院長コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」|page2

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コラム一覧

80.青葉区医師会20周年記念

 青葉区医師会、青葉区メディカルセンターは、平成27年に20周年を迎えました。区民の皆様のお役に立てる様に日々努力研鑽に努めているところです。20周年に合わせて記念会誌を刊行し総務担当理事として拙文を寄稿しました。
 

青葉区の未来医療を支える相互補完

「治す医療」と「生活を支える医療」

 

                                                       横浜市青葉区医師会  総務担当理事  古市  晋

 
⒈はじめに

 青葉区医師会、青葉区メディカルセンターが、20周年を迎えたことは、私たち医師会員のみならず青葉区に居住する全ての区民にとって誠にめでたい慶事です。20年という歳月によって積み上げられた医師会は、陰となり日向となりながら長年支えて頂いた諸先生のご尽力の賜物です。同時に基礎となる土台を支え幕内で黒子役を担って頂いた多くの職員皆様の努力の結晶でもあります。20年に渡り裏となり表となりながら関わって頂いた多く方々には、お一人お一人に心から敬意を表し感謝したいと思います。そのような幾多の人たちの取り組みによって青葉区医師会と青葉区メディカルセンターが、二十歳の節目を迎えた祝賀の祭典を開催出来ますのは、担当理事として誠に光栄に存じます。

⒉諸問題

 さて私たちがおかれた医療環境は、今まで育んで来た20年とこれからの10年は、全く異なる世界が展開すると予想されています。青葉区で医療を行う者は、私たちが仕事をしている如何なる形態(勤務医、開業医)や組織(大病院、中小病院)に関わらず地域医療を傍観者でなく地域共同体として共有しなければならない事態が、目前に迫っています。 それは、10年後に団塊の世代が全て75歳以上になる2025年問題として象徴される人口ピラミッドが、さらに上方へ釣鐘型に移行し、それによって推計では、75歳以上の後期高齢者は日本の人口の4分の1に達し65歳以上の高齢者は人口の3分の1になることで生じる「諸問題」です。

 これまで高齢化の問題は、高齢化率の進展の「速さ」でしたが、 今後の10年では、高齢化率の総量の「多さ」が問題となりさらに複雑にしているのが、高齢者の6分1が一人暮らしで無縁化している高齢者の過多です。男女とも平均寿命が高いと誇らしく思っていた青葉区や近隣区は、そのキャパシティーに収まりきらない高齢者の中に種々の問題を抱えて彷徨える老人が溢れると青葉区や近隣区の街は、一体どのような生活空間になっているのでしょうか。

 私たちが皆等しく年老いて一老人となった時に迎えるであろう世の中の「諸問題」や個人固有の「課題」に備える解は、そう簡単に見出せそうにありません。それは、人によって問題意識に差があり当事者意識の差によって目標やあるべき姿への許容範囲が異なるからでしょう。ある人には大問題でも関心のない人には、全く問題外です。

 しかし来たるべき予想される社会問題を共有し有機体として地域が共同体である意識は、忙殺される日常の診療の中で極めて重要な視点です。多くの人からそんな事は、あなたに言われなくてもすでに分かっているよと冷めた眼で言われそうですが、そのベクトルが種々の理由で共有されず見え難いのです。世の中の諸問題と個人固有の課題に対してある程度許されるまあまあな許容範囲の「擦り合わせ」が、是非とも必要となるのでありましょう。

⒊求められる姿

 以前より私たちが行う医療は、EBM(Evidence-based Medicine)が医療の根幹として重要視されて来ました。それは、医療を行う側にとって当然の理念であって先人の努力によって積み上げられさらに進化する EBM を中心にした医療を展開しない医師があろうはずがありません。しかし医療を行う側が、全ての患者に EBM を当てはめているわけではないはずです。根拠になる証拠が十分そろっていない疾患や治療手段が見出せない困難な疾患、あるいは死に至る病気や精神に関わる病気、さらに多様な高齢者のケアなどEBMを適用できない場合も多々あります。

 この様な時に提唱されているのが、NBM(Narrative-based Medicine )と言われる物語に基づいた医療でした。ナラティブは「物語」と訳され対話を通じて患者が語る病気になった経緯や理由、病気について今どのように考えているかなど各人の「物語」から医療者側は病気の背景や人間関係を理解します。そして患者の抱えている問題に対してあらゆる職種の医療者が全人的(身体的、精神心理的、社会的)に患者の人生観にアプローチしていこうとする臨床手法です。

 医療の世界では、個体差という曖昧さを考慮に入れて「P<0.05(=5%)」という統計用語が、頻用されこの数字が重要視されます。サイエンスとしての医療を支える客観的な判断は、EBM の95%信頼区間に委ね、残り5%はNBM による地域医療に根ざした多くの医療従事者により主観的な個人をクラウドシステムによって支える。病院と病院、病院と診療所、診療と診療、医療と介護、医療と福祉、医療と行政などのあらゆる相互の補完力こそが、次の医療の世界に求められる姿なのだと思います。

⒋キーパーツ

 EBM は疾患を横断的に観た視点であり、NBM は個人を縦断的に観た視点といえます。EBMを重視した「治す医療」とNBMを考慮した「生活を支える医療」の共存が求められる時代変革の中で私たちが実践する医療には、多くの医療従事者と重層的に「相互補完」する根拠と物語に目配りした複眼的思考が必要とされているのです。

 日野原重明先生は「医学というのは、知識とバイオテクノロジーを固有の価値観を持った患者一人ひとりに如何に適切に適応するかということである。ピアノのタッチにも似た繊細なタッチが求められる。知と技をいかに患者にタッチするかという適応の技と態度がアートである。その意味で医師には人間性と感性が求められる」と述べておられます。私たちが、行っている医療は、まさにサイエンスとアートを両輪にして真に患者の満足度を高め、そしてそれは将来自分自身に不可欠な医療になっているはずです。

 私たちが、青葉区医師会と青葉区メディカルセンターで推進しようとしている事業と医療が、他職種と共にジグソーパズルの一つのピースになれば、青葉区民にとって医療環境を新しいステージに押し上げてくれる大きなパーツになるに違いありません。それらが各医療機関の日常の診療の中で有機的に機能できれば、今まさに高齢となられている諸先輩医師はもちろん、これから近い将来高齢者となるまさに現役の壮年医師、そして遠い将来必ず高齢者となる発展途上の青年医師にとって頼もしいキーパーツになるでありましょう。

⒌今後の展開

 最後にこの様な傲岸不遜な記述をしていながら自身が、日常で如何なる診療を展開しているかと自問すれば多忙さに負けて時代の趨勢に現在そして将来付いていけるか誠に心許ない限りです。いずれ種々の課題を抱える彷徨える一老人になった時、医師会とメディカルセンターが一青葉区民として頼りになる機関であってほしいと切に願うものであります。今後の展開において多くの皆様の忌憚のないご助言ご指導を心からお願い申し上げます次第です。

 

79.有能な8名の非常勤脳神経外科医

平成27年盛夏・・・

 今年の夏は、梅雨が明けた後に台風の接近で天候不順が続き、その後酷暑の日々となっています。そんな日は、エネルギー代謝が亢進しますので少し歩くだけで滝の様に汗が流れ落ち、外でお仕事をする人や運動する人は、体力の消耗が一段と激しくなります。その様な人たちはもちろん、老人や幼い子供、或いは障害をお持ちの方は、特に注意が必要で健常者は自分への労りと同じ目線で気配りが必要です。

 4月より当院では、有能な8名の非常勤脳神経外科医が、定期の日に診療しています。同じ脳神経外科を専門としていますので疾患に対する基本的な考え方や捉え方は、共通していますが、それぞれの語り口や言葉使いは異なります。表現に多少の温度差はあるにしても全員紳士で有能な先生が、丁寧な診療をしていますので定期的に通院されている患者さんにも非常勤医師の診察を是非受けてほしいと思います。

 院長外来を通院している患者が、非常勤外来を受診することで視点が異なるアドバイスを受けられるメリットがあります。それによって医療とは、画一的で無いことが理解できるはずです。混雑緩和のため一部の外来時間帯が、二診制になっていますので時間の無い方、薬だけを希望される方も上手にご利用頂ければ幸いです。

 さて私たちは、どんな人も病気になった時、あるいは加齢に伴って身体の不具合が増した時でも可能な限り住み慣れた土地で暮らし、自分が自身の事を決められる人生を最期まで続けたいと願います。このような時に医療では、どのような答えが用意されているのでしょうか?

 政府の医療政策では、地域の「中核病院、あるいは大学病院」と「クリニック」の機能分担を明確化し「掛かり付け医」を持つよう勧めています。そして尊厳を保持し自立的生活を支える目的で「地域包括ケアシステム」(地域の包括的な支援とサービスの提供体制)の構築を推進しようとしています。そのシステムを医療の側面から支えるには、それぞれの医師の「個人力」と中核病院あるいは大学病院の「組織力」が、その地域で最適にバランス化されているのが理想です。

 ところが私1人の個人力では、掛かり付け医の役割りを十分果たすには能力不足と実感しています。そこで当院では、地域の中核病院あるいは大学病院から有能な8名の「非常勤医師の個性(パーソナリティー)と個人力」をお借りして「大病院の公益性(ユーティリティー)と組織力」と協働し、地域で人を如何に有機的に補完して診ていくかを目指しています。

 忙しい中を診療に来て頂いている非常勤の先生とそれらの診療を小まめに支えてくれているスタッフには、お一人おひとりに心から感謝しその言葉は尽きません。一人では成就しない事業で多くの人たちとの関わりの中で学んだことは、種々の問題や軋轢があっても一つ一つの課題を伴に悩み相手の立場で丁寧に考えていけば、半学半教の人生の伴走者として克服し進化していけるだろうと。しかしまだまだ勉強や修行、そして時間が足りない・・・。その限られた時間を有効に使いながら社会の動きや人の心を自分の命が全うするまで学んでいきたい。来年には、人間的に1ミリでも成長していたい。

 そんな思いを新たにした平成27年盛暑の夏です。

78. 3つの「送別」と「大恩」循環型社会の中で何を循環させますか?

横浜市医師会報では、『ペンリレー頼んでいい友』という連載が、横浜市医師会に入会している医師によって28年前から続けられています。私は、第317回(317人目)の寄稿となりますが、平成25年8月号に掲載された拙文をそのまま転記しました。

3つの「送別」と「大恩」
循環型社会の中で何を循環させますか?

        青葉区 古市 晋

 別れる人を見送るのは、日本語では送別と言い、英語では farewell と書きます。私たちは、生涯の中で他人を送別する機会は、いったい何回あるでしょうか。あるいは逆に自分が送別される時には、どのような心境になるのでしょうか。人が生まれて死ぬまでの人生の節目の中で大きな別れの日は、少なくとも3回あると思います。

最初は、机上の勉強を終えて学舍を飛び立つ卒業式
還暦後、組織の役割を終えて仕事を退任する退職日
最期は、生物の寿命を終えて現世を退場するお葬式

循環型社会の中で人生の転機における「送別」と「大恩」について送る立場と送られる立場の視点から考察してみました。

人は、どのような人も一つの「家族」の元に生まれ、その家族と共に生活する「家庭」の中で育てられて来ました。生まれながらにして不幸な出自の人が、残念ながらいつの時代もどの国のどの地域にも存在するのは確かです。しかし多くの人は、生後から衣食住の生活や風俗習慣の場を家族とともに過ごし、そのことで肉体や精神を形成します。同じ種族となり人間として現しめる「種子」が家族であり、そして耕す庭場となり人間として成長させる「培地」が家庭です。

永遠の時間と無限の空間が、この大宇宙の中で交差する奇跡の一点で結ばれた家族は、かけがいのないとても大きな存在です。私たちは、その家族の意義を頭で理解していても失って初めてその存在の重さに気付かされます。そのことに改めて思いを致す時、私たちは、家族一人ひとりの存在に「愛おしさ」とその家族が一緒に生活できる家庭に「有り難さ」を感じない人は、誰一人としていないでしょう。

そんな大切な家族がいる家庭の中で家庭内暴力や家庭内離婚、そして幼児虐待や育児放棄が年々増加しています。究極は、結婚しない男女の増加や結婚願望があっても種々の事情で結婚に至らない人が増加して社会の最小単位である家族そのものが形成されにくくなっています。家族が、健全に機能してこそ学校や職場、あるいは地域社会、さらには地方や国へと大きな単位も調和して円滑に働くことを理解し十分承知しているはずなのに。

健全に機能している家族とは、衣食住の場である家族、そして精神の源である家族、さらに社会的信頼の拠である家族の皆が等しく「調和」した姿です。家族のそれぞれが、一人ひとり個性を発揮して感謝の心を持ってお互いに尽くし高め合っている「愛和」な家庭です。先の震災で家族と故郷を失った人たちが、「調和した家族」と「愛和した家族」の先にある地域の絆の大切さを訴える姿は、今さらながら心を打たれるものがあります。

そんなことは、改めて指摘されるまでもありませんと多くの人から言われるかもしれません。人それぞれの事情や異なる生活がある中でどの人も生涯で共通している私的な「節目」とは何かと考えると、「学舎を卒業」する時と「仕事を引退」する時、そして最期は「この世から去る」時です。ではそれぞれの転機で私たちの心の奥底から沸き起こる精神は、いったい何でしょうか。どのような心境になるのでしょうか。

多くの人々は、幼少時から成長する過程で無意識のうちにロールモデルを選び、その影響を受けてきました。「・・・のようになりたい」という憬れとなる手本を持つことでその人のモチベーションを高め、自らの行動を律するきっかけになっていました。私たち医師は、医学部に入学までは、崇高な医者という絶対化した職業に憬れ、入学後は新しい境地で医者という職業を客観化し、医者になった後は、現実化した世界で理想との乖離で悶え苦しんで来ました。

親から授かった資質を基礎に学生時代には、大学教授をはじめとする多くの先生や現場スタッフの先師の謦咳に接し、卒業後医者になってからは、病気のみならず社会を学ぶ場を患者を通じて与えてもらっています。新米医から熟練医となる過程で患者の命によって私たちが勉強する貴重な機会を提供してもらい、そして一線を退いて引退した老巧医となっても患者が師であることに何ら変わることはないでしょう。さらに言えば、医者自身の親族の死もまた患者を取り巻くご家族の心情を深く思いやる無言の機会であったと後から気付かされます。

私は、6年前開業して半年後に43歳の妻を血液の癌で亡くしました。5ヶ月間の闘病生活の後亡くなった慟哭の瞬間は、我が身を引き裂かれる思いでありました。妻亡き後、母とともに生活を支えてくれた86歳の父が、今年1月に急性心不全で急逝しました。いずれもかけがえのない存在であった家族の死は、誰もが必ず訪れる最期の別れが哀切に満ちた瞬間であると同時に恩に対する感謝の思いが今も深く胸にこみ上げて来るのです。

苦しかったであろう闘病生活の中を開業直後の気苦労をかえって私への気遣いをしながら無言で耐えていた妻の笑顔を思い出し、今闘病生活をされている患者さんの心情を推し量る。退職後に趣味から芸術の域にまで達していた陶芸や切り絵、版画などの芸術作品を見知らぬ土地で少しでも癒やしの待合室作りのため提供してくれた言葉数の少ない父の青白い顔を思い出し、不自由な体を押して通院される高齢者を診察しては老境の辛さを思いやる。

卒業、引退、葬式の三つの転機で私たちの心の奥底から沸き起こる精神とは、まさしく「恩に対する感謝の心」だろうと思います。恩という言葉は、日常ではあまり意識に上って来ませんが、送別という体感が恩という意識を覚醒してくれます。真の恩とは、いかなる返礼も報いも期待しない慈しみの心から沸き起こる純粋な無償の行為です。いずれの別れの機会にも共通している恩の対象とは、「親」であり「師」であり、そして「社会」でありました。

来る人を迎え入れるのは、日本語では歓迎と言い、英語では welcome と書きます。私たちは、この世に「両親」から welcome (ようこそ)と笑顔で迎え入れられ、多くの「師」から fight (頑張れ)と温顔で励まされて成長します。そして最期には「社会」から farewell (さようなら)と涙顔で労をねぎらわれてこの世を去って逝く。送別される時私たちの根底に去来する心境は、紛れもなく「三つの大恩に対する感謝の心」であるでしょう。

私たちは、循環型社会の中で何を循環させますか?と問われてその内容を論じる時、必ず有形の資源が一つのテーマとなっています。しかし私は、「感謝の恩返し」という無形の伝承が、もう一つのテーマとして循環の輪に加わることで時代が変化しても社会が未来永遠に推進する力となると思います。時代が新しくなっても医療の根底に大切なことは「多様性の中の調和」、そして社会の根源で必要なことは「愛和ある感謝の好循環」ではないでしょうか。

最後に今年1月に父が急逝した際に昭和大学藤が丘病院救命救急センタ-で大変お世話になりました。ご尽力頂きました方々にはこの場をお借りして深く御礼申し上げます。このペンリレーは、私のような末端の医者から大学トップの昭和大学藤が丘病院 院長真田裕先生にお願いしました。頼んでいい友などと気軽に申し上げる関係ではけっしてありませんが、日頃気さくに接して頂いてる大好きな先生です。ご多忙の中をご快諾頂きましたことを深謝致します。

古市晋先生から「(恐る恐る」お願いしてもよろしいでしょうか?」
真田裕先生から「(しばらく間があって)いいとも!でもこの貸しは大きいですぞ」

77. 師走の他事多用な煩忙の中で・・・

今年は、5月に開院5周年迎えた後から公私ともに忙しさが増しゆっくりコラムを綴る時間的余裕があまり持てませんでした。

日々の診療を通じて、「患者と医師」の関係を通り越して「人間と人間」が織り成す機微を多くの人から教えられた一年であったと思います。

日々の忙しさに中で診療がスムーズに進行出来ましたのはクリニックを下支えしてくれている多くの精鋭な診療スタッフのお陰と思います。
その多大な労力と細やかな配慮に心から感謝しつつ大勢の患者さんにご来院頂きましたことを改めてここに御礼申し上げます。

本日は、大晦日。
一年を振り返って頭によぎったことをコラムに綴る予定でしたが
I am too busy and not have any free time for consideration.

それで・・・
平成24年12月号の青葉区医師会月報、巻頭言に寄稿した文章を転記して今年最後のコラムと致します。皆様にとりまして来年も良い年となりますように。

2012.12.31

平成24年12月号青葉区医師会月報、巻頭言
「医師のセルフ・マネージメント
ー医師会の意義と自身の役割ー」

     古市 晋

 2010年と2011年に二年連続ビジネス部門年間ベストセラーになった「もし高校生の女子マネジャーが、ドラッカーのマネージメントを読んだら」は、マネージメントの意義を考える契機となった方が、多かったのではないかと思います。ドラッカーの著書は、ただ経営学の本という一分野の専門書にとどまらず、人と人が一緒に働くことによって得られる喜びや社会的存在としての普遍的な人間の幸せについて著されたものでした。

マネージメントという言葉を直訳すれば、「管理」「経営」などの意味ですが、ドラッカーのマネージメント論を端的に言うと「人と人とが成果を上げるための様々な工夫」です。マネージメントには、組織が金儲けのために事業を如何に運営していくかという近視眼的な目的以上に組織を構成する人間が幸せのために社会を如何に作っていくかという遠視眼的な目標が含まれています。

ドラッカーは、マネージメントには三つの役割があると定義しました。
「自らの組織に特有の使命を果たす」
「仕事を通じて働く人たちを生かす」
「社会に及ぼす影響を処置し同時に社会の問題について貢献する」

この三つの役割を医師に当てはめてみますと私たちがどのような診療科であっても、その医師がどのような組織に所属していようとも、さらには老若のどのような人生ステージの医師であっても、医師として仕事をする限りは、果たさなければならない責務であろうと思います。

さて、私たち青葉区医師会は、平成25年4月に一般社団法人に生まれ変わろうとしています。その意義は、医師会の遂行する事業が「使命を果たし、人を生かし、影響を処理し」そして保持している能力をもって地域医療に「貢献する」ことにあります。しかし多くの医師は、地域医療に貢献する意義は共有できてもその行動のベクトルは、同じ方向に向いていないのが現状でありましょう。

ここで大切な視点は、先行きが不透明で明るさが見出せない世の中で頼りになるのは、自分自身が持っている力(人間力)と地域が育んだ力(医療力)が、如何に癒合し連帯し機能しているかだと思います。

私たち医師は、医師になった直後ら更なる医学知識を学習し、学習したその知識をより高度な次元で実践する訓練を重ねて来ました。これらは、医師の能力として必要条件であろうと思います。そして実践されたその医療が、本当に患者に役に立っているかを自己に問う自省的客観力を最後に備えていることが、医師の能力として十分条件であろうと思います。

この必要かつ十分条件を備え持つ「医師の人間力」は、医師が、臨床経験を重ねていく成熟過程で習得されるものです。さらに自身が年老いて人生経験を重ねていく老齢過程の中で自らも病者となって自省力として初めて気付かされるものでもあります。これらの力は、地域の歴史や文化によって育まれた「地域の医療力」の中で埋もれて腐らず、さらに独り善がりにもならず有機的に発揮されていることが、一番幸せな姿です。

「医師の人間力」とは、医師に臨床経験と人生経験が豊富にあること。「地域の医療力」とは、地域に大学病院、専門病院、総合病院があり、さらには地域に根ざしたプライベートオフィスが多彩にあること。この二つの「力」が、医師自身が病者となって治療を受ける立場になった時、調和して機能していてほしいと願うのは私だけではないでしょう。

医師会の事業を推進する近視眼的な目的の先にあるのは、よりよい社会を作っていくことです。そのための組織の根底を考えた時、この地域で「私たち医師が、役割を如何に幸せに果たせるか」と「患者(将来私たち医師自身)が、医療を如何に円滑に享受できるか」は、共通の遠視眼的な目標であると思われました。

青葉区で医療を担う医師は、青葉区医師会員であろうと無かろうと医師会員の中でもその帰属意識が濃厚であろうと無かろうとこの土地の医師である限り「人と人とが成果を上げるための様々な工夫」が必要です。ドラッカーは、マネージメント論の中で組織の正当性が存在する工夫は、個々の人間が「強みを生かす」部分にあると述べました。

私たちは、医師会そのものの役割と在り方、医師会員相互の連携、医師会員と非医師会員の関わりを iPS 細胞のように一旦初期化する・・・医師と患者(将来は医師自身)が、共通の目標に向かう公益の場として医師会の存在意義を再認識する・・・そして自身の役割の中でより鮮明に「強みを生かす」ことで社会に貢献する・・・これら私たち医師のセルフ・マネージメントこそが、新しく法人化されるこの時期に必要なのではないでしょうか。

今年も長年に渡り青葉区の地域医療に貢献された多くの先生が、ご逝去されました。命が絶えるのは、生物の宿命とはいえいずれは必ず私たち医師にもそのような時が訪れます。無常を胸に哀悼の意を表しご冥福を祈りつつ、また新たな年に新たな連帯と融合を深めていきたいと思います。法人化に向けて直向きに無償のご尽力をされている理事の諸先生に心から敬意を表しながら、平成25年も皆様にとりまして幸多い年になりますことを祈念致します。

平成24年12月3日 記

76. 美意識の本質と根源・・・「普遍的な美」とは何でしょうか?

「美しい人」とは、私たちの周りにいる人の中でどんな人を指すのでしょうか。
「普遍的な美」とはいったい何か、この永遠なる命題に対して古代ギリシャのプラトン以来多くの学者が、論じて来ました。

美しいという言葉は、どんな事であれ、私たちが憧れをもって語られる言葉です。美しい容姿、美しい行動、美しい言葉、人から醸し出されるさまざまな所作は、美しければ多くの人に憧れを与えてくれます。また美しい草花、美しい庭園、美しい建物も天地がもたらした自然物や人が創作した造作物が、多くの人たちに感動を呼び起こしてくれます。

では、この「美」とはいったい何でしょうか。人はどんな美に憬れ、どんな美に感動するのでしょうか。プラトンの不肖の弟子と勝手に称する私が、「美しいとは、いったい何ぞや?」と無い頭をひねって愚考してみました。

美意識というのは、洋の東西を問わず、場所の地域性や時のはやりを越えた美しいものがあると思います。まずは建築物と建造物における文化と習慣の違いについて、海外と日本の違いから美意識の奥義を探ってみました。

海外の美しい建築物で一番象徴的な場所は、バチカン市国にあるカトリック教会の総本山サンピエトロ大聖堂だと思います。聖堂の正門にある大きなサンピエトロ広場は、左右に配された楕円形の回廊で囲まれています。

広場を囲むのは、ドーナツ状に並んだ数百本からなる回廊で柱の上から聖人像が広場を見守っています。あたかも大きく広げた両腕の中央に母なる教会を訪れた人々に両腕を差し出して抱擁しているように見せるための設計者の意図があるようです。

海外の美しい建築物の中では、フランスのベルサイユ宮殿にあるベルサイユ庭園もまた究極の美と称されるものでしょう。その庭園は、ベルサイユ宮殿の中心へ延びる央道に繋がる沿道を軸索として噴水や花壇が左右に配置されています。

フランス中の至高の芸術と最高の技術を集めたとされる均整のとれた庭園は、当時類をみない完成度の高さで王の権威を告げる象徴とされました。水無きセーヌ河から水を引き込み噴水を作り、造作された芝生は幾何学模様に整地されました。これは、王の権威が、誰よりも強く自然さえも支配している精神の黙示でした。

サンピエトロ大聖堂における「神の慈愛」とベルサイユ庭園における「王の権威」。この無形のものを世に誇示しようとする時、神と王の代理人たるその設計者は、その命を受けてどのような意図をもって美を造作したのでしょうか。

そのキーワードは・・・
威容の象徴化である「スペクタクル(壮大さ)」とともに美の完成形といえる「シンメトリー(対称性)」です。

威厳で力強くあるべきものに対する勇姿の意味が込められたスペクタクル(壮大さ)
完璧で美しくあるべきものに対する憬れの意味が込められたシンメトリー(対称性)

どこから見ても整っているこの形は、古来から完全の象徴とされ現在においても美の究極とされています。

ところで・・・
4年前に行われた北京オリンピック開会式のアトラクションで孔子の門弟に扮した3000人が、活版印刷の巨大な活字群として登場しました。このシーンは、記憶の底に残っている人も多いことでしょう。

活字の一文字一文字は、あたかも海面の波がうねるように版面が上下することで文字が表示されました。最後に活字の上面が開くと活字群を動かしていたのは機械ではなく人の力であったことがわかります。

北朝鮮では、ロボットが演じるようなマスゲームが統一した国家の象徴として繰り広げられています。軍事パレードでは、軍人が真似の出来ない足を真っすぐ跳ね上げる行進をしています。

中国や北朝鮮の指導者たちが、思い描く美の根幹は、威容な完全を目指したまさしくこのシンメトリーを基調としたスペクタクルそのものでした。

これを見た時、私は、心の中で思うのでした。

 (中国の劇団のみなさん、とっても大変でしたねえ
  ところで、日当には、一体いくらもらってますねん?
  あたしゃ、仮に日当が良くても、こんな演劇は絶対できませんな
  北朝鮮の軍人のみなさん、お疲れさんでしたねえ
  ところで、足腰には、一体いくら湿布を貼りますねん?
  あたしゃ、仮に足腰が強くても、こんな行進は絶対できませんな)

以上の( )は、劇団と軍人に対する私のシニカルな哀切とアイロニカルな憧憬に満ちたつぶやきでした。

では、当事者たる中国劇団のみなさんと北朝鮮軍人のみなさんは、どう思っていたかと想像すると終了直後は達成したことによる高揚感に浸っていたことでしょう。またそれを眺めていた指導者たちは、「パーフェクト(完全)」であったことに満足してそこに美意識を覚えたに違いありません。

外国におけるこれらの根底を踏まえながら、次に日本の美に対する意識を考えてみます。華道や茶道、あるいは俳諧などの伝統文化、建築や美術における美は、西欧や社会主義国家におけるそれと異なるように思います。

日本を代表する伝統文化の象徴と言えば、まず最初に京都にある竜安寺の石庭を上げなければなりません。その石をただボーッと眺めれば、砂地を敷き詰めて帯目を付けた長方形の敷地に15個の大小の石が、一見無造作に5ヶ所点在している、ただそれだけの庭です。

でもこの庭は、その造作物の配置だけで完成するわけではありません。直線的にあるいは同心円状に正確な掃き目を付けられた砂地と点在する石。それらは見る者が、目を細めて眼前にある造作物の景色を眺め、さらに脳裏に蘇った自然の摂理で生まれた景色をそこに重ね合わせる。虚心に想像力が入ることによって、見る者の心の中でようやく完成する。そこに創作者の意図があるようです。

ある人は、白砂は大海原に漂うさざ波を、点在する石は海原から顔を出した巨岩を想像されることでしょう。私はといえば、白砂は山頂から眼下に広がる大雲海を、点在する石は、雲海から頭を出した山の頭頂を連想し、北アルプスの嶺峰が蘇ります。

日本の美しい建造物では、京都にある離宮の建物と庭園が日本美の極致と称されるものでしょう。床柱には、整形された角材ではなく大きく歪んだ自然丸太材が多く使われています。これは茶人たちが、自然を生活として生かそうとする心に他なりません。

また生け花を飾る時やお茶を点てる時には、素でありながら茶室全体の調和が保たれています。丸い釜を用いるなら水差しは角張ったものを使い、花瓶や香炉は空間を独占するような床の間の中心には置きません。

これは、重複や対称の威容を避けることで敢えて均整を崩し、簡素な生活で行為の本質だけを抽出して自然さえも癒合している精神の明示でした。

石庭における「自然の摂理」と離宮における「生活の実用」。
古来から自然災害が、多い日本の社会の中で災害と生活を共存しようとする時、摂理と実用の共生を目指す創作者は、どのような意図をもって美を造作したのでしょうか。

そのキーワードは・・・
自然の摂理に背かない「シンプリシティ(素朴さ)」とともに生活の実用にかなった「インバランス(不均衡)」です。

雄大で畏敬すべき自然に対する虚心の意味が込められたシンプリシティ(素朴さ)
日々で機能すべき生活に対する実利の意味が込められたインバランス(不均衡)

どこから見ても整っていないこの形は、古来からわびさびの象徴とされ現在においても日本美の極致とされています。

明治の思想家で日本の美術界に多大な影響を与えた岡倉天心は、このような特長を1906年(明治39年)にアメリカで出版した著書「茶の本」の中で次のような言葉で記載しました。

 「真の美は
  不完全な心の中で完全なものにする人だけが
  発見することができる」と。

天心は、日本の美的感覚の本質は、「インパーフェクト(不完全)」と表現しました。
俳句は、完全に表現しない中に情緒が生まれ、日本画には余白や間に心が宿る。その本質が、インパーフェクトだというわけです。

プラトンの不肖の弟子と勝手に自称した私が、「美しいとはいったい何だろう?」と無い頭を捻って考えた結果、分かったことは・・・

 外国における美意識の本質は、「完全」であり
 日本における美意識の本質は、「不完全」であったと。

最後に・・・
私たちの周りにいる人の中で本当に「美しい人」とは、どんな人でしょうか。
最近、隣国の中国、韓国、そしてロシアの諸国と領土を介した軋轢が、噴出しました。
私たちは、事の推移を見守るしかすべはありませんが、美意識の観点からすれば、領土の他にも守るべきものがあるように思います。

国が違えば文化が異なり、文化が異なれば美意識も一様ではない。それは文明の宿命だとしても長い歴史を経たその国あるいはその社会特有の好みは、時代を経るに従って誇張され独りよがりの完全な「排他的な美」に陥ってしまいます。今、世界の中にそんな醜い国が、如何に多いことかと思います。

領土を保全する目的を遂行する時、その言動には世界にいる人間のだれもが、美しいと感じる「普遍的な美」を日本人は忘れてはなりません。というよりも偏狭で「排他的な美」よりも幅広い「普遍的な美」を日本人こそが守らなければならないと思うのは、私だけではないでしょう。

私たちは、自然の摂理にかなったものを美しく、生活に資するものを美しいと感じます。「普遍的な美」にこそ「美の根源」を求め、より善く生きる日々を紡ぐ「美しい心ある美しい言葉と行動の人」になりたいものだと思います。

私は、老若男女を日常診療で診ながら、その人間観察の中から美しく粋に生きる老人の姿によって目指す人間像といずれは誰もが訪れる老人像を学ぶ9月17日敬老の日でした。

2012.9.17

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