院長コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」|page6

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コラム一覧

60. スポーツ財産の継承

バンクーバー冬期オリンピックが、終了しました。
期待通りの成果は、上がらなかったかもしれませんが懸命に頑張る選手の姿に、感動の余韻を今も残してくれています。

オリンピックを代表としてあらゆるスポーツを観戦する時に気付くことがあります。

それは・・・
 肉体を鍛え上げ、精神を一点に集中させて、大舞台に臨んでいる選手へ
 「がんばれ~」「負けるな~」「それ行け~」と声援するたびに
 自分自身が、まったく同じ言葉で、逆に選手から激励されていることにです。

大きな大会であればあるほど、選手たちのプレッシャーは、尋常ではないはずです。
ある時は、スランプを克服し、ある時は、故障を調整して大舞台に臨むアスリートたち。

彼ら彼女らはそれまでの声援を励みにして、積み重ねてきた訓練を自信にしてそれらが活動の本源となって、本番に臨むのでしょう。

スポーツにおける感動の原点は「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあります。

世間の注目を集める大会であればあるほど日々の生活から自己の欲望を可能な限り制御し、切り落としながら目標に向って過ごして来たはずです。

そんな肉体的にも、精神的にも鍛え抜いた人が、魅せる姿であればこそその結果が、選手自身の目標に到達できなくても、または私たちの期待に沿わなくても凡庸な私たちは、その過程に感動を覚え、惜しみない拍手を送るのだろうと思います。

そして、もう一つ私たちに感動を与えてくれる原点はアスリートの本番以外の立ち振る舞いにおける所作の美しさにもあると思います。

競技が開始する前は、静寂の中に緊張して、キリリと締った凛々しさと競技が終了した後は、溜息の中に圧迫されていた胸が、弾ける切なさに垣間見えるアスリートの所作の美しさに感動を覚えるのです。

競技そのものの可憐さに加えて競技者が、競技前後に見せる行儀が、清々しく美しければ美しいほどさらに感動が、大きいのだと思います。

では、競技者が、競技前後に見せる清々しい美しさの源泉とは何でしょうか?
それは、すなわち「礼の精神」に基づいた所作なのではないかと思います。

「礼の精神」とは何か・・・
礼とは、他者に対する優しさを形に表したものです。
日本では、昔からお辞儀の仕方とか、歩き方とか、話し方とかその他にも、所作に関する作法が作られ、それらを規範として学ばれて来ました。

他者に対するこのような礼の精神を備えたアスリートが競技そのものの可憐さと競技前後に見せる清々しさに優美さを与え、感動させてくれるのでしょう。

アスリートが、示す・・・
自身の晴れ舞台となる、競技場に入場する際の、一礼
自身を応援してくれた、観客者の拍手に対する、答礼
自身のライバルとなる、競争者を敬するこころ、黙礼

アスリートのこれらのすべての礼は成績の結果以上に、感動を与えてくれるものだと思います。

私は、スポーツを観る度に「鍛え抜かれた肉体」の上に「礼の精神」を宿すアスリートにこよなく感動を覚えるのでした。

出場している選手へ、私は心の中で叫びます。
 (がんばれ~・・・)
 (負けるな~・・・)
 (それ行け~・・・)
などと。

声援しているうちにその言葉は、自分のこころの中で「こだま」してやまびこのように反響し、自分が鼓舞されています。

選手を励ましていながら、いつの間にか、その選手に励まされている。

テレビが中継する街頭の声でよく耳にする「元気をもらった」「勇気をもらった」という言い方も選手からもらった感動を、自分なりに「こだま」させた言葉なのでしょう。

バンクーバー冬期オリンピックを観てスポーツにおける感動の原点は・・・

「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあるのは、もちろんそれと同等、あるいはそれ以上にアスリートの立ち振る舞いにおける所作の「礼の精神」と私たちの内なる「こだま」にあるのだと思いました。

肉体的に最高の選手が、最幸の人生を歩むための礼節は、欠かせない生活道。
私たちは、礼の精神をスポーツにおける貴重な財産として若い世代へ継承しなければならないのではないでしょうか。

さて・・・
今度は、パラリンピックが、始まりました。
ハンディキャップを背負った選手が、どんな感動を興してくれるでしょうか。

私たちは、また心の中で叫びながら、テレビを観戦していることでしょう。
 (がんばれ~)
 (負けるな~)
 (それ行け~)

そして、最後に・・・
 (ありがと~)と。
これらの言葉が、やまびこのように、心の底で「こだま」しながら・・・。

2010.3.14

59. 品格のブーメラン

横綱朝青龍が、ついに引退することになりました。
世間の人たちは、引退して「当然」で「必然」とする意見が、多数派を占めているようです。
一方では「残念」で「不幸」と思う人たちも少数派ですが、いるように思います。

今までの朝青龍の破天荒な言動は、責められて当然でしょう。
今回の泥酔騒動も、暴行の軽重以前に泥酔して騒動を起こした時点ですでに弁解の余地は、ないものでした。

横綱審議委員会は、引退勧告書で朝青龍をこう断じました。
「畏敬されるべき横綱の品格を著しく損なうものである」と。

横綱に求められている品格とは・・・
他の地位と異なり、負け越しでも番付が降格しない特権で守られている一方責任を果たさなければ、残された道は引退しかない。

その重い責任の中には、土俵上の勝敗はもちろん土俵外の立ち振る舞いも、全力士の模範となることが、含まれています。

朝青龍は、体力的に恵まれていたわけではありませんでしたが、日本の高校に留学した時から「土俵の上では、鬼になるという気持ち」で闘争心をかき立てて来ました。

強くなっていくその過程で、土俵の外まで模範となる立ち振る舞いに器量を大きく出来ないまま、角界の最高位まで昇り詰めてしまいました。

偉大なものとして、かしこまり敬う横綱に求められる地位を残念にも、29歳になった最後まで、理解し体現できなかったのでしょう。

ところで・・・
「品格」という言葉が、盛んに使われるようになったのは2005年にベストセラーになった『国家の品格』が、きっかけではないかと思います。

著者は、言わずと知れたお茶の水女子大名誉教授、藤原正彦さんです。

数学者である氏が、優れたエッセイストとして有名になった著書は自身の若かりし修行時代を綴った『若き数学者のアメリカ』(新潮社、1977年)でした。
それは、次のような内容でした。

 「若き数学者が、留学していた異国の地ミシガン大学で
  研究員として行なったセミナー発表は、成功を収めます。
  しかし文化習慣の違いで、冬を迎えた厚い雲の下で孤独感に苛まれます。

  翌年の春、フロリダの浜辺で金髪の娘と親しくなり
  アメリカに溶け込めるようになった頃
  苦難を乗り越えてコロラド大学助教授として教鞭をとる」

そんな29歳~32歳の間の体験記でした。

藤原正彦さんは、数学者として成功されながらさらに骨太の論理力を駆使した強い意志をもった社会的提言を行なう文士でもあられます。

偏狭であったであろう時代に異国の地で、文化習慣の違いに揉まれながら数学者として大成された。
そればかりでなく、私たちにとって、人として正しい道を提唱される大変有り難い文人として、尊敬する先達者です。

私の20代を思い出してみると若かりし大学時代に『若き数学者のアメリカ』という著書に接して大きな勇気をもらった記憶があります。

自分の想いと力の無さの狭間に、悶えながら過ごしていた時にこの著書の主人公が、揺れ動きながら、29歳からの数年間を過ごしていく姿に共感を覚え、その当時、多大な勇気をもらったものでした。

藤原正彦さんは、『国家の品格』の中では、次のような内容を書かれています。

 「論理の出発点を正しく選ぶために必要なもの
  それは、日本人が持つ美しい『情緒』や『形』である。

  自然への繊細な感受性を源泉とする美的情緒が
  日本人の核となって、類い稀な芸術を作っている。

  数日で潔く散る桜、紅葉の繊細さ
  悠久の自然に儚(はかな)い人生を重ねる、もののあわれ
  弱者へのいたわりと涙、惻隠の情・・・

  論理性や合理性の重要さを認めつつ
  論理偏重の欧米型文明に代わりうる情緒や形を重んじた
  日本型文明を『先達』に学びなさい」と。

「品格」ということを考える時それは、相手に求めるものではなく先達と師匠に学びながら、自己への戒めとして、自身が育むもの人が見ていないところで自律的に発揮するものであろうと思います。

角界の頂点に昇り詰めた朝青龍は・・・
肉体的自己研鑽に励みながら、彼の中で見本となる相撲の「先達」に出逢わなかったことが「残念」なのである。

逸材として期待に応えた朝青龍は・・・
あまりにも飛び抜けた力故に、彼の中で目標となる人生の「師匠」に出逢わなかったことが「不幸」なのである。

少数派の意見かもしれませんが私は、朝青龍の引退を「当然で必然」としながらもこの上なく「残念で不幸」なことだと思いました。

私自身の若かりし頃を述べるのは、甚だ気恥ずかしいのですが私が、卒業した地方の弱小大学では(でも誇りに思っていますよ)既存の大学と比較して、先輩諸氏が、少ない故に地域医療を担う職場を、就職口として地元に確保することが卒業する当時、なかなか困難な状況でした。

(だから、私のような田舎者が、首都圏に赴任する運命となったのですが・・・)

脳外科医の修行は、相撲部屋と同じく、おっかない上司の元でその当時、理不尽だと思われていた命令に歯向くことは、出来ませんでした。

でも、人事異動で勤務先が、十数回も変わるうちに、多くの出合いの中で脳外科医の技と、人として道を、研鑽することが出来ました。

私は、そんな優秀な脳外科医の先達や、人生の師匠といえる人に出合わなかったらつまらない人生を歩んでいたことでしょう。

今から思えば、そのような人たちと、もっと積極的にまみえていれば更に違った良い人生になったかもしれないと思います。

朝青龍の引退から、そんなことに想いを馳せて・・・

もし、私が、朝青龍の育ての親であるならば今、意気消沈している彼に、どんな言葉をかけてやるでしょうか?
たぶん、次のようなことを言ってやることでしょう。

 「お~い、ショウちゃん!

  あのな、高校を卒業した19歳の頃の自分を思い出してみろよ。
  純粋に目標に向って、頑張っていたあの頃の姿をな。

  その気持ちを、いつまでも持ち続けることが、出来れば
  今、そして、これからの逆境なんて、屁みたいなもんだぜ。

  春から新しい環境に身を置いても、自分の目標となる先達と師匠を求めて
  過去を教訓としながら、感性を磨いて、挫けず、前に進んで行けよ。

  折れそうになった時、自己を支える書物にも巡り会えるようにな」と。

私たちが、品格という言葉を使う時その言葉を投げかけたその先はブーメランとなって、自分自身へ還ってくる・・・

新しく出発するショウちゃんへのメッセージを込めながらそんな想いを廻らした29歳朝青龍の引退劇でした。

2010.2.14

58. 清遊な余暇の時間

freedom(フリーダム)という英単語は、拘束や制限のない状態で日本語では、「自由」と訳されます。
この言葉の概念が、日本に入って来た明治時代に、なんと訳語をつけるかと悩んだ福澤諭吉は、「自(おのずから)由(よる)」と訳しました。

どのような人にも等しく与えられた24時間。
この24時間は・・・
睡眠や食事、あるいは勉学や仕事、そして余暇や遊びを含めて基本的に自由です。

この「おのずからよる」と訳された「自由」な時間を私たちは、如何に按分するか?
どのような割合で時間を割り振るか?はまさしくそれぞれ個人の自由です。

一日24時間を分かり易く単純化して、三つに分けると
 「生命を維持する時間」
 「義務を遂行する時間」
 「余暇を享受する時間」
になると思います。

「生命を維持する時間」は・・・
睡眠や食事、風呂や排泄などの基本的に生きるための時間ですのであまり自由度がありません。

「義務を遂行する時間」は・・・
学生時代は「勉学」でしょうし社会人になっては「仕事」ということになるでしょう。
この時間は、少し自由度がありそうです。

「余暇を享受する時間」は・・・
テレビや映画を観たり、新聞や本を読む時でもあるしスポーツに興じる時もあるでしょう。
自由度が、とても多い時間です。

高齢となって一線を引退された人は勉学や仕事などの義務から解き放たれてまさしく終日、自由な余暇の時間が、待っています。
この年齢に達すると、健康とお金があれば、自由度が、最高です。

私たちの24時間は生命を維持しながら、義務を遂行し、そして余暇を享受しています。

等しく与えられたその24時間を私たちはどんな時間に幸せを感じるのでしょうか?
人間の幸福は、如何なる時間にあるのでしょうか?

食事を楽しむ時間が、最大の幸せと感じる人もいるでしょうし仕事に徹する時間が、最高の喜びと思っている人もいます。あるいは趣味に興じる時間が、至福の悦楽と考える人も多いでしょう。

多種な人間が、幸せと感じ、喜びと思い、悦楽と考えることは、まさしく多様です。
でも、一番大切なことは・・・
これらの時間が、すべてリンクしながら、シンクロしているということです。

すべてが、リンク(関連)しながら、シンクロ(共鳴)しているとはいい食事や十分な睡眠をとっていないと、勉強や仕事が、はかどらないし勉強や仕事が、はかばかしくないと、趣味やスポーツどころではありません。
その逆もまた真であるということです。

人間の幸福観は、様々でしょう。
でも「余暇を享受する時間」が人の幸福感を耕すインキュベータ(培養器)の触媒になっているのではないかと思います。

余暇の時間の重要性を最初に説いたのは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスでした。
強大なスパルタが、アテネに負けた敗因は、戦争が終った後の平和な時間をすべて次の戦争の準備に費やしてしまったからだと述べています。

無駄は、省かねばならない。
けれど車のハンドルが、少しの遊びがなければ動きにくいように人は、肉体や精神をギリギリまで追い詰めるとスパルタが、自己を追い込んで自滅した様に人間として動きが困難になってしまうのでしょう。

ところで・・・
最近のテレビ番組を観ていると出演者に知識力や語彙力を競わせるクイズ番組が、たくさんあります。
有名大学出身者をズラリと並べて、インテリ軍団とタレント軍団にその博学ぶりを競争させる番組です。

そんな番組を観ながら、クイズの問いにほとんど答えられない私はこの人は「頭いいんだなあ、すごい奴だなあ」と思いつつへそ曲りにフッと次のような想いも廻ります。

 『知識力や語彙力などを有する博学者は、それはそれで尊敬に値する。
  なんでも知っている人を見れば、憬れもする。
  けれど・・・
  その力が、単なる競争となって勝ち負けだけに使われるとすれば
  その努力は、ちょっと寂しいんじゃないのか』などと。

これは、クイズ番組を観ながら、正解を答えられない(私のような)愚者のヤッカミなのかもしれません。

番組に出て来るタレントは、有名大学を出た人も多いため難関な試験を突破できた基礎学力がある人たちですから学生時代は、暗記力が、よかったのでしょう。

インテリ軍団もタレント軍団も、クイズ番組に出るに当って、恥をかかないために今もさらに凄まじい勉強を、日々続けているのではないか、と想像します。

余暇の時間を、知識を得るために費やす毎日は、辛い日々であってもそれは同時に知的好奇心を満たす楽しい日々でもあるのでしょう。
実は、そんな日々を過ごせる人を、羨ましくも思います。

何故なら、それは、余暇の時間に費やした辛い日々の努力が遂行すべき義務の時間に、仕事なら日々の業務の中で勉強なら試験の結果として輝きを与えてくれるだろうから。

私たちは、「余暇の時間」の過し方によって遂行すべき「義務の時間」の輝きが、違うように思います。

でも、そんな余暇の時間におこなった知識を得るための勉苦が人を負かせるためだけに使われる努力では、もったいないと言いたいのです。
知識や才能がある人は、それが人や社会に役立って、はじめて花が咲くと言いたいのです。

では、それほど高尚でない私たち凡人はその余暇の時間をどのように過ごせばいいのでしょうか?

余暇の過し方で、どんな世代でも、とりわけ私たちが大切にしなければならない primitive(原始的で素朴)なことは心の疲労、つまり心労を避けることだと思います。

過ぎてしまったことへの後悔や、取り越し苦労などの「心の無駄を排する」こと。

昔から病は気からというように心労は、また肉体の病気とも密接に関連していることを忘れてはなりません。余暇は、俗世の心労から離れるのがいい。

そして、十分離れた後に、善きことを思う強い心を「養」ってはじめて心の休養となる。

だから、あ~でもない、こ~でもない、とくだらないことに心を惑わされないこと。
歳をとればとるほど、高齢になればなるほど残り少なくなっていく自由な余暇の時間に、心の無駄を費やさないこと。

24時間仕事バカを自認する多忙な人にとって
(ちなみに、私は、自身には12時間仕事バカ!残り12時間は自由バカ?と思っていますが)
余暇のいい時間の過し方は・・・
非日常的で利害を離れた清らかな遊びでありたいと思います。

たとえば、舞や能、歌舞伎などの芸能、あるいは絵画や書、茶道や華道、俳句や川柳などの日本の伝統的な「清遊」。つまり、清らかな遊び心を何よりも大切にしたいと思います。

自(おのずから)由(よる)と訳した財布の中の福澤諭吉さまにもっと多くの仲間を連れて来てもらおうと願うなら・・・自分の方を指差して、「こちらですよ」とお呼び掛けをして来訪された福澤諭吉クローン(遺伝子組成が完全に等しい増殖群)さまにさらに多くの自由を使わせて下さいませと望むなら・・・

私たちは、個人も社会も、果たすべき義務の時間が、もっと輝くために心の無駄を排した自由度ある清遊な余暇の時間を持つべきなのでしょう。

そんな清らかな触媒となる日々を、一日でも多く過ごしたいものですね。
そして、福澤諭吉さま、我が財布の中に「いらっ~しゃあ~い」。

2010.2.11

57. 新年の密かな抱負

ミレニアムで始まった2001年から早9年が過ぎ寅年の2010年が、始まって、1月は、もう半ばとなりました。

新しき年、庚寅(かのえとら)を晴れ晴れと迎えられたお正月は良き年でありますように祈られたことと思います。

今年の干支は、十二支の第三番目にあたる「寅」ですが関西人の多くの人たちは、「とら」と言えば阪神タイガースの「虎」を思い浮かべることでしょう。

生粋のネイティヴ関東人で映画好きなら、「とら」と言えば男はつらいよの葛飾柴又フーテンの「寅さん」を思い浮かべるかもしれません。

山田洋次監督の『男はつらいよ』の最終回である第49作目の上映が平成9年でしたので、このシリーズが終ってもう10年以上になります。

北陸出身の関西系関東人である私などは
(ちなみに、関西弁と標準語を巧みに操る自称バイリンガルと言っていますが・・・)
「とら」と言えば、銀座とらやの和菓子「虎屋のようかん」を思い浮かべます。

虎屋のようかんは、今も昔も古典的な和菓子の王様で一服のお茶をすすりながら、一切れのようかんを食べるとただそれだけで、風情ある江戸っ子生粋人に変幻できる私は和の風味を味わうにわか風流人の心情です。

さて2010年・・・
これからの10年、私たちは、一体如何なる年を重ねていくのでしょうか?

夢と現実の中で、期待と不安が、交錯し、新たな年の始めに多くの人が、心新たに良き1年となりますようにと誓ったことでしょう。

新年の抱負は、英語では、New Year’s resolution と言います。
resolution とは、決意、決心、決断などの強固な意志や不屈の気持ちを表す語ですが切なる渇望なら aspiration という語が適切でしょうし志ある大望なら ambition となるようです。

1月も半ばになりましたが、年頭にあたりこの1年の望みは・・・

低迷している阪神の「虎的力強い動き」が、社会の中に復興することをジャイアンツファンである私でさえも、渇望 aspiration し

山田洋次監督が描く「寅的優しい心情」が、人々の中に再興することを人間渥美清の大ファンである私こそが、大望 ambition します。

そして自身の抱負は・・・

庚寅の年初に、香り高き一服のお茶を嗜み一切れの虎屋のようかんを、生活の中で風情豊かに味わいつつ

お腹の周りを“ありゃ、いつの間に厚く・・・”とさすりながらoverweight(重量超過)や obesity(肥満)とならぬように二切れ目のようかんは、“イカン、自重しよ~”と密かに resolution(決意)した新年の始まりでした。

遅くなりましたがみなさま、今年もよろしくご指導をお願いします。

2010.1.14

56. 毎年年末に思うこと

師走の気忙しい時期になりました。
外では、クリスマス会や忘年会などで飲食の機会が多くまた家では、年賀状書きや大掃除などで忙しい日々です。

12月末になるとテレビや新聞などで「この1年を振り返って」という類いの番組や記事が組まれます。
私たちにとって、この1年は、どんな年だったでしょうか?

毎日を単調に過し、物事を深く考えず、つい流してしまう生活になり勝ちですが12月は、そのような番組や記事をみることで、自己との対比の中から自省する絶好の機会です。

この1年間のさまざまな出来事を振り返えると社会で起った事、身の周りで起った事、自身で起った事、それぞれを思い返し社会の中で生きている私たちは、如何にチッポケな個人であってもその関わりの中で「生かされている」ことを思い知らされます。

若い頃、私は「生かされている」という言葉の意味をよく理解していませんでした。
というよりも、あまり深く考えていませんでした。

 「生かされている」ってどういうこと?
 「生きている」んじゃないの?

めんどくさい事は、後回しの私は、「まあ、どっちだっていいやあ・・・」と。
毎日を単調に、思考の回転を停止して、物事を深く考えず流している日々ではこんな感じで、あっという間に1年を過してしまいます。

でも、よくよく考えてみると・・・
この「生かされている」と「生きている」とは、言葉の単純な受動と能動の違いよりもその内実は、“ 漸減したり漸増したりする動態語である ” ことに気付かされます。

「漸減漸増する動態語」・・・それって、一体、どういう意味?

一番端的に分かり易い状況は、入院患者さんが、点滴や経管栄養を受けている時です。
何らかの理由で、自身の口から食事が摂れなくなった時私たちは、命を繋ぐために、外から種々の施しを受けます。

食事の量が、少なかったり、栄養状態が、悪化した場合点滴や経管栄養は、漸増されていきます。

それは、自らの力で「生きている」ことができないまさしく、他の力によって「生かされている」状態そのものです。

そして、自身の口から食事が摂れるようになると点滴や経管栄養は、徐々に漸減されて最終的に離脱できれば、自身のみで「生きている」状態になります。

このように「生かされている」ことと「生きている」ことに内包されている意味は医療の場面では、非常に分かり易い、事象が漸減漸増する動態言葉です。
動態とは、変動していく状態のこと。

このように考えると、社会で起っているいろいろな場面でも「生きている」私たちは、他から影響を受けながら、自ら変動し社会から「生かされている」事が、よく分かります。

では、生かされている私たちは、社会でどのように生きていけばいいのでしょうか?

物事の優先順位を付ける際の基準はなにか・・・
そして、何が大切で、何が大切でないのかを如何に判断するか・・・
その基準と判断によって、自分たちの今後の行く末が、決まると考えればたじろいでしまいます。思考停止になってしまいます。

この1年を振り返って社会で起っている事、身の周りで起っている事、自身で起っている事それぞれを重ね合わせると「生きている」私たちは、社会から「生かされている」今、うなずく一点があります。

それは・・・
 『一粒の雨が、集積すると、川の流れの源流となり
  やがては海へと注がれて、大海原に沈むように
  私たちもまた、無窮の時の流れの中で
  雨粒のような一過を生きているに過ぎない』と。
  (五木寛之著、大河の一滴より)

だから・・・
私たちは、喜怒哀楽の中で「生きている」だけで、まずは幸福だと思います。
私たちは、愛別離苦の中で「生かされている」ことが、有り難いと思います。

だって、世の中には、生きたいと願い、生かせて下さいと嘆願しながら運命の悪戯で、この世から去らねばならなかった余人が、大勢いるのですから。

12月のクリスマスを過ぎると、胸が張り裂けるような思いでもし可能なら時間を元に戻したいと念じながら、終日ベッドサイドで時を過した2年前を昨日のようにリアルに思い出します。

そして、多くの患者さんの命を救って来たつもりでいた私に救命できず故人となったかつての患者さんの貴重な尊い命の重さが今頃になって、私の背中に伸し掛かって来る時でもあるのです。

毎年、年末のこの時期になると、寂寞たる深夜に心ならずも亡くなった故人の冥福を心静かに祈りながら「生きている」ことと「生かされている」ことの意義を考え

そして、翌朝になって朝陽を浴びると「よ~し、(心は泣いても)顔は笑って、今日も一丁頑張ったろかあ~」と思う12月の末日なのでした。

多くのみなさま、今年も大変お世話になりました。
来年が、さらに良き年となりますように祈念しています。

2009.12.27

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