コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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コラム一覧

31. 成長の一階段

今年の大相撲初場所は、1月25日に千秋楽を終え横綱朝青龍が、白鵬との優勝決定戦を制して5場所ぶりに23度目の優勝を飾りました。
久しぶりに手に汗握る大相撲を見せてもらいました。

前評判では、引退勧告も囁かれていただけにそのプレッシャーをはね除けて優勝した朝青龍は、さぞかし飛び上がらぬばかりに嬉しかったことでしょう。
優勝した瞬間に土俵の上で見せた感情全開のガッツポーズはその気持ちを如実に表したものでした。

しかし・・・
そのガッツポーズが、横綱の姿勢として相応しくないと批判されています。
大相撲が、他の格闘技と違うのは、形を重んじる日本の伝統を継承しているだけではありません。
勝った者は喜びを、負けた者も悔しさを表情や行動に表さない。

この「抑制の美学」が、他の野蛮な格闘技と異なる大相撲の大きな魅力だと思います。
取り組みが終れば、勝者も敗者も土俵の上で自分の感情を抑えつつお互いに頭を下げて黙礼する。
そんな姿が日本人の美意識の根幹だからこそ、その姿が相応しくないと批判されるのでしょう。

さて2月1日・・・
世間では、あちらこちらで入学試験の本番を迎えています。
首都圏では、小学生の5人に一人が、私立中学を受験すると言われています。

小学生から受験勉強に励んで来た子供さんも親御さんもさぞかし大変だったことでしょうね。
(お疲れさま)
大学受験する人も自分の進路を大きく左右する試験に緊張していることでしょう。
(もう少しの辛抱だよ)

私自身、大学受験では幾度となく辛酸を嘗めた経験があります。
合否発表の掲示板を見に行った時自分の受験番号を見つけることができずに悔しく寂しくその場を立ち去っていく。
その真横で合格の歓喜に沸く受験生を尻目に唇を噛んだ辛い想い出が、それも幾度もあります。

やっと合格を勝ち得たその瞬間は、今でも忘れられない無上の喜びでした。
でもその陰には、かつて私が経験したように悔し涙でその場を立ち去った受験生が必ずいたはず。

今、その時の情景を思い出すと合格の喜びで飛び上がらんばかりに歓喜のガッツポーズを上げていた自身のそんな姿は周りへの配慮はなく自分だけの世界に陶酔したものでした。

つらい受験勉強を経てやっと勝利を得たのですから歓喜の雄叫びを上げるのは当たり前と思いながら・・・
それでもなお、今から思い返せば受験に勝者となったとしても失敗した敗者へも少しばかり思いを馳せて上げてほしいと今受験している人たちに思うのです。
勝利した者は、敗者へも心を馳せる、そんな品性ある人間に成長してほしいと心から願います。

朝青龍が、優勝決定戦で勝利を得た時、土俵の上で勝利の喜びを噛みしめてジッと涙を流しながら敗者の白鳳へ深々と黙礼していたならばどんなに美しい光景だったことでしょう。
たぶん、歴史に残る名勝負として後世に語り継がれたに違いありません。

でもできなかった。
朝青龍が、自分の品位の無さ、醜い言動に気付くのは、恐らく引退してからではないでしょうか。
大相撲の伝統を守る品位ある新しい横綱が現れた時その美しい姿を見てハタと自身の恥ずかしい言動に気付かされることでしょう。

品格の醸成は、「自身の辛い経験」と「他者の美しい姿」が融合して育つもの。
それには、時間がかかりそうに思います。

受験生のあなた・・・
「勝者となっても驕らず」「敗者となっても腐らず」成長の一階段をまた一つ登って行って下さい。

2009.2.1

30. 夫婦の絆

先日、ある製薬会社の営業マンの方が、この1月に転勤になったと挨拶に来て下さいました。
後任者への引き継ぎを兼ねてではあっても転勤前後の忙しい中を貴重な時間を割いて私どものようなちっぽけなクリニックまで挨拶に来て下さったことを嬉しく思いました。

仕事のことでしばし談笑した後、40歳前後と思われるその方に質問してみました。
「ご家族は、任地へご一緒に行かれるのですか」と。
彼は、寂しい顔をしながら
「赴任地へは、単身で行く予定です。
 妻と別れて過ごすのは仕方ないにしても
 子供と別れて過ごすのは寂しく辛いです」
との返事。

家族共々転居できれば、幸せなことなのでしょうが、子供が小学校に上がった後は子供の環境が優先されて父親が思うようにはいかないのが現実のようです。
お父さんの立場からすれば、日々成長する子供たちの姿を毎日確認できないのはなんとも寂しい限りです。

しかし、数ヶ月もすると日常の些事(さじ)に紛れることで家族の欠落感は薄らいできます。
単身赴任した彼が仕事上で「日常の些事に紛れる」ということが実は、“寂しい寂しい症候群”から抜け出す一番の処方箋ではないかと思います。
紛れるとは、時間を奪われることと言ってもいいと思います。

また生活上で「日常の些事に交わる」ことで妻の存在意義が、再認識できる貴重な処方箋になるのではないでしょうか。
交わるとは、物事に接することと言ってもいいと思います。

日常の診療の中でご夫婦で来院される患者さんが、多数おられます。
世の中には、いろいろな理由で離別した夫婦が多い中で何十組もペアで患者さんを診ていると気付かされることが多々あります。

その多くのご夫婦は、中高年者の方々ですが、長年連れ添って共通の体験を積み重ねることで人格的に結合し、感情的にも融合して固い絆で結ばれているということを。
そして何十年も同じ家に住んで同じ食事を摂っていると思考回路も似て来る物腰や喋り方、顔付きさえもそっくりになって来るということを。

夫婦とは、まったく他人でありながら長年、「共通の体験」をして、「伴にいたわり」ながら暮らすことによってこんなにも人と人の人格を結合し感情を融合するものなのかと不思議に思います。
時間に比例した相手への共感が、すなわち固い絆の礎になるのでしょう。

単身赴任する予定の製薬会社の営業マンに最後に申し添えました。
「奥さんとも共通の体験をたくさん積み重ねて下さいね。
 同じことを喜び、同じことを感動することで、あと10年もすれば
 夫婦の絆はますます強くなっていると思いますよ」と。

強い絆で結ばれている仲のいいご夫婦を診察室で診ていると心から羨ましいなあ、と思いつつ・・・。

2009.1.25

29. 1%未満の確率

頭痛をメインテーマとして仕事をしてきました。
「頭痛」と単純に言ってもその病態は、複雑多岐にわたります。
頭痛があれば、必ず頭痛の原因がどこかにあるばす・・・。
その原因が、命に関わる頭痛なのか、そうでないのかまた命に関わらなくても日常生活に支障を来す頭痛なのか、そうでないのか。
頭痛の原因を探り危険を回避する、そしてその軽重を迅速に判断して道しるべを示してあげるその指南役が私の務めだと思っています。

でも頭痛が起った時に必ずその原因が究明できるわけでもありません。
原因がわからないまま自然経過の中でいつの間にか治ってしまう頭痛もあります。
初めての頭痛、あるいはいつも頭痛がある人でもいつもの頭痛と異なる頭痛が起った時頭の中に何か問題がないかを心配されて来院されます。

頭が痛いといっても「いつから痛むのか」「頭のどの場所が痛むのか」「どんなふうに痛むのか」と一見単純に思える頭痛の症状は、人によってそれぞれで多様です。
年齢がいくつか、によっても想定される頭痛の原因が異なります。

頭痛の診断を行なう時にその分類は、国際頭痛学会によると100種類ほどあります。
(実は、私・・・全部覚えていません・・・
 何故って、覚えるのは、3つまでが限度でして・・・
 3つ以上は頭に残らないから)

その3つとは
 一次性頭痛(片頭痛、緊張型頭痛・・・)
 二次性頭痛(くも膜下出血、脳腫瘍・・・)
 頭部神経痛(三叉神経痛、後頭神経痛・・・)
国際頭痛分類には、頭痛の種類がまだまだ山の如くありますがそれらを記憶して分類することが、私の仕事ではありません。
私には、昆虫を集めて分類してきちっと箱にしまって飾っておく趣味はないのです。

頭痛が、起った時にそのほとんどが「心配のない頭痛」です。
そして、ほんの一部の頭痛が、「生活に支障を来す頭痛」です。
さらにごく少数が、「命に関わる頭痛」です。

日常の診療の中では、この3つの頭痛患者さんが混在しています。
患者さんには、ああ良かった、心配のない頭痛ですよ、と言って上げたい。
生活に支障を来す頭痛には、なんとかして解消して上げたい。
命に関わる頭痛には、信頼できる医者を紹介して上げたい。
そんな想いで日々の診療に取り組んでいます。

ごく少数の命に関わる頭痛・・・すなわち1%未満の確率で潜む危険を察知してそれを回避できることが、プロフェッショナルとしての役割だと思います。

もし私が、「心配のない水虫を見誤った」としたらどうなるでしょうか?
これは、患者さんから見れば“立腹もの”です。
でも、許してもらえそうにも思えます。

では、「命に関わる頭痛を見落とした」らどうなるでしょうか?
これは、まさしく医者から見れば“切腹もの”です。
お前は、プロとして役目を果たしていないぞと。

“たった1%未満の切腹ものの確率・・・”
しかし、私には重い数字で侮ることができない確率です。
プロの仕事とは、「1%未満の確率を責任と誇りを持ってやる使命である」と常に自分に言い聞かせながら患者さんに対峙しています。

2009.1.22

28. 成人の日・・・いい風よ吹け

1月12日は、成人の日。
この日、午後から街をブラブラ散歩していると振り袖姿の女性やまだ着慣れていないスーツ姿の男性に何人もすれ違いました。
初々しさと伴に溌剌としたその姿を見ていると私もその頃を思い出して「自分を見失わないようにガンバレよ」と心の中で呼び掛けました。

成人を迎えた人は、昭和63生まれの人たちです。
幼少から青年期を平成の時代に育った若者はそれ以前の時代に育った人たちと違ったところはあるのでしょうか。
もの事の考え方や捉え方、あるいは取り組み方はその時代背景に応じた人間によって相応に形成されます。

またその人たちが、次の新しい時代を作っていく、いやむしろ作っていかねばならないと考えればまったく同じであるはずはないし、同じであっては困るわけです。

新成人の中には、急速な景気の悪化で就職や進学あるいは暮らしそのものに不安を抱いている人も多いのではないかと思います。
でもそれも若者に限ったことではなく種々の不安は中高年者や老年者でもまったく同じはず。
将来への不安は、いくつになってもどんな立場になっても解消されることはないのでしょう。

むしろいくつになってもどんな立場になっても不安は不安としてあるがままに共存する。
そしてその不安を凌駕するために将来の夢を描きながらそれを実践する力を絶やさないことがいつの時代も歳がいつになっても必要なことなのではないかと思います。
新成人には、そんな自己をコンロトールできる大人になってほしいと願います。

勝ち組や負け組などの二分法ではなくていろいろなヒーロー像や成功への価値観があっていい。
サッカーなら引き分けでも勝ち点が1点もらえる。
圧勝した3点より地道で負けない引き分けの1点の方が、次の試合に繋がる時がある。
人生、ドローの方が将来の夢を繋ぎながら次の実践への準備となると考えればこの不安の時代に「あるがままに共存する」ことの意義は、誰にとっても小さくないと思う。

平成の時代に育った若者とそれ以前に育った人が、同じであるはずはない。
けれども・・・
こんな空気が澱んでいる時代にあって今の世の中が、政治や経済はもちろん、社会や人も不安で揺らいでいても
それでも・・・
確かに変わらないもの、忘れてはならないものとはなんでしょうか?

人が共に生き、仲良く暮らしていくための筋道目には見えなくても社会生活を全うする上で確かに存在する「倫理 Ethics というルール」新成人を迎えた人も、もう何十年前に成人の日を迎えた旧成人もどんな人にもはずしてはいけない基軸となるルール。
それが確かに変わらないもので忘れてはならないもののはずだと。

だから、こんな不安の時代であるからこそ思うEthics のいい風よ吹け!

 新成人を支える Ethics のいい風よ強く吹け・・・
 世の中を変える Ethics のいい風よ早く吹け・・・。

成人の日だけではなく日々心からそう願う。
そんな想いを抱きながら成人の日の午後の散歩でした。

2009.1.12

27. 1月5日・・・涙(なだ)そうそう

1月5日、平成21年の仕事が始まりました。
今年は、5日が月曜日ですので今日が仕事始めの人が多かったのではないでしょうか。
私どものクリニックも今日が、仕事始め。
また新しい気持ちでスタッフと共に元気に仕事が再開できることは、大変有り難いことでした。

・・・と思うと同時に、私には絶対忘れられない日でもありました。
昨年の今日、5ヵ月間の闘病生活の末、最愛の妻が亡くなった慟哭の命日でもあるのです。
この1年の月日は、多くの周りの方々に助けられながらも一人になった時間は、涙がでない日は一日もない日々でもありました。

診療が終って面談室で・・・、帰宅途上の車の中で・・・、夜間目覚めてはベッドの上で・・・。
いつになってもどんな場所でも妻は心の首座を占めていました。

それがいずれ・・・
日時が流れることで、あるいは月日が経つことで、さらには年月が堆積することで私の心の整理がつき大切な思い出として心の整理箱に閉まって置くことができるようになった時妻は、はじめて安住の地に落ち着けるように思います。

そしてさらに・・・
私の心の中にあるその整理箱を愛惜する様に、あるいは懐かしむ様に、さらにはいとおしむ様にそっと開いて大切な宝石として眺められるようになった時私自身が、はじめて一個人として再生できる時なのでしょう。

今クリニックのBGM では、徳永英明が歌う森山良子の『涙(なだ)そうそう』を流しています。
この歌詞を聞くとまさしく私の心境そのものを代弁してくれているように思います。

『古いアルバムをめくり ありがとうってつぶやいた
 いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
 晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
 想い出遠くあせても
 面影探して 蘇る日は 涙そうそう

 一番星に祈る それは私のくせになり
 夕暮れには見上げる空 心いっぱいあなた探す
 悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔
 あなたの場所から私が見えたら
 きっといつか会えると信じ 生きてゆく
 ・・・
 ・・・
 寂しくて 恋しくて 君への想い 涙そうそう
 会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう』

一周忌に際して知人、友人、同級生、恩師、診療スタッフそして患者さんからもお志を頂きました。
心から有り難く、伏して御礼申し上げます。

妻の冥福を心静かに祈りながら・・・合掌。

2009.1.5

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