院長コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」|page5

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コラム一覧

64. 「思い」の美学

喜劇俳優の第一人者である藤山寛美さんが、亡くなってちょうど20年だそうです。

木々の緑も濃く、早くも初夏の頃合いとなった6月に新橋演舞場で開催されている『藤山寛美没後二十年 六月喜劇特別公演』を観る機会がありました。

新橋演舞場では、松竹新喜劇が、毎年夏の風物詩として、七夕劇団とも称され愛娘の藤山直美さんが、上方人情喜劇の魅力溢れる舞台を展開していました。

一話は、「女房のえくぼ」という運送会社の仕事場を設定にした現代劇二話は、藤山寛美二十快笑の中から「幸助餅」(西郷輝彦共演)の時代劇です。

一話のあらすじは、次の通りです。

 運送会社運営を下支えしている妻(藤山直美)を
 社長の夫が、テレビに出てくる吉永小百合と妻のえくぼを見比べて
 「お前の顔を見てたら飯がマズくなる」と罵ります。

 夫には、結婚前に本気で惚れた女性がおり
 不本意な結婚をした後も、妻の献身的な活躍に目もくれず
 恋敵と逃避行した彼女の事が、今だに忘れられないでいました。

 そんな夫に、愚痴をこぼすどころか、妻は
 「こんな不細工な女に、夫の方こそが、我慢している、自分は十分幸せものだ」と
 寂しさを隠して明るく働くのでした。

 そんな時に、恋敵の男が、この不況のあおりで失業し、運送会社に再就職して来ました。
 落ちぶれたその男から、かつて憧れていた女性の金使いの荒い本性を聞かされた社長は
 外見ばかりに気を取られて、妻の内面的な魅力に、やっと気が付かされた。

 「人知れず下支えした妻の愛情物語」の一話は、妻の涙で幕となります。

現代では、どこでもよくある話でも、藤山直美が、その不細工な妻を演じると独特の味わいがありました。

だって、直美さん・・・
ブスを演じるのは、失礼ながらお似合いで、年季が、はいっているんだモン。
でも、藤山寛美を彷彿とさせる仕草や言葉は、チャーミングでしたね。

二話の「幸助餅」という時代劇のあらすじは、次の通りです。

 大黒屋は、餅米問屋では、大阪一と言われるほどの老舗でしたが
 その主人、幸助(西郷輝彦)は、大の相撲タニマチで
 お気に入り力士に、金品を入れ込むあまり、財産を失ってしまいました。

 みすぼらしい姿で働く悲しみの幸助は、見違えるほど立派な大関になって
 大阪に戻って来たかつてのお気に入り力士と、偶然に道すがら出合いました。

 力士から「昇進できたのは、旦那さまのお陰」といわれた幸助は
 大黒屋再建のために借りた三十両を、以前の悪い癖で、気前よく力士に与えます。
 帰りを心配して、駆け付けた幸助の妻(藤山直美)は、力士に事情を説明して
 返してもらうように説得しますが、応じてもらえませんでした。

 タニマチとして、愛してきたつもりの力士の情の薄さと、己の馬鹿さ加減に
 初めて我が身の過ちを知るのでした。

 1年後、非情な仕打ちに、心機一転、一念発起して、幸助と妻の
 死に物狂いで商売に専心した甲斐あって、大黒屋の幸助餅は
 大阪の名物と言われるほどになりました。

 再建のための三十両を新たに借りることもでき、知らぬところから注文が入ったりもする。
 その背景には、非情と思っていた力士が、この1年間、ひたすら蔭から
 商売繁盛への後押しがあり、三十両の出所もその力士であったことを知らされます。

 「表には出さない情けの深さを知る人情物語」の二話は、夫の涙で幕となります。

この時代劇でも、藤山直美は、ダメな夫を支える妻として存在感のある西郷輝彦の脇役を、妖艶に演じていましたね。

一話と二話を通して思うことは・・・

日本のおばさんの伝統には、「思いを自己主張しない美しさ」があるということです。
草木が、たとえ朽ちゆく中でも、キラビやかな花と自然に溶け込むように溶解の美が、日本女性の美意識には、潜んでいるのだろうと思います。

思いは想いで、自己に秘め、その思いは自己主張しないで自ら輝くのではなく、間接照明のような、周りを照らすところに「おばさんの美しさ」があるのでしょう。

日本のおじさんの伝統には、「思いを自己昇華する美しさ」があるということです。
人は、煮え切らない気持ちで人を見ていると、えくぼもアバタに見えるものです。
気前よく高邁な振る舞いをすると、不相応なものであれば身を持ち崩してしまいます。

私たちは、新たな恨みや嫉妬、迷いや不安が次々と生まれては消え、消えては生まれて来るものです。

だからといって、そんな心の闇の中に埋没してそんなことばかりに、思いを馳せているほど、私たちは暇ではありません。
まずは、至近の債務を消化せよ、目前の細務を片付けよ、と。

思いは想いで、自己に秘め、その思いを昇華させて前に進むところに「おじさんの美しさ」があるのでしょう。

「思い」は、むやみに口に出さぬ方が、よいかもしれません。
思いは、心に深く秘めて、その内なるおもんぱかりの思慮をロシアの文豪トルストイが言ったように、低い声で語ったほうが良い。

なぜなら・・・
本当に言いたいことは、早くて高い声よりも、ゆっくり低い声の方がずしりと響いて語勢があるだろうから。

脳内に思いが詰まり過ぎると、頭でっかちとなって、バランスが悪く揺れた時の復元力が弱い。

これは、船の重心が、高い位置にある状態を指して、トップヘビーというように自分の言葉の重さで、高波を受けると転覆するのと同じである。

宇宙人と称される、かつての日本を代表する超有名人が自分が、発した言葉の重さで、立ち行かなくなって自滅したように。

私は、大好きな松竹新喜劇からおばさんとおじさんのそれぞれに「秘める思いの美学」を学んだ向暑の6月でした。

2010.6.13

63. 時代を読む明察力 -開院三周年に思う-

5月24日は、当院の開院三周年記念日でした。
この三年間は、私にとって、医師になってから最も濃厚な月日でしたが色々な困難を経験することによって、少し成長できたようにも思います。

医療というのは、人と人、一対一のパーソナル・ワークです。
医療には、医療を支える医業という集団の動きを基軸にした視点も持ちながら医療は、医業全体の仕事の中で動く個を対象にした作業です。

日常に行なう医療は日進月歩というほど日々更新しているわけはありませんが月進年歩の変化に応じて(こんな言葉があるかは知りませんが)時代の流れと人の変化を、敏感に読み取る見抜く力が、必要になって来ます。

開院して三年、この間に『失敗と書いて、それは成長と読む』と教えられました。
私たちは、経験によって心の幅を広げていく。
その経験は、成功もあれば、失敗もあるでしょう。

成功であっても、失敗であってもその振子という経験の重みによって、よじれていた糸が、シャンと長く伸びればそれだけ、その振れ幅は、さらに増大する。

すなわち、成敗という経験特に失敗という苦い経験が、糸をより長く成長させて人の心の振幅(心幅)を広げてくれるのでしょう。

三年の間に経験した悲しみは、忘れることができない。
しかし、その悲しみは、乗り越えなくてもよい。
如何に、伴に付き合っていくのか、と考えようと学んだ。

悲しみという経験は、少しずつ姿形を変えて、人の幅となり上積され幅と深さで、新しく形成された人格となるだろうから。

ところで・・・
松尾芭蕉が、俳諧哲学で提唱した「不易流行」とは何か、ご存知でしょうか?
「不易」とは、永遠に変わらない伝統や芸術の精神のこと。
「流行」とは、新しさを求めて時代とともに変化すること。

一見、相反するように思える不易と流行ですがともに、上品で優美な味わいある、風雅の髄に根ざす根源は同じであるとする俳諧芭門の考え方です。

俳句は、五七五の十七音形の中に季節を彩どる「季語」の存在と、「切れ」と呼ばれる詩の発生装置で俳句として存立するための原則を、不変の条件として、維持して来ました。

さらに、十七音という世界一短い詩型であるため絶えず新しい句材を求めて、新しい表現を心がけないと陳腐な類似句しか得られません。

俳諧における永遠の本質は永劫に変わらない古いものの中に、新しさを求めて常に変化する流行にある。
このような俳句作法の原則は、私たちの日常作法の生き方にも通じるものがあるのではないか。

不易という変わらないもの(不老)を求めるが故に流行という常に新しいもの(若さ)を希求する渇望が常住でない無常という日々の変化にあると。

不易流行は・・・
恒常の中にある新しさを求めて常に変化する流行の中にあるとする俳諧における永遠の本質である。

私たちは、一つの事に心が奪われて、正しい判断力を失わない、溺惑しない「不易し流行する力」が、日々の生活に必要な能力なのではないだろうかと思うのです。

先頃、日本のある有名人が、アメリカで世界の超有名新聞社に「愚」と言われその言われた本人も、自らを私は「愚直」だと述べました。

愚直とは、正直な上に馬鹿が付くことです。
正直は、社会で生きる上で最も基本的資質ですがそれだけで信を獲得できるわけではありません。

必要なのは・・・
 事情や事態を恐ろしいほど、はっきりと将来を見抜く明察力のあること
 才知、思慮、分別が際立っていて、ブレずに自分の軸が通っていること

今の時代に求められる知恵と才能とは『物事を見抜く、明察力のある、芯が通った、しなやかなブレなさ』なのだろうと思う。
このような、不易の中に流行を見出せる人が、人々の信を得られるのではないか。

世の中の喧噪を反面教師として眺めつつ、そんな思いを抱きながら開院三周年を迎えました。

お世話になっている皆様、今後ともよろしくご指導をお願い致します。

2010.5.30

62. 運命を握る神

4月上旬、巨人コーチの木村拓也さんがくも膜下出血のため、37歳の若さで夭逝されました。

ご本人の運命だったとは言え、やり残したであろうことの多さを考えると無念さを通り越して、運命の神を呪いたくなります。

どのような人にも、いずれは必ず、死は訪れると知りながら余りに早い死を聞かされると、多くの人たちは、運命の非情さに只々、阿鼻叫喚し、運命の神の前に、嗚咽しながらひれ伏すしかありません。

残されたご家族は、今は悲嘆に暮れた日々でも、今後長い年月の経過の中で少しずつ変化して、僅かずつ癒されていくものと思います。

しかし、喪失した代償は、何事にも替え難くこれからの人生が、今までとは全く異なることに心の底から胸が痛みます。

長い年月が経過すると、遺族にとって外面的には穏やかに見えても故人の面影が心の底に残像として染み込み、内面的な寂しさは変わらないものです。

私は、ご家族を亡くした悲しみや苦しみに耐えながら日々の生活を送っている通院患者さんを、日常の診療の中で数多く診察します。

父や母、あるいは、夫や妻、場合によっては子供を亡くした深い悲しみは、運命でありその人が、また新しく生きていかねばならない試練であると理解しながら・・・

家族を亡くした方々のお話を診察の合間にお伺いすると三回忌が終っても、なんら故人への想いは、変わらないとおっしゃいます。

七回忌を終えて、やっと現実と悪夢の乖離が、近づき故人が、実生活の中で、現実にこの世から居なくなったと肌身で感じるとおっしゃいます。

高齢となって、伴侶を亡くした患者さん・・・
若い頃に、家族を亡くした患者さん・・・

年月が、経っても、故人への想いは、どのような方も変わらないはずですが特に、残された時間がより短い高齢者が、故人を偲びながら、過去を心の支えにしつつまた新しく生きておられる。

そんな日々の姿と、折り目正しい凛とした姿勢を拝見するとこちらこそ、教えられる事が多く、感銘を受けたりもします。

そのような患者さんの姿を外来診察中に垣間みて私は、目頭を熱くしながら、心の底で力強く応援しているのでした。

さて・・・
死に至る恨むべき病としてのクモ膜下出血とはいったいどんな病気なのか?どうしたら避けられるのか?

脳卒中は、年間何万人も発症し、死に至るこの病を救うために日夜、脳外科医は、身を粉にして働いています。

脳外科医だけが、身を粉にしているわけではありませんがその責務の重大さを知ってるだけに、救急や手術の現場の最前線で働いている人たちには心から頭が下がります。

発症した後に命を救うための作業は、莫大なエネルギーを要します。
だから、なんとか発症する前に予防できないか。

致命傷に至る前には、なんらかの前兆としての症状がある。
振り返ってみれば、あれが前兆だったのか、と悔む前に加齢の中に潜む予兆を甘く見ないでほしい。
かくいう私も同様ですが・・・。

人間性を深める要素は、満ち足りた幸福の中よりもむしろ逆境の中にあるのかもしれない。
蠢(うごめ)く切ない心の中から、深い人間性が、芽生えてくるのだろうと思います。
厳冬を耐えた仔虫が、春、土の中から、もぐもぐ動きだして、地上に顔を出すように。

人の心を深く豊かにしているのは、疫病神と福の神を一対の「運命を握る神」として切り離せないところから生まれると考えるならば

疫病神を遠ざけ、福の神を招来するには人が、亡くなったことに心から冥福を祈り、その事実に大きな溜息をつきながらも人生の局面を一方の悲哀だけを見ないこと。

すなわち・・・
暗愁(哀しい物思い)というマイナスの心の感情と感謝(嬉しい物思い)というプラスの心の感情を、同時に大切にしつつ

故人と他の家族や、支えてくれた多くの周りの人々のために強く生きていくことに尽きるのだろうと思います。

木村拓也さんのご冥福を心からお祈りしながらご家族が、一日も早く日常を取り戻されることを祈念します。

2010.5.4

61. 桜のしおり

四月、春が実感できる時候となりました。
桜の花は、関東ではいよいよ爛漫となる頃となっています。

私は、4月2日、突風が吹き荒む小雨模様の中を大学の入学式に、出席する機会がありました。
入学式に相応しい桜は、八部咲きで、つぼみがまだ固かったためか突風でも花鱗が、散らなかったのは幸いなことでした。

入学式には、新入生が6700人ほどとその家族、在校生や OB、理事や教職員などを含めると1万人以上の人たちが、大学に集結した模様です。

約30年ほど前、私が、入学した地方の小さな大学は創立間もないこともあって、総勢200人くらいの新入生を体育館に集めて厳粛というよりも、それはそれは質素な式典でした。

それと比較すると、歴史ある大学では、荘厳な式典が開催されその伝統の厚みに圧倒される思いでした。

昔、入学した頃とは比較にならない時代変革の中で歴史の重みを感じる大学のトップの祝辞は、新入生ばかりではなく私たち一般人にも大きなメッセージを与えてくれたように思います。

祝辞では、冒頭で次のように新入生へ語りかけていました。

 「今年の大学新入生たちの生まれた1990年頃は
  日本で65歳以上の高齢者は、人口1割を越えたところでした。
  それが、今は、人口の2割を越え
  新入生たちが、職業生活から引退する今世紀の半ばには
  4割を越え、未曾有の高齢化に向って、社会構造が変質しています。

このような大変革の時代には
多くの局面で既成の概念や古い思想は通用しなくなります。
そこでますます大切になるのが、自分の頭で考える力と生き抜く力です」と。

自分の頭で考える力と生き抜く力・・・
この力は、新入生ばかりではなく学校を卒業して実社会にいる私たちにとっても大切な能力です。
いくつになっても、生涯鍛え続けなければ、錆び付いてしまうものだと思います。

そして、さらに続けて述べられました。

 「自分の頭で考える力とは
  自ら問題を発見し、その問題を説明しうる仮説を作り
  その仮説をきちんと検証して、結論を導く。

  事物の真の姿を実証的な学問を通じて理解することです。
  そして、その理解に基づいて問題を解決していくことが
  変質していく社会の中で、求められています」と。

問題点を発見し→説明し得る仮説を立て→正しいかどうか検証して→結論を導いていく。

この過程は、日常生活に役立つ、実証に基づく、論理的で合理的な実社会での活躍に必須の学問と科学の思考法でありこれこそ『実学』の基礎となるものです。

独立した一個人が、必要な知識を貯えて、身に付けたスキルを活用する実学は実社会でもっとも必要な力です。

それには、まず膨大な年月を掛けて、過去に確立された学問体系のプロセスを、追体験しその中から学んだ自明の真理、すなわち公理と今、眼の前にある現実世界との相違を克服する努力によって、培われるのでしょう。

祝辞の最後は、次のような言葉で締めくくられました。

 「私たちは、新しく迎える学生を顧客だとは、思っておりません。
  この大学に学び、卒業した後も、一人の独立した人間が
  生涯を通じて学び合う力を持続させ、人生を閉じる時に
  この大学に学んで幸せな人生であったと思える関係でありたい」と。

自己の判断や責任のもとに行動する剛毅の心を持ちつつ同時に他人もまた独立した個人として、尊重する柔和な心を持つ。

『独立自尊』を建学の中心思想にしながらさらに、教える者と学ぶ者の分を定めず相互に教え合い、学び合う『半学半教』を生涯の礎とした創立以来150年の教えは私たち一般者にも大切な精神を思い起こさせてくれるものでした。

入学式から数日たった後、新聞に次のような記事を見つけました。
拉致被害者の蓮池薫さん夫妻が、支援法による給付金を4月から辞退することにされたと。

ご夫妻は、帰国後、大学に学びながら翻訳業や執筆活動のほか職業に就かれており「自立」への希望を強めていたそうです。
これまでの支援に感謝するコメントも出されていました。

私とほぼ同世代の蓮池さんは、苦難の道にありながら一縷の光をたよりに、異国の地で生きて来られた。

帰国後、郷里の新潟で教え教えられる半学半教の環境の中で独立自尊への道を進まれた。
そこに、さわやか感、以上に人としての筋道を教えられ本来私たちが持ち合せていなければならない気骨を感じるのでした。

授業料無償化、戸別補償、子供手当てなどの今の国の施策は制度を必要とする人が、少なからずいることは事実だと思います。

でも、その現実を踏まえながら、このような施策が、無制限に施行されることによって将来、私たちの自立心を損なう結果となりはしないか・・・
無償を享受した者が、自らの頭で考え、自ら生きる力を減衰させてしまうのではないか・・・
と危惧するのです。

最近、日本人が、無くしてしまったものについてよく議論されています。
それは、いったい何でしょうか?

私は、その一つが「自立心」でありもう一つは「旬に対する感受性」ではないかと思います。

日本の四季は、変化に富み、私たちは、繊細で豊かな季節感を養ってきました。
春分の日や秋分の日は、自然を讃え、生物を慈しむ日であると同時に先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日とされてきました。
桜や紅葉は、私たちの死生観や人生観に大きな影響を与えてきました。

これらの旬に対する感受性は、自立心を持った個人が、歳を重ねるに従って若い頃とは異なる色合いで、光沢を増しさらに、微妙な色彩を放ちながら輝くのではないかと思います。

私にとって、桜咲くこの時期に晴れの入学式に親の立場で出席する機会を得られたことは、この上ない喜びで、幸せな数時間でした。

 「自己の判断と責任のもとに行動する剛毅の心
  同時に他人もまた独立した個人として尊重する融和な心
  生涯とも、相互に教え合い、学び合う精神
  実社会の活躍に必須の学問と科学の思考法」

祝辞で新入生に語りかけられた内容は出席した他の大人たちにも大切な “しおり” になったと思います。

しおり(栞)とは、案内、手引き、あるいは入門書のこと。
読みかけの書物の間に挟んで目印とするひもの付いた短冊の紙片もしおり。

入学式で語られた祝辞は、文庫本に例えれば

大学に晴れて入学した新入生には・・・
19ページ目にそっと添えられた『桜のしおり』は入門(オリエンテーション)という章だったのではないでしょうか。

大学に入学して30数年の私にとって・・・
50数ページ目にそっと添えられた『桜のしおり』は道標(みちしるべ)という章でありました。

2010.4.8

60. スポーツ財産の継承

バンクーバー冬期オリンピックが、終了しました。
期待通りの成果は、上がらなかったかもしれませんが懸命に頑張る選手の姿に、感動の余韻を今も残してくれています。

オリンピックを代表としてあらゆるスポーツを観戦する時に気付くことがあります。

それは・・・
 肉体を鍛え上げ、精神を一点に集中させて、大舞台に臨んでいる選手へ
 「がんばれ~」「負けるな~」「それ行け~」と声援するたびに
 自分自身が、まったく同じ言葉で、逆に選手から激励されていることにです。

大きな大会であればあるほど、選手たちのプレッシャーは、尋常ではないはずです。
ある時は、スランプを克服し、ある時は、故障を調整して大舞台に臨むアスリートたち。

彼ら彼女らはそれまでの声援を励みにして、積み重ねてきた訓練を自信にしてそれらが活動の本源となって、本番に臨むのでしょう。

スポーツにおける感動の原点は「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあります。

世間の注目を集める大会であればあるほど日々の生活から自己の欲望を可能な限り制御し、切り落としながら目標に向って過ごして来たはずです。

そんな肉体的にも、精神的にも鍛え抜いた人が、魅せる姿であればこそその結果が、選手自身の目標に到達できなくても、または私たちの期待に沿わなくても凡庸な私たちは、その過程に感動を覚え、惜しみない拍手を送るのだろうと思います。

そして、もう一つ私たちに感動を与えてくれる原点はアスリートの本番以外の立ち振る舞いにおける所作の美しさにもあると思います。

競技が開始する前は、静寂の中に緊張して、キリリと締った凛々しさと競技が終了した後は、溜息の中に圧迫されていた胸が、弾ける切なさに垣間見えるアスリートの所作の美しさに感動を覚えるのです。

競技そのものの可憐さに加えて競技者が、競技前後に見せる行儀が、清々しく美しければ美しいほどさらに感動が、大きいのだと思います。

では、競技者が、競技前後に見せる清々しい美しさの源泉とは何でしょうか?
それは、すなわち「礼の精神」に基づいた所作なのではないかと思います。

「礼の精神」とは何か・・・
礼とは、他者に対する優しさを形に表したものです。
日本では、昔からお辞儀の仕方とか、歩き方とか、話し方とかその他にも、所作に関する作法が作られ、それらを規範として学ばれて来ました。

他者に対するこのような礼の精神を備えたアスリートが競技そのものの可憐さと競技前後に見せる清々しさに優美さを与え、感動させてくれるのでしょう。

アスリートが、示す・・・
自身の晴れ舞台となる、競技場に入場する際の、一礼
自身を応援してくれた、観客者の拍手に対する、答礼
自身のライバルとなる、競争者を敬するこころ、黙礼

アスリートのこれらのすべての礼は成績の結果以上に、感動を与えてくれるものだと思います。

私は、スポーツを観る度に「鍛え抜かれた肉体」の上に「礼の精神」を宿すアスリートにこよなく感動を覚えるのでした。

出場している選手へ、私は心の中で叫びます。
 (がんばれ~・・・)
 (負けるな~・・・)
 (それ行け~・・・)
などと。

声援しているうちにその言葉は、自分のこころの中で「こだま」してやまびこのように反響し、自分が鼓舞されています。

選手を励ましていながら、いつの間にか、その選手に励まされている。

テレビが中継する街頭の声でよく耳にする「元気をもらった」「勇気をもらった」という言い方も選手からもらった感動を、自分なりに「こだま」させた言葉なのでしょう。

バンクーバー冬期オリンピックを観てスポーツにおける感動の原点は・・・

「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあるのは、もちろんそれと同等、あるいはそれ以上にアスリートの立ち振る舞いにおける所作の「礼の精神」と私たちの内なる「こだま」にあるのだと思いました。

肉体的に最高の選手が、最幸の人生を歩むための礼節は、欠かせない生活道。
私たちは、礼の精神をスポーツにおける貴重な財産として若い世代へ継承しなければならないのではないでしょうか。

さて・・・
今度は、パラリンピックが、始まりました。
ハンディキャップを背負った選手が、どんな感動を興してくれるでしょうか。

私たちは、また心の中で叫びながら、テレビを観戦していることでしょう。
 (がんばれ~)
 (負けるな~)
 (それ行け~)

そして、最後に・・・
 (ありがと~)と。
これらの言葉が、やまびこのように、心の底で「こだま」しながら・・・。

2010.3.14

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