コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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41. 訪問と墓参り

5月のゴールデンウイークは、新型インフルエンザ感染拡大による心配の中高速料金の定量化による割安感で、遠くへお出かけになったご家族・・・
あるいは、こんな時こそ、自宅近辺でじっとされていたご家族・・・
それぞれ、お過ごしになられたことでしょう。

私は、この休暇中、二つの目的で故郷富山へ帰省しました。
一つは、脳神経外科の恩師であり出身大学の学長まで勤められたT先生のお祝いのため、ご自宅へ「訪問」そして、もう一つは、1年ぶりの「墓参り」でした。

T先生は、私が医師になった時から、公私ともにお世話になった恩師です。
脳外科医としての基本を、直接ご指導頂いたばかりでなく人としての生き方を、後ろ姿を通して、お教え頂いた生涯で一番大切な先生です。

その先生が、この春の叙勲で、栄誉ある「瑞宝重光章」を受章されたのでした。

T先生は、声が、誰よりも大きく、太い。
その大きさと太さだけからすると、決して北島三郎に勝るとも劣らぬ声量をお持ちです。

そこへ、さらに、マーロン・ブランド流のドスが効いた重い言葉が、重なるとそこには、ゴッドファーザー風の魅力的で重厚な低音の響きが、周囲一体に漂います。
(マーロン・ブランド、ゴッドファーザーなどが出て来るところに自身の歳を自覚しますが)

医者になった頃、そんな魅惑的な声でも教授回診で多くの医者たちが、病室に群がる中、患者さんの眼前でその太く大きな声で怒鳴られる時には、腹の底まで響いて震え上がったものでした。

私たち新人の医者の頃は、教授回診の前日の夜、「教授回診対策」と称して先輩医師から如何に上手く、教授の怒りを買わずに、すり抜けるか・・・
そのノウハウと傾向と対策を伝授してもらいます。

深夜まで何回も予行演習を重ねて、当日の本番に臨んだものです。

そんなやり取りを通して、新人の医者にとって、教授回診は人の前で発表するプレゼンテーションの大切な初歩教育の場だったのです。

T先生は、多くの医者の中、患者さんの目の前で、新人の医者を容赦なく怒鳴りつけます。
また勉強不足が露呈すると、カルテを床に投げつけることさえあります。

でも、そのような洗礼を何回も受けるに従い新人医師は、人前で分かり易く発表し、鋭い質問にも、聴衆が納得できる返答をする。
そんな修羅場を少しづつ踏むことで、教育訓練されて行くのでしょう。

教授回診でそのような怒鳴り声や、カルテを投げ付けられるのは一定の傾向があることに、新人医師は、ある時気付きます。

怒声と投付けは、脳神経外科特有の意識障害のある患者さんの目の前だけ、という傾向に。
すなわち、ICU(Intensive care unit)という集中管理室で治療している意識障害がある患者さんについて討論している時に、「こと」が、集中していると。

意識がしっかりしている患者さんの目の前ではけっして、そのような下品で野蛮な振る舞いはしない。
それは、別室のカンファレンスルームでじっくり搾られます。

蛮行と思われたそのような諸作の使い分けには患者さん自身への配慮もあるし、新人医師の人格への思いやりもある。
その配慮と思いやりは、保身のためではない人への密かな愛が、こもっていたのだと思います。

メリハリの付いた教授回診は、脳神経外科の特色ある疾患の故でもあるのでしょう。
こんな野蛮な回診が、意識が全員清明である皮膚科で行なわれるはずはありません。
脳神経外科が、重症の意識障害を取り扱う領域だからこそ、出来た回診劇でした。

 (だから、皮膚科の先生は、優しい人が多いのかも・・・
  脳外科医は、心根がとっても繊細だけれど、野蛮な人が多いのかも・・・)

T先生は、そんな教授回診が終ると新米の医者であっても、一人の医師になった時には「おい、ふるいち・・・ガンバレよ」と声を掛けて下さるのでした。

脳外科医となって数年経った時T先生ご夫妻をお仲人に結婚式を挙げました。22年前のことです。

その後、仕事の多忙さを言い訳に、私たち夫婦は二人で、T先生宅へご挨拶に伺っていなかったことが心の底に引っ掛かっていました。

T先生の邸宅と実家の拙宅が、近いこともありいずれそのうち伺えばいいか、と思っていたのです。
でもチャンスを逸すると、なかなかそのような機会は、ありませんでした。

そこで6年前の年始、大晦日の当直が終った元旦の夕方、羽田から富山へ向うことにしました。
飛行機は、羽田から順調に飛行していました。

ところが、羽田では、快晴であった天候が、富山上空となった頃は、大雪となっていました。
日本海側の冬の天候は、予想が困難なのです。

富山湾と富山平野、そして能登半島の上空を何回も旋回しながら着陸のチャンスを探していましたが視界不良でついに着陸を断念。そのまま羽田へ舞い戻ってしまったのです。

雪深い地域では、年に数回そのような不遇があります。

やっと思い立って休みの日程を調整しそして、T先生にも元旦の夜に、大切な時間を作って頂いたにも関わらず着陸断念というジョーカーに見舞わられるとは・・・なんという不運なことでしょうか。

残念無念という他ありませんが、天候による不運は、覚悟の上の飛行ですので仕方ありません。
その後、夫婦でT先生宅をお伺いするチャンスは、ついに逃してしまいました。

そして・・・
4月29日、昭和の日。

新聞紙上でT先生が、「瑞宝重光章」を受章されたことを知った私はこの連休を利用して、ご自宅へ訪問させてもらうことにしました。

富山行き最終便は、悪天候もなく無事到着。そして、T先生宅へお祝いに直行しました。
(妻の遺影と開院時に二人で撮った記念写真を携えて・・・)

Tご夫妻は、私たちの訪問を深夜にも関わらず、大変歓迎して下さいました。
75歳になられたT先生の大きく太いお声は嗄れて、一層さらに重厚な低音となって、再び
 「おい、ふるいち・・・ガンバレよ」と・・・。

その翌日・・・
妻が、眠る墓前に1年ぶりのお墓参り。
だれもいない広い霊園の中に、一人静かに眠る妻を偲ぶと昔の数々の喜悲が、再び走馬灯のように蘇って来ました。

そして、過去の大きな喜びと深い悲しみの魂積で、胸が熱く込み上げて来ました。
瞼の向こうの景色は、蜃気楼のように揺れて、幻影を見ているように、棚引いていました。

私の5月のゴールデンウイークは、「訪問」と「墓参り」。
富山産の美味しいお寿司も食べることができた。

そして・・・
Tご夫妻が、いついつまでも、お元気にお過ごし頂きたいと念じ何より、心の底にあった引っ掛かりが、解消できた帰省でした。

さあ、明日から仕事です。ガンバリましょうね。

2009.5.6

40. 職業と仕事

4月は、下旬となり新緑が眩しい暖春の頃になりました。
この春、新たに就職した人は、今、どんな生活をされているでしょうか。
数週間が過ぎて少し慣れて来た頃でしょう。
私が、医師になった頃を思い出して「職業」と「仕事」について考えてみました。

どんな職業にも貴賤はないと言われます。
この社会が、いろいろな職業によって成り立っていることを考えれば当たり前のことかもしれません。

生活を営む上で必要な社会の底辺を支えてくれている人が、居ればこそ私たちの実生活が成立している。その事実は、忘れてはなりません。
その意味でどんな職業にも貴賤はないと思います。

若い人たちが、職業を選択する時まず最初にその職業に対する憧れが、動機となる場合が多いと思います。

その憧れとは
 見かけのカッコ良さであったり・・・
 収入の多さであったり・・・
 やり甲斐の強さであったり・・・

(自身のことを述べるのは、気恥ずかしいのですが手塚治虫のブラックジャックが、医師への動機でした)

そんな単純な憧れが、大きな動機となって職業に就ければ、それはそれで幸せな職業選択です。
でも問題は、そのあとです。

憧れの職業に就いたあと自身が描いていた理想と目の前にある現実の大きなギャップ。

その狭間とは
 日々の地道さであったり・・・
 自身の非力さであったり・・・
 将来の不安定さであったり・・・

しかし、そんな間隙を埋めるため喘ぎ苦しむその過程で自らの中に職業の本質を見出し立場に見合った倫理観が、長い年月を掛けて自身の中に育て上げられていくのでしょう。

今になって振り返ってみると、私が、医師になった頃、理想に燃えていた反面行動と判断、そして姿勢は、未熟だったように思います。

(その頃、私が主治医だった患者さんは、不遇だったかも・・・今更ながら、スンマセン
 でも、全力でやっていましたので、不幸ではなかったと思いたいのですが)

私たちは、知識を基礎に、経験を積み、常識を身に付けていく。
年齢がいくつになってもその場における相応しい行動や正しい判断、そして美しい姿勢はけっして一朝一夕で完成されるものではないでしょう。

  知識は、自らの努力で学ぶもの・・・それは、「自助」といってもいい。
  経験は、お互の助けで重ねるもの・・・それは、「互助」といってもいい。
  常識は、公共の教育で培われるもの・・・それは、「公助」といってもいい。

「自助」と「互助」そして「公助」
この三つの助が、インターラクション(相互作用)し合うことで化学反応しその職業に相応しい高貴な人間が、仕事を通して芽生え長い年月をかけて醸成されるのだと思います。

「職業」には、貴賤はない・・・。

でも・・・
その職業で行なった仕事の中味が相応しい行動や正しい判断、そして美しい姿勢であってこそ私たちは、仕事を行なった「その人」を尊び敬います。

だから・・・
職業の結果としての「仕事」の中味に貴賤がある・・・のだと思います。

仕事で一番大切なことは、目の前に広がる現実から目を反らさない realism リアリズム。
リアリズムとは、目の前で起っている出来事を重視するという現実肯定主義。

すなわち、現実を直視することと言い換えてもいい。
別の表現をすると、背伸びをしなくていいということ。
全てのあるがままを肯定することだと思います。

この4月、新しく仕事に就いた人は・・・

  「情けない自分とたくましい自分」そして「弱い自分と強い自分」
  相反する二人の自分と共存して伴に歩んでゆけばいい。

  情けない自分になったら、たくましい自分が、励ませばいい。
  弱い自分になったら、強い自分を思い出せばいい。

  自分にとって損か徳かという基準で物事を判断する風潮が強い中で
  その真逆を自分の基準にしたらいい。

  仲間を助けて自分に損になることはない。かえって自分の喜びとなり大きな財産となる。
  そう考えることで活路が開かれると信じたらいい。

そして、今、私が、医師という職業に就き、脳神経外科という仕事を通じて職業観として一番好きなフレーズは
  “noblesse oblige ノブレス オウ゛リュージ”
  =高貴なる人には、それだけの責任を負い道徳倫理上の責務が伴う

人は、社会的に役割が増せば増すほどその責任が問われる。
高貴なる人は、けっして偉ぶることなく自分が与えられた責任を全うする人。
社会的リーダと言われる人が、社会の牽引者となるために必須の人格です。
そんな倫理観の高い爽やかで清々しい人間が好き。

新たな年度が、始まったこの4月
・・・さりげなく、謙虚に、目立たぬところで、そんな一隅の人でありたいと思います。

39. 平和と敬意が調和した日

4月10日は、日本列島が、暖かいほのぼのとした穏やかになれた日でした。
桜前線が、日本を南から北へと北上し、各地で桜が満開になったからだけではありません。
この日は、日本の象徴としての天皇皇后両陛下がご結婚され50年を経て金婚式を迎えられた日でした。

両陛下は、50年間の軌跡を振り返って皇居宮殿でのご会見で時折お互いを慈しむように見つめ合い、さらにお互いに感謝の気持ちを伝え合うように小さくお辞儀を繰り返されていました。

25年前の銀婚式では、天皇陛下は「努力賞」、皇后陛下は「感謝状」というお言葉をお互いに対して述べておられます。

この度の金婚式では、「結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えています」と述べられた際に時折声を詰まらせ涙ぐむような表情を浮かべるお姿に胸が熱くなった人も多かったのではないかと思います。

そんな報道を新聞やテレビ、雑誌などで拝見した時天皇家が、この日本に存続していて本当に良かったと思いました。
そして、両陛下のお二人が、お互いを慈しみ合うそんなお姿の会見に素直に暖かいほのぼのとした気持ちになれたのは、私だけではなかったと思います。

浅学な私は、天皇家の歴史や人間として存在、あるいは政治的な意義がどうなのかなどの難しい問題は全く熟知していません。

私が、知っている知識は・・・
今上天皇と称される現天皇が、昭和34年、西暦で言えば1959年の4月10日にご結婚され1989年1月に第125代天皇として陛下が即位されたこと。

そして他国の多くの皇帝が、権力闘争の殺戮の中で子孫を殺したり殺されたりしながら為政者として権力の最頂点に立っていたのに反して日本の天皇家の史跡は、“和をもって尊しとなす”を旨として権力を求めず穏やかな歴史を歩んで来られたこと。
・・・そんな簡単な知識しかありません。

 “和”とは、英語で表現すると Respectable with peace (平和と敬意)
 一言で言えば、 Harmony (調和)でしょうか。

永きに渡って権力の交替があっても天皇の権威が奪われなかったのは権力を求めず、常に権力よりも崇高な立場に立って権威を和をもって最上の価値として連綿と継承されて来られたからなのでしょう。

穏やかな一家族であられるそんな天皇家が、この日本の長い歴史上の変遷の中でも潰れず象徴として存在しておられることは、今、不安定社会にいる私たちにとって本当に有り難いことだと思う。

そしてそのことは、日本の誇りであり私たち精神のファンダメンタルな支柱であるとも思います。

もし皇室という家系が、今の日本に存続していなかったら日本の社会は、バラバラになっているのではないか、と思うのは私だけではないでしょう。

ところで・・・
為政者にとって権力を求める意志とは何でしょうか?
為政者が、自分ならばその権力をもって他の誰よりも適切に行使することができるという展望と裏付けを私たちに提示してくれなければ、為政者の意志に意味がないと思います。

一方で・・・
権力を求めない天皇家は、日本がどのような危機に際しても権力では替えられない不動の権威によって、私たちの底力を陰で支えてくれている。
そこには、皇室に対する長い年月をかけて培われた私たちの自然な敬意が基礎にあるからこそ意味があるのだと思います。

桜前線が、日本列島を北上し、世は春爛漫。
人々は、閉塞の憂さ晴らしにあちらこちらでお花見に繰り出してその宴もそろそろ終ろうとしています。

年に一度咲き誇り、あっという間に散っていく桜も十分味あわず今年も過ごしてしまった口惜しさの中で暖かなほのぼのした穏やかな気持ちになれた4月10日は地域の桜が一層華を添えて、平和と敬意が調和した日でもありました。

38. もう一つの EBM

EBM という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?
この言葉は、医療関係者にとっては常識語ですが、一般の方には馴染みのない単語だと思います。
EBM とは、Evidence-based-medicine の略。
「証拠に基づいた医療」と訳されますが医療においては、科学的根拠に基づいて診療方法を選択することを意味します。

根拠に基づいた医療の発祥地は、アメリカです。
治療の効果や副作用、その病気のたどる経過、そして最後には結果がどうなったかなどの膨大な数の医療データが、論文として医学誌に発表されます。

医療現場から生産蓄積されたことが、再び治療現場に活用される制度がアメリカでは日本より整っているとされています。
治療法は、10年一日として変わらない分野もあれば、日進月歩で進化する領域もある。

それを医者は、常に自らの専門分野の情報を関連の医学誌から熟知していなければなりません。
これを怠って最新の治療を行なわず患者さんの容態が満足な結果に終らなかった場合訴えられることがあります。
訴訟国のアメリカの脳外科医は、それを想定して収入の相当な額を保険に回すそうです。

これを知った時、私は、ああ、日本人でよかったなあ、と思いました。
いつも面倒くさいことは後回し・・・
こつこつ勉強するのは大嫌い・・・
怠惰な生活でいつもボーと時を過ごすことが好き・・・
そんな(私のような)医者は、到底アメリカで生きて行けないでしょう。

では、日本の脳外科医は、どうなんでしょうか?
全ての脳外科医が、最新の知識と技術を持って最善の治療ができればそれに越したことはありません。
でも全ての脳外科医が、同じ方向に向いていなくてもいいのでは、とも思います。

 「毎日が前進、常に進歩、日々が改良」をモットーにした
 多くの人が尊敬する“神の手の脳外科医”が、世界には必要であれば・・・

 「毎日が同じ、常に停滞、日々が繰返」を日常生活にした
  多くの人が黙殺する“蟻の足の脳外科医”も、地域には必要なのでは・・・
と思います。

だって、そんな蟻足な脳外科医が、世の中にいなかったら目の前の患者さんが(実は私も)困りますから。
蟻足とは、ちょこちょこと細かく歩くこと。
行きつ戻りつしながら慌ただしく歩むこと。

頭が足りないそんな医者の EBM を補足するために数年前からそれぞれの分野の学会は、日常の診療に役立つ診療ガイドラインを出しました。
そこには、強く推奨される治療、行なうよう推奨される治療、根拠が明確でない治療などの記載があります。

この本を初めて手に取った時、私はこんな有り難い本が、あったのか、と思いました。
でも患者さんを前に治療を行なう時には、その通りにはなかなかできないものと気付きます。

 「強く推奨される治療」と脅迫されてもなあ・・・
 「行なうように推奨される治療」と激励されてもなあ・・・
 「根拠が明確でない治療」と突き離されてもなあ・・・

実際の患者さんを前に私の気持ちは、なんだか複雑になってしまいます。
EBM=Eevidence-based-medicine
「根拠に基づいた医療」は現代医学で最も尊重しなければならない視点です。
しかし、私は、もう一つの EBM を心に留めておきたいと思いました。

それは・・・
EBM=Experience-based-medicine

「経験に基づいた医療」とは不明確ではあるけれども、良心的に、分別をもって、現場で、経験に基づいた最良ではなくてもベターな医療を行なうこと。
「理論上の理屈」よりも「実際上の経験」が勝る時があると思うから・・・。

セオリーテック(理論的)に理屈を考える理系的論理とプラグマテック(実際的)に経験で捉える文系的感性を現場では、いつも持ち合せていたいと経験的に屁理屈をこねています。

37. 素朴なキーワード

日本の会社は、本社が外国籍以外は、どこも3月が決算期です。
経理担当の人や税務に関わっている人は、今が一番忙しい時期なのではないでしょうか。
(そんな方は、お疲れさまです、体に気を付けて下さい)

連日連夜、深夜まで仕事をして終電で帰宅し、奥様が駅までお迎えという家族も多いと聞きます。
経理や税務は、会社の業績に直接に関わらなくても縁の下の力として重要な職務を担っています。
会社の経営状態が、全てわかるためこの不況の中で業績が悪い会社では数字だけを追っかけていく仕事は、とってもシンドイものと想像します。

自分が頑張れば、その結果として数字が付いてくる職種ならば、まだ努力の甲斐もあるでしょう。
会社が、大きくなればなるほど、自身の役割りが見えにくくなるため数字を追っかける人は、もちろん現場や前線で働く人でもモチベーションを維持するのは、難しくなります。

溜め息混じりに会社の決算書を作る人・・・
あるいは、それらを元に会社の経営方針を決める人・・・
いずれの人たちも3月のこの時期は、時系列に並べられた数字を見て体調不良にならないように十分気を付けてもらいたいものです。

日々の診療においても会社の決算書のように数字を追いかける時があります。
診療費のことではありません。それぞれの個人の診療情報を数値化して時系列に並べその数値が、上がったの、下がったの、などと言っては患者さんと溜め息を付いたり、喜んだりする。

それは・・・
時系列に並べられた血液データの数値のことで、まさしく個人の決算書の如くコレステロール値や中性脂肪値、あるいは血糖値などが、悪化しているとこの数ヶ月の成績が、悪かったと、それらの数字を元に動機付けの目標と健康管理を行ないます。

ところで・・・
経営の本を斜め読みしてみると(実は、そんな難しい本をじっくり読んだことはないのですが)会社は、事業体である限り売上高や利益の「数字」と「目標」、そして「管理」などの言葉が、頻繁に出て来ます。

でも、今の世の中で会社の考える数字の目標が、達せられて管理が十分である企業は、あまり多くないと聞きます。
現今の社会の中で企業が存続できることが、事業の大きさに関わらず、如何に大変なことかは経済や経営のことなど、あまり分からない私でも十分に想像ができます。

そんな未熟な私が、原点に立ち帰って会社は、社会にとって、その存在意義やプライオリティー(優先順位)はなにか、と考えてみると「困難な数字と目標、そして管理」より「簡単な信念と目的、そして方向付け」の方がより大切で必要のように思われます。

あまり難しい事をゴタゴタ考えているわけではありません。そんな頭脳はありませんから。
ごくごく単純に生きていくために会社の「簡単な信念と目的、そして方向付け」とは何だろうと素朴に考えてみると・・・

 「信念」は、お客さまのために、すなわち“他者優先”であるし
 「目的」は、究極的に行き着くところは、“人世の仕合わせ”である。
 最後に「方向付け」はといえば、とにかく小さな行動を徹底して行う“実践力の発揮”である。

経営の基本であるこの素朴なキーワードはまさしく、個人にも当てはまる至言だと思うのです。

私たちは、自身も会社も、どちらもが、この世に継続して存続できるために「他者優先の信念で、人世の仕合わせを目的に、実践力で小さな行動を徹底して行なう人」でありたいと思います。

これは、会社にとっても個人にとっても原則であるのだろうけれども個々人の方が、より重要度が高いと思う・・・
なぜならば、そんな人の集まりが、会社を発展させて、社会を安定させるのですから。

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