コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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コラム一覧

16. 平成20年1月5日

平成20年1月5日午後11時・・・
私にとって家族にとって生涯忘れられない慟哭の日でした。
その時が来る事を恐れ、なんとか回避できる事を神や仏に祈り復帰できた時の将来の生活設計を夢みて過した5ヵ月間。

苦痛に耐え運命の悪戯に怯え、神仏にすがる思いで過した日々も虚しく
1月5日(土)午後11時
20年間、私にひたすら尽くしてくれた最愛の妻が亡くなりました。

まだ43歳という若さで17歳の娘を残してこの世を去った妻が発症から亡くなる寸前まで一体如何なる思いで日々を過したのだろうか・・・。
不安と苦痛で過した闘病生活5ヵ月間の妻の心情を思い返すと私は、今日に至ってもいまだ身も心も震え涙が込み上げて言葉が見つからないのです。

抗がん剤を使うことでやせ細った肉体でも病気を克服できると信じ日々を努めて明るく前向きに過した妻の面影と心身ともに健康だった半年前には、人の仕合わせを願いボランテアに励みながら元気に過ごしていた頃の面影のあまりにも大きな落差に愕然とし妻の面影と優しい言葉が私の脳裏に刻まれて忘れることが出来ないのです。

今、私は、妻に何と言って私の気持ちを伝えたらいいのか・・・。

「もっと、一緒に過したかった」
「もっと、話がしたかった」

「もっと、大切にしたかった」
「もっと、幸せにして上げたかった」

「もっと、もっと・・・」
「もっと、もっと・・・」

でも最後には
『20年間、心の底からありがとう』
この言葉以外に妻にかける言葉は見当たりません。

15. 8月24日という日

8月24日は、いつもと変わらない夏の暑い一日でしたが、私にとっては大切な日でした。という
のは、この日、開院してちょうど3ヵ月目を迎えた記念すべき日だったのです。まだ3ヵ月・・・しかし相当長く今の環境で仕事をしているような心境です。でもまだ3ヵ月。

気ままな雇われの立場から厳しい事業主の立場へ転換した開院の5月24日。そして、そのあとの1ヵ月は、慣れない業務に無我夢中で体が溶解するのでは、と思ったくらい疲労困ぱいした日々。
でも1ヵ月目は、お昼休みに1ヵ月無事経過としてスタッフの皆さんへの御礼にとショートケーキで簡単な祝宴を行った6月24日。

2ヵ月目は、業務が慣れて来て、少しずつスムーズな診療が出来つつある時期でしたが、私的なところで私の人生観を一変させる出来事があり、無事2ヵ月過ぎたことにも心の余裕がなく経過した7月24日。

そして3ヵ月目の8月24日は・・・。
この3ヵ月で診察した患者さんの数が、約1000人だったこともあり、わざわざお出で頂いた患者さんと診療を支えてくれているスタッフの皆さんへ感謝の記念すべき日になりました。

遠路遥々、お出で頂いた患者さん、そして診療スタッフの皆さんやその他大勢の私を支えてくれている方々へ・・・心から感謝しています。ありがとう。

14. 先輩脳外科医の急逝を悼む

思いもかけず8月のお盆過ぎに先輩の脳神経外科医が急逝されました。4月末までは、私が以前勤務していた病院で全く通常に今までと変わりなく仕事をし、おしゃべりをし、時には一緒にお酒を飲んで食事を楽しんだ先輩医師が、まさしく思いもかけずに4ヵ月後に亡くなられたのです。

50歳台半ばで突然病魔に冒され、そしていきなり数ヶ月の余命に・・・。医師であることにより自分の死期を悟っておられたとすれば、なんという非情な運命であることか。生けるものすべてが、死を迎えるのは生物の宿命とはいえ、あまりにも惨い運命です。

ご本人は、一体どんな思いでこの数ヶ月を過されたのでしょうか。そしてご家族は、どんな心境で残された時間を伴に過されたのでしょうか。50歳台の円熟期のその先生は、まだまだやり残した事があったでしょう。まだまだ語り尽くせない話もあったでしょう。ご本人の思いやご家族の心境を察すると、あまりにも物悲しく胸が張り裂けそうな気持ちになりました。

故人のご冥福を心からお祈り申し上げますと同時に、ご家族の皆様が、一日でも早く日常を取り戻されることを願って止みません。

13. 終戦記念日に思う

平和です・・・日本の世の中は。
現代の日本の中では、いろいろ難しい問題があってもとりあえず平和で安全に暮らせる。不平不満は山ほどあっても、紛争が絶えない国で暮らしている人々と比較すると、最低限の平和で安全という部分ではこんな幸せな国はないとつくづく思います。

今、平和に安全に暮らしている日本人の中で自分たちのご先祖が、戦争と無関係だった人は一人もいないはず。父か、あるいはお爺ちゃんか、はたまた曾お爺ちゃんが、本人の意志に関わらず戦争に赴いて亡くなった先祖がいない日本人は、誰一人としていないでしょう。お国のために戦ったそんなご先祖は、親や兄弟、そして妻や子どもを思いながら絶望の戦地で亡くなった。その心中を思い計ると、一体どんな心境だったのだろうかと切なくなり胸が塞がります。

今の世の中、時の宰相が、国が潰れないように判断し国を統治する。会社の社長が、会社が潰れないように経営し会社を統括する。社会の最小単位の家庭では、家長が、家庭が崩壊しないように努力し家族を統率する。こんな当たり前の事が、難しい今の世の中で、戦地に赴いたご先祖の英霊に敬意を表すると同時に、今与えられた自分たちの環境が、少しでもいい方向に進んで行けるように個々人が努力しなければ、という思いを新たにした終戦記念日でした。

12. 何のために生きるのか

人は何のために生きるのでしょうか。
自分のために?・・・人のために?・・・社会のために?・・・。
偶然にもこの世に生を受けて、偶然にもこの時代のこの地球に生きてそして、さらに偶然にも、今、ここで生きている。
この偶然が重なった巡り合わせが不思議でなりません。

たまたま重なったこの偶然は、単なる偶然の重なりだけだと単純に思いたくありません。与えられた命を精一杯生きることはもちろん自分のためであるし、また人のためでもある。さらに社会のためにも必要なことだと思います。

偶然が、必然と思えて、当然と言える生き方をしたい。
・・・そんな思いを強くした今年の夏でした。

この一ヵ月以上、コラムが滞っていましたが、開院して約2ヵ月目の7月21日に私の人生観を一変させる出来事がありました。
将来、この出来事の事態が収束し安定した時には、その経緯をこのコラムでご報告します。

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