コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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21. 大切で基本的な能力

今、社会の中では今までの価値観を揺るがす変化が起っていると言われます。
石油価格の暴騰と中国製餃子の食中毒事件をはじめとして生活に必要な品々の騒ぎが報道で何回も何回も取り上げられました。

また世界規模の金融危機と株の暴落、さらに円の急騰などによって私たちの実体経済に深刻な影響が出て来ていると言われます。
信頼を欠く行ないが全ての発端であった出来事をニュースや新聞の解説者や評論家は百年に一度の危機だとその危機感をこれでもかこれでもかと煽(あお)り立てています。

確かに今日本で生活している私たちにとってこのような出来事が自分の生活に影響しない人は少ないのではないかと思います。
被害に遭われた方々や当事者にとっては大変な出来事であって私は同情を禁じ得ません。

でも大多数の出来事は、当事者には心からお気の毒と思いながら自分自身の身を引き締めるきっかけになったはず。他者から勉強させてもらった有り難い教訓となったはずです。

世の中の不吉な出来事が、自分自身にはもちろん、自分の身の周りの人々には起らないように祈りたい。これも普通の心の有り様だと思います。
そしてその延長としてどうしたらその危機を避けられるのかと考える。
これも誰もが願う通常の心の行き先でしょう。
こんな時、私は自分自身に問い掛けることにしています。

『今の自分は、果たして少しでも周りから応援したくなる生き方をしているだろうか』
『今の自分は、果たして一人でも感謝される働き方をしているだろうか』
『今の自分は、果たして僅かでも安らぎを与えられる言葉を発しているだろうか』

自分を第三者から見た時に恥ずかしい生き方や働き方、さらに話し方をするわけにはいきません。
何故なら仮にも私を信じて来て下さった人々の信頼を裏切るわけにはいかないと思うから。

小泉元首相は、執務室に掲げてある掛け軸に有名な高僧が詠んだと言われる次のような詩を掲げていたそうです。
“風吹不動天辺月”(風吹けど動ぜず、天辺の月)
たとえ風が吹こうが、天辺の月は動じないというこの詩の意味合いがどうしたら危機を避けられるかを考えた時、私の心に突き刺さりました。

信用不安を元として社会の中で今までの価値観を揺るがす変化が、如何に起ろうとも世の中で起っている出来事に動じず、それはそれで教訓として身を引き締めつつ人に対しては、誠実に責務を信頼で相対していく他に私たちが進む道はない。
そんな基本的な能力が、今の時代に一番大切なのではないかと世の喧騒を見てつくづくと思いました。

20. がんばれ、受験生

受験勉強に励んでいる人は、これからが一番大切な時期になりますね。
受験日に照準を合せて積み重ねた努力が、思う存分に発揮できますようにそれぞれの受験生にがんばれよと心の中で祈らずにはいられません。

私も今まで数多くの受験を経験してきました。
高校受験を皮切りに、大学受験、そして医師国家試験、最後は専門医試験。
ある時は、失敗し、またある時は合格してそれぞれの試験の時は、それはそれで大変苦しい時期でした。
でも試験が終ってみれば、自分自身が一皮剥けて一回り成長できた事を実感したものでした。

試験に落とされて自分の目の前に立ちはだかっている大きな壁を乗り越えられず辛かった時期その壁は、程度や状況の違いこそあれどんな人にも訪れる試練です。
しかしその辛さや苦しみは自分自身が、将来花を咲かせる前にもっと大切で大きな養分を吸い取るために根を張り地中に深く伸びていくための過程だったと後になって気付かされます。
人は、苦しい分だけ地中に向って根を張ることができたのだと後から思います。

ヤンキースで活躍している松井秀喜選手は彼が小さい時にお父さんが託した言葉『努力できることが、才能である』が座右の銘だと語っています。

マリナーズのイチロー選手は首位打者を獲得しても自分の技術に満足することなくナイターの試合後にバッテング練習を重ねたそうです。

この二人は天賦の才能があったからできた・・・
しかしそれ以上に努力が継続できる人間であったことに大きな意味があるのでしょう。

受験に向って努力を続ける日々は、またとない充実した時間であり自分がどんどん成長していると実感できる貴重な日々でもある。
努力を支えるもの、それは最終的には強い自分の意志に他なりません。
周囲に流されないために将来への夢を描きながら自身を克己し不断の努力を積み重ねてそれぞれの受験生は受験当日に最高の実力が発揮できるように努めてほしい。
そんな昔の受験生時代をフッと思い出した12月でした。

中学受験をする小学生のあなた・・・
大学受験する高校生の君・・・
今は辛くてもこの試練に耐えて自分の努力で希望に満ちた暖かい春を迎えて下さい。
You can do it!(あなたなら出来る=ガンバレー)、candidate(受験生)。

19. 母と娘、親子の絆

通院患者さんの中には、ご高齢の方々が、大勢おられます。
90歳代の患者さんが、何人もおられますが通院される際に施設で療養されている人は、施設の職員に付き添われて自宅で療養されている人は、ご家族と一緒に来院されます。
90歳を過ぎると、さすがにご自身を自分お一人で支えることが困難になってきます。

でも、そんな中、背筋をピンと伸ばして介護者やお付きの人もなくお一人で通院されている女性患者さんがいます。

その患者さんの娘さんも当院へ通院されていて母と娘で外来通院されている親子なのです。
母と娘・・・  ・・・
と言ってもお母さんが90歳代前半で・・・娘さんが60歳代後半で・・・。
「娘さん」とお呼びするには、ちょっと?・・・ですが母娘であることは確かですね。

その「娘さん」は、当院へ通院しながら他の重要な疾患で他院へも通院され、今、命に関わる病気で病魔と戦っておられます。
放射線治療と抗がん剤治療を受けながら。

ある日、お母さんが、外来受診された時におっしゃいました。
『私は、高齢だけどまだ弱音を吐いてはいられません。娘を元気付けるためにも』と。
もともとお元気そうな容姿でしたが、増々背筋を伸ばして毎日を過しておられるそんなシャキッとした日々を生きる姿勢に思わず拍手したい気持ちになりました。

別の日に娘さんが、外来受診された時の会話では私が、『お母さん、すごくお元気ですねえ』と言うとその娘さんは、『そうなんですよ。私以上に元気でねえ。私も負けられません』と。

人が人を支え合う。
人は自分のためだけに生きているのではない。
人の存在そのものが、人の生き甲斐になる。
そんな思いを垣間みた親子の絆でした。

18. 勤労感謝の日・・・気付け幸せを失う前に

日々の生活が、忙しいと誰でも不平不満が鬱積し勝ちになります。
こんなに頑張っているのにどうして私だけ報われないの・・・と。

当たり前の生活に感謝することは、かつて多くの人たちは普通の事でした。
それがいつの間にか、当たり前の生活が普通になって当たり前の生活に感謝しない日々が普通になってしまったのが、今の時代です。
自分自身の分というものを徐々に見失ってしまった結果だと思います。

自分さえよければいいという自分勝手主義の風潮が蔓延し自分たちも知らず知らずにそのようなウイルスに冒され“風邪”を引いてしまったためなのでしょう。
このようなウイルスはあっという間に体の底まで浸潤してそしてまた他人へも感染させてしまいます。

こんな時、ある映画を思い出しました。
小津安次郎監督の名作『麦秋』で老夫婦が静かに語り合うシーンです。
老夫婦が自分たち家族の平穏な生活を振り返って夫が、“今が一番いい時かもしれないね”と述懐します。
そして妻が、“そうですね”と返事をする。

老境に入った夫婦が、過去を振り返って夫が妻の労をねぎらい、妻が夫に感謝する。

このシーンを通じて、今おかれた境遇を分として得心し感謝することは今、このような時代にあって私たちが老境に至る前に私たちの多忙な日常こそ“風邪”を駆逐する一番必要な抗ウイルス剤だと気付かされます。

では、不平不満がつのった時にはどうしたらいいのか・・・
空気をゆっくり吸って、次に肺にためた空気をさらにゆっくり穏やかに吐く腹式呼吸。
特に呼気をゆっくり吐くことで副交感神経を賦活させるのがお勧めです。
このような単純だけれども日々の訓練が、いざという時に身を助けてくれるはずと信じたい。

自分自身に与えられた“分”をわきまえながら“足る”を知ることで私たちは、当たり前に生活出来て、日々の生活が健康に勤労できることに感謝する。

幸せを失う前にそんな毎日を過したいもの。
『感謝について』改めて思う勤労感謝の一日でした。

17. それでも人は生きてゆかねばならぬ・・・

人が生まれ寿命が尽きるまでの一生涯の中で喪失するという体験は、何回あるでしょうか。

受験に失敗して自信を喪失する・・・
地震や災害で家屋を喪失する・・・
不況で株やお金を喪失する・・・

喪失する内容に軽重はあっても喪失体験がない人は、この世に誰一人として存在しないでしょう。
できることならそんな喪失体験などしたくない。
でもそんな喪失体験の中から人は試練を乗り越えて生きていかねばならいばすです。
何故ならば、人は一人で生きているわけではないから。
自分一人のためだけに生きているわけではないから。

街の中で理不尽な殺人事件で家族が殺されようとも世界経済が音を立てて崩れ日本経済も避けられぬ影響で傾きかけようとも自分たちの生活は、いつもと変わらずに毎日の生活に僅かでも潤いを求めてそして少しでも周りの人々にも安らぎを与えられるように変わらぬ日々の生活を悠久として流れる日々の日常を少なくともこの世に生きている自分自身はいずれは自身もこの世から去ってゆく事を知りつつ寿命が尽きるまで生きてゆかねばならない宿命があると思います。

人を励まし、人に「元気」「活気」「活力」「気力」を出してもらうために作ったはずのこのコラムが図らずも自分を励ますためのコラムになろうとはコラム開設当初は、思ってもみなかったことでした。

妻が亡くなったことで多くの皆様からご厚情を頂きました。
知人、友人、同級生、恩師、同僚、医療関係者、そしてスタッフ、さらには患者さんから私が今までにお付き合い頂いた多くの人々から激励のお手紙、励ましのお言葉を幾重にも多数頂戴しました。
お一人お一人のご厚情によってくじけそうな私は「勇気」を頂いています。
人との繋がりを心から有り難いと感謝しつつ改めて深く御礼申し上げます。

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