いてしまうものだと思います。

そして、さらに続けて述べられました。

 「自分の頭で考える力とは
  自ら問題を発見し、その問題を説明しうる仮説を作り
  その仮説をきちんと検証して、結論を導く。

  事物の真の姿を実証的な学問を通じて理解することです。
  そして、その理解に基づいて問題を解決していくことが
  変質していく社会の中で、求められています」と。

問題点を発見し→説明し得る仮説を立て→正しいかどうか検証して→結論を導いていく。

この過程は、日常生活に役立つ、実証に基づく、論理的で合理的な実社会での活躍に必須の学問と科学の思考法でありこれこそ『実学』の基礎となるものです。

独立した一個人が、必要な知識を貯えて、身に付けたスキルを活用する実学は実社会でもっとも必要な力です。

それには、まず膨大な年月を掛けて、過去に確立された学問体系のプロセスを、追体験しその中から学んだ自明の真理、すなわち公理と今、眼の前にある現実世界との相違を克服する努力によって、培われるのでしょう。

祝辞の最後は、次のような言葉で締めくくられました。

 「私たちは、新しく迎える学生を顧客だとは、思っておりません。
  この大学に学び、卒業した後も、一人の独立した人間が
  生涯を通じて学び合う力を持続させ、人生を閉じる時に
  この大学に学んで幸せな人生であったと思える関係でありたい」と。

自己の判断や責任のもとに行動する剛毅の心を持ちつつ同時に他人もまた独立した個人として、尊重する柔和な心を持つ。

『独立自尊』を建学の中心思想にしながらさらに、教える者と学ぶ者の分を定めず相互に教え合い、学び合う『半学半教』を生涯の礎とした創立以来150年の教えは私たち一般者にも大切な精神を思い起こさせてくれるものでした。

入学式から数日たった後、新聞に次のような記事を見つけました。
拉致被害者の蓮池薫さん夫妻が、支援法による給付金を4月から辞退することにされたと。

ご夫妻は、帰国後、大学に学びながら翻訳業や執筆活動のほか職業に就かれており「自立」への希望を強めていたそうです。
これまでの支援に感謝するコメントも出されていました。

私とほぼ同世代の蓮池さんは、苦難の道にありながら一縷の光をたよりに、異国の地で生きて来られた。

帰国後、郷里の新潟で教え教えられる半学半教の環境の中で独立自尊への道を進まれた。
そこに、さわやか感、以上に人としての筋道を教えられ本来私たちが持ち合せていなければならない気骨を感じるのでした。

授業料無償化、戸別補償、子供手当てなどの今の国の施策は制度を必要とする人が、少なからずいることは事実だと思います。

でも、その現実を踏まえながら、このような施策が、無制限に施行されることによって将来、私たちの自立心を損なう結果となりはしないか・・・
無償を享受した者が、自らの頭で考え、自ら生きる力を減衰させてしまうのではないか・・・
と危惧するのです。

最近、日本人が、無くしてしまったものについてよく議論されています。
それは、いったい何でしょうか?

私は、その一つが「自立心」でありもう一つは「旬に対する感受性」ではないかと思います。

日本の四季は、変化に富み、私たちは、繊細で豊かな季節感を養ってきました。
春分の日や秋分の日は、自然を讃え、生物を慈しむ日であると同時に先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日とされてきました。
桜や紅葉は、私たちの死生観や人生観に大きな影響を与えてきました。

これらの旬に対する感受性は、自立心を持った個人が、歳を重ねるに従って若い頃とは異なる色合いで、光沢を増しさらに、微妙な色彩を放ちながら輝くのではないかと思います。

私にとって、桜咲くこの時期に晴れの入学式に親の立場で出席する機会を得られたことは、この上ない喜びで、幸せな数時間でした。

 「自己の判断と責任のもとに行動する剛毅の心
  同時に他人もまた独立した個人として尊重する融和な心
  生涯とも、相互に教え合い、学び合う精神
  実社会の活躍に必須の学問と科学の思考法」

祝辞で新入生に語りかけられた内容は出席した他の大人たちにも大切な “しおり” になったと思います。

しおり(栞)とは、案内、手引き、あるいは入門書のこと。
読みかけの書物の間に挟んで目印とするひもの付いた短冊の紙片もしおり。

入学式で語られた祝辞は、文庫本に例えれば

大学に晴れて入学した新入生には・・・
19ページ目にそっと添えられた『桜のしおり』は入門(オリエンテーション)という章だったのではないでしょうか。

大学に入学して30数年の私にとって・・・
50数ページ目にそっと添えられた『桜のしおり』は道標(みちしるべ)という章でありました。

2010.4.8

60. スポーツ財産の継承

バンクーバー冬期オリンピックが、終了しました。
期待通りの成果は、上がらなかったかもしれませんが懸命に頑張る選手の姿に、感動の余韻を今も残してくれています。

オリンピックを代表としてあらゆるスポーツを観戦する時に気付くことがあります。

それは・・・
 肉体を鍛え上げ、精神を一点に集中させて、大舞台に臨んでいる選手へ
 「がんばれ~」「負けるな~」「それ行け~」と声援するたびに
 自分自身が、まったく同じ言葉で、逆に選手から激励されていることにです。

大きな大会であればあるほど、選手たちのプレッシャーは、尋常ではないはずです。
ある時は、スランプを克服し、ある時は、故障を調整して大舞台に臨むアスリートたち。

彼ら彼女らはそれまでの声援を励みにして、積み重ねてきた訓練を自信にしてそれらが活動の本源となって、本番に臨むのでしょう。

スポーツにおける感動の原点は「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあります。

世間の注目を集める大会であればあるほど日々の生活から自己の欲望を可能な限り制御し、切り落としながら目標に向って過ごして来たはずです。

そんな肉体的にも、精神的にも鍛え抜いた人が、魅せる姿であればこそその結果が、選手自身の目標に到達できなくても、または私たちの期待に沿わなくても凡庸な私たちは、その過程に感動を覚え、惜しみない拍手を送るのだろうと思います。

そして、もう一つ私たちに感動を与えてくれる原点はアスリートの本番以外の立ち振る舞いにおける所作の美しさにもあると思います。

競技が開始する前は、静寂の中に緊張して、キリリと締った凛々しさと競技が終了した後は、溜息の中に圧迫されていた胸が、弾ける切なさに垣間見えるアスリートの所作の美しさに感動を覚えるのです。

競技そのものの可憐さに加えて競技者が、競技前後に見せる行儀が、清々しく美しければ美しいほどさらに感動が、大きいのだと思います。

では、競技者が、競技前後に見せる清々しい美しさの源泉とは何でしょうか?
それは、すなわち「礼の精神」に基づいた所作なのではないかと思います。

「礼の精神」とは何か・・・
礼とは、他者に対する優しさを形に表したものです。
日本では、昔からお辞儀の仕方とか、歩き方とか、話し方とかその他にも、所作に関する作法が作られ、それらを規範として学ばれて来ました。

他者に対するこのような礼の精神を備えたアスリートが競技そのものの可憐さと競技前後に見せる清々しさに優美さを与え、感動させてくれるのでしょう。

アスリートが、示す・・・
自身の晴れ舞台となる、競技場に入場する際の、一礼
自身を応援してくれた、観客者の拍手に対する、答礼
自身のライバルとなる、競争者を敬するこころ、黙礼

アスリートのこれらのすべての礼は成績の結果以上に、感動を与えてくれるものだと思います。

私は、スポーツを観る度に「鍛え抜かれた肉体」の上に「礼の精神」を宿すアスリートにこよなく感動を覚えるのでした。

出場している選手へ、私は心の中で叫びます。
 (がんばれ~・・・)
 (負けるな~・・・)
 (それ行け~・・・)
などと。

声援しているうちにその言葉は、自分のこころの中で「こだま」してやまびこのように反響し、自分が鼓舞されています。

選手を励ましていながら、いつの間にか、その選手に励まされている。

テレビが中継する街頭の声でよく耳にする「元気をもらった」「勇気をもらった」という言い方も選手からもらった感動を、自分なりに「こだま」させた言葉なのでしょう。

バンクーバー冬期オリンピックを観てスポーツにおける感動の原点は・・・

「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあるのは、もちろんそれと同等、あるいはそれ以上にアスリートの立ち振る舞いにおける所作の「礼の精神」と私たちの内なる「こだま」にあるのだと思いました。

肉体的に最高の選手が、最幸の人生を歩むための礼節は、欠かせない生活道。
私たちは、礼の精神をスポーツにおける貴重な財産として若い世代へ継承しなければならないのではないでしょうか。

さて・・・
今度は、パラリンピックが、始まりました。
ハンディキャップを背負った選手が、どんな感動を興してくれるでしょうか。

私たちは、また心の中で叫びながら、テレビを観戦していることでしょう。
 (がんばれ~)
 (負けるな~)
 (それ行け~)

そして、最後に・・・
 (ありがと~)と。
これらの言葉が、やまびこのように、心の底で「こだま」しながら・・・。

2010.3.14

59. 品格のブーメラン

横綱朝青龍が、ついに引退することになりました。
世間の人たちは、引退して「当然」で「必然」とする意見が、多数派を占めているようです。
一方では「残念」で「不幸」と思う人たちも少数派ですが、いるように思います。

今までの朝青龍の破天荒な言動は、責められて当然でしょう。
今回の泥酔騒動も、暴行の軽重以前に泥酔して騒動を起こした時点ですでに弁解の余地は、ないものでした。

横綱審議委員会は、引退勧告書で朝青龍をこう断じました。
「畏敬されるべき横綱の品格を著しく損なうものである」と。

横綱に求められている品格とは・・・
他の地位と異なり、負け越しでも番付が降格しない特権で守られている一方責任を果たさなければ、残された道は引退しかない。

その重い責任の中には、土俵上の勝敗はもちろん土俵外の立ち振る舞いも、全力士の模範となることが、含まれています。

朝青龍は、体力的に恵まれていたわけではありませんでしたが、日本の高校に留学した時から「土俵の上では、鬼になるという気持ち」で闘争心をかき立てて来ました。

強くなっていくその過程で、土俵の外まで模範となる立ち振る舞いに器量を大きく出来ないまま、角界の最高位まで昇り詰めてしまいました。

偉大なものとして、かしこまり敬う横綱に求められる地位を残念にも、29歳になった最後まで、理解し体現できなかったのでしょう。

ところで・・・
「品格」という言葉が、盛んに使われるようになったのは2005年にベストセラーになった『国家の品格』が、きっかけではないかと思います。

著者は、言わずと知れたお茶の水女子大名誉教授、藤原正彦さんです。

数学者である氏が、優れたエッセイストとして有名になった著書は自身の若かりし修行時代を綴った『若き数学者のアメリカ』(新潮社、1977年)でした。
それは、次のような内容でした。

 「若き数学者が、留学していた異国の地ミシガン大学で
  研究員として行なったセミナー発表は、成功を収めます。
  しかし文化習慣の違いで、冬を迎えた厚い雲の下で孤独感に苛まれます。

  翌年の春、フロリダの浜辺で金髪の娘と親しくなり
  アメリカに溶け込めるようになった頃
  苦難を乗り越えてコロラド大学助教授として教鞭をとる」

そんな29歳~32歳の間の体験記でした。

藤原正彦さんは、数学者として成功されながらさらに骨太の論理力を駆使した強い意志をもった社会的提言を行なう文士でもあられます。

偏狭であったであろう時代に異国の地で、文化習慣の違いに揉まれながら数学者として大成された。
そればかりでなく、私たちにとって、人として正しい道を提唱される大変有り難い文人として、尊敬する先達者です。

私の20代を思い出してみると若かりし大学時代に『若き数学者のアメリカ』という著書に接して大きな勇気をもらった記憶があります。

自分の想いと力の無さの狭間に、悶えながら過ごしていた時にこの著書の主人公が、揺れ動きながら、29歳からの数年間を過ごしていく姿に共感を覚え、その当時、多大な勇気をもらったものでした。

藤原正彦さんは、『国家の品格』の中では、次のような内容を書かれています。

 「論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの
  それは、日本人が持つ美しい『情緒』や『形』である。

  自然への繊細な感受性を源泉とする美的情緒が
  日本人の核となって、類い稀な芸術を作っている。

  数日で潔く散る桜、紅葉の繊細さ
  悠久の自然に儚(はかな)い人生を重ねる、もののあわれ
  弱者へのいたわりと涙、惻隠の情・・・

  論理性や合理性の重要さを認めつつ
  論理偏重の欧米型文明に代わりうる情緒や形を重んじた
  日本型文明を『先達』に学びなさい」と。

「品格」ということを考える時それは、相手に求めるものではなく先達と師匠に学びながら、自己への戒めとして、自身が育むもの人が見ていないところで自律的に発揮するものであろうと思います。

角界の頂点に昇り詰めた朝青龍は・・・
肉体的自己研鑽に励みながら、彼の中で見本となる相撲の「先達」に出逢わなかったことが「残念」なのである。

逸材として期待に応えた朝青龍は・・・
あまりにも飛び抜けた力故に、彼の中で目標となる人生の「師匠」に出逢わなかったことが「不幸」なのである。

少数派の意見かもしれませんが私は、朝青龍の引退を「当然で必然」としながらもこの上なく「残念で不幸」なことだと思いました。

私自身の若かりし頃を述べるのは、甚だ気恥ずかしいのですが私が、卒業した地方の弱小大学では(でも誇りに思っていますよ)既存の大学と比較して、先輩諸氏が、少ない故に地域医療を担う職場を、就職口として地元に確保することが卒業する当時、なかなか困難な状況でした。

(だから、私のような田舎者が、首都圏に赴任する運命となったのですが・・・)

脳外科医の修行は、相撲部屋と同じく、おっかない上司の元でその当時、理不尽だと思われていた命令に歯向くことは、出来ませんでした。

でも、人事異動で勤務先が、十数回も変わるうちに、多くの出合いの中で脳外科医の技と、人として道を、研鑽することが出来ました。

私は、そんな優秀な脳外科医の先達や、人生の師匠といえる人に出合わなかったらつまらない人生を歩んでいたことでしょう。

今から思えば、そのような人たちと、もっと積極的にまみえていれば更に違った良い人生になったかもしれないと思います。

朝青龍の引退から、そんなことに想いを馳せて・・・

もし、私が、朝青龍の育ての親であるならば今、意気消沈している彼に、どんな言葉をかけてやるでしょうか?
たぶん、次のようなことを言ってやることでしょう。

 「お~い、ショウちゃん!

  あのな、高校を卒業した19歳の頃の自分を思い出してみろよ。
  純粋に目標に向って、頑張っていたあの頃の姿をな。

  その気持ちを、いつまでも持ち続けることが、出来れば
  今、そして、これからの逆境なんて、屁みたいなもんだぜ。

  春から新しい環境に身を置いても、自分の目標となる先達と師匠を求めて
  過去を教訓としながら、感性を磨いて、挫けず、前に進んで行けよ。

  折れそうになった時、自己を支える書物にも巡り会えるようにな」と。

私たちが、品格という言葉を使う時その言葉を投げかけたその先はブーメランとなって、自分自身へ還ってくる・・・

新しく出発するショウちゃんへのメッセージを込めながらそんな想いを廻らした29歳朝青龍の引退劇でした。

2010.2.14

58. 清遊な余暇の時間

freedom(フリーダム)という英単語は、拘束や制限のない状態で日本語では、「自由」と訳されます。
この言葉の概念が、日本に入って来た明治時代に、なんと訳語をつけるかと悩んだ福澤諭吉は、「自(おのずから)由(よる)」と訳しました。

どのような人にも等しく与えられた24時間。
この24時間は・・・
睡眠や食事、あるいは勉学や仕事、そして余暇や遊びを含めて基本的に自由です。

この「おのずからよる」と訳された「自由」な時間を私たちは、如何に按分するか?
どのような割合で時間を割り振るか?はまさしくそれぞれ個人の自由です。

一日24時間を分かり易く単純化して、三つに分けると
 「生命を維持する時間」
 「義務を遂行する時間」
 「余暇を享受する時間」
になると思います。

「生命を維持する時間」は・・・
睡眠や食事、風呂や排泄などの基本的に生きるための時間ですのであまり自由度がありません。

「義務を遂行する時間」は・・・
学生時代は「勉学」でしょうし社会人になっては「仕事」ということになるでしょう。
この時間は、少し自由度がありそうです。

「余暇を享受する時間」は・・・
テレビや映画を観たり、新聞や本を読む時でもあるしスポーツに興じる時もあるでしょう。
自由度が、とても多い時間です。

高齢となって一線を引退された人は勉学や仕事などの義務から解き放たれてまさしく終日、自由な余暇の時間が、待っています。
この年齢に達すると、健康とお金があれば、自由度が、最高です。

私たちの24時間は生命を維持しながら、義務を遂行し、そして余暇を享受しています。

等しく与えられたその24時間を私たちはどんな時間に幸せを感じるのでしょうか?
人間の幸福は、如何なる時間にあるのでしょうか?

食事を楽しむ時間が、最大の幸せと感じる人もいるでしょうし仕事に徹する時間が、最高の喜びと思っている人もいます。あるいは趣味に興じる時間が、至福の悦楽と考える人も多いでしょう。

多種な人間が、幸せと感じ、喜びと思い、悦楽と考えることは、まさしく多様です。
でも、一番大切なことは・・・
これらの時間が、すべてリンクしながら、シンクロしているということです。

すべてが、リンク(関連)しながら、シンクロ(共鳴)しているとはいい食事や十分な睡眠をとっていないと、勉強や仕事が、はかどらないし勉強や仕事が、はかばかしくないと、趣味やスポーツどころではありません。
その逆もまた真であるということです。

人間の幸福観は、様々でしょう。
でも「余暇を享受する時間」が人の幸福感を耕すインキュベータ(培養器)の触媒になっているのではないかと思います。

余暇の時間の重要性を最初に説いたのは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスでした。
強大なスパルタが、アテネに負けた敗因は、戦争が終った後の平和な時間をすべて次の戦争の準備に費やしてしまったからだと述べています。

無駄は、省かねばならない。
けれど車のハンドルが、少しの遊びがなければ動きにくいように人は、肉体や精神をギリギリまで追い詰めるとスパルタが、自己を追い込んで自滅した様に人間として動きが困難になってしまうのでしょう。

ところで・・・
最近のテレビ番組を観ていると出演者に知識力や語彙力を競わせるクイズ番組が、たくさんあります。
有名大学出身者をズラリと並べて、インテリ軍団とタレント軍団にその博学ぶりを競争させる番組です。

そんな番組を観ながら、クイズの問いにほとんど答えられない私はこの人は「頭いいんだなあ、すごい奴だなあ」と思いつつへそ曲りにフッと次のような想いも廻ります。

 『知識力や語彙力などを有する博学者は、それはそれで尊敬に値する。
  なんでも知っている人を見れば、憬れもする。
  けれど・・・
  その力が、単なる競争となって勝ち負けだけに使われるとすれば
  その努力は、ちょっと寂しいんじゃないのか』などと。

これは、クイズ番組を観ながら、正解を答えられない(私のような)愚者のヤッカミなのかもしれません。

番組に出て来るタレントは、有名大学を出た人も多いため難関な試験を突破できた基礎学力がある人たちですから学生時代は、暗記力が、よかったのでしょう。

インテリ軍団もタレント軍団も、クイズ番組に出るに当って、恥をかかないために今もさらに凄まじい勉強を、日々続けているのではないか、と想像します。

余暇の時間を、知識を得るために費やす毎日は、辛い日々であってもそれは同時に知的好奇心を満たす楽しい日々でもあるのでしょう。
実は、そんな日々を過ごせる人を、羨ましくも思います。

何故なら、それは、余暇の時間に費やした辛い日々の努力が遂行すべき義務の時間に、仕事なら日々の業務の中で勉強なら試験の結果として輝きを与えてくれるだろうから。

私たちは、「余暇の時間」の過し方によって遂行すべき「義務の時間」の輝きが、違うように思います。

でも、そんな余暇の時間におこなった知識を得るための勉苦が人を負かせるためだけに使われる努力では、もったいないと言いたいのです。
知識や才能がある人は、それが人や社会に役立って、はじめて花が咲くと言いたいのです。

では、それほど高尚でない私たち凡人はその余暇の時間をどのように過ごせばいいのでしょうか?

余暇の過し方で、どんな世代でも、とりわけ私たちが大切にしなければならない primitive(原始的で素朴)なことは心の疲労、つまり心労を避けることだと思います。

過ぎてしまったことへの後悔や、取り越し苦労などの「心の無駄を排する」こと。

昔から病は気からというように心労は、また肉体の病気とも密接に関連していることを忘れてはなりません。余暇は、俗世の心労から離れるのがいい。

そして、十分離れた後に、善きことを思う強い心を「養」ってはじめて心の休養となる。

だから、あ~でもない、こ~でもない、とくだらないことに心を惑わされないこと。
歳をとればとるほど、高齢になればなるほど残り少なくなっていく自由な余暇の時間に、心の無駄を費やさないこと。

24時間仕事バカを自認する多忙な人にとって
(ちなみに、私は、自身には12時間仕事バカ!残り12時間は自由バカ?と思っていますが)
余暇のいい時間の過し方は・・・
非日常的で利害を離れた清らかな遊びでありたいと思います。

たとえば、舞や能、歌舞伎などの芸能、あるいは絵画や書、茶道や華道、俳句や川柳などの日本の伝統的な「清遊」。つまり、清らかな遊び心を何よりも大切にしたいと思います。

自(おのずから)由(よる)と訳した財布の中の福澤諭吉さまにもっと多くの仲間を連れて来てもらおうと願うなら・・・自分の方を指差して、「こちらですよ」とお呼び掛けをして来訪された福澤諭吉クローン(遺伝子組成が完全に等しい増殖群)さまにさらに多くの自由を使わせて下さいませと望むなら・・・

私たちは、個人も社会も、果たすべき義務の時間が、もっと輝くために心の無駄を排した自由度ある清遊な余暇の時間を持つべきなのでしょう。

そんな清らかな触媒となる日々を、一日でも多く過ごしたいものですね。
そして、福澤諭吉さま、我が財布の中に「いらっ~しゃあ~い」。

2010.2.11

57. 新年の密かな抱負

ミレニアムで始まった2001年から早9年が過ぎ寅年の2010年が、始まって、1月は、もう半ばとなりました。

新しき年、庚寅(かのえとら)を晴れ晴れと迎えられたお正月は良き年でありますように祈られたことと思います。

今年の干支は、十二支の第三番目にあたる「寅」ですが関西人の多くの人たちは、「とら」と言えば阪神タイガースの「虎」を思い浮かべることでしょう。

生粋のネイティヴ関東人で映画好きなら、「とら」と言えば男はつらいよの葛飾柴又フーテンの「寅さん」を思い浮かべるかもしれません。

山田洋次監督の『男はつらいよ』の最終回である第49作目の上映が平成9年でしたので、このシリーズが終ってもう10年以上になります。

北陸出身の関西系関東人である私などは
(ちなみに、関西弁と標準語を巧みに操る自称バイリンガルと言っていますが・・・)
「とら」と言えば、銀座とらやの和菓子「虎屋のようかん」を思い浮かべます。

虎屋のようかんは、今も昔も古典的な和菓子の王様で一服のお茶をすすりながら、一切れのようかんを食べるとただそれだけで、風情ある江戸っ子生粋人に変幻できる私は和の風味を味わうにわか風流人の心情です。

さて2010年・・・
これからの10年、私たちは、一体如何なる年を重ねていくのでしょうか?

夢と現実の中で、期待と不安が、交錯し、新たな年の始めに多くの人が、心新たに良き1年となりますようにと誓ったことでしょう。

新年の抱負は、英語では、New Year’s resolution と言います。
resolution とは、決意、決心、決断などの強固な意志や不屈の気持ちを表す語ですが切なる渇望なら aspiration という語が適切でしょうし志ある大望なら ambition となるようです。

1月も半ばになりましたが、年頭にあたりこの1年の望みは・・・

低迷している阪神の「虎的力強い動き」が、社会の中に復興することをジャイアンツファンである私でさえも、渇望 aspiration し

山田洋次監督が描く「寅的優しい心情」が、人々の中に再興することを人間渥美清の大ファンである私こそが、大望 ambition します。

そして自身の抱負は・・・

庚寅の年初に、香り高き一服のお茶を嗜み一切れの虎屋のようかんを、生活の中で風情豊かに味わいつつ

お腹の周りを“ありゃ、いつの間に厚く・・・”とさすりながらoverweight(重量超過)や obesity(肥満)とならぬように二切れ目のようかんは、“イカン、自重しよ~”と密かに resolution(決意)した新年の始まりでした。

遅くなりましたがみなさま、今年もよろしくご指導をお願いします。

2010.1.14

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